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北アフリカや中東で活況の長距離ハイキングコース 荒々しく厳かな砂漠の美を堪能する

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
エジプト・シナイ半島南部のシナイ・トレイルで、コーヒーの用意をするベドウィンのガイド(左)とベン・ホフラー。ホフラーはエジプト初の長距離ハイキングコースであるトレイルをベドウィンたちと協働してつくった=2019年11月、Sima Diab/©The New York Times
エジプト・シナイ半島南部のシナイ・トレイルで、コーヒーの用意をするベドウィンのガイド(左)とベン・ホフラー。ホフラーはエジプト初の長距離ハイキングコースであるトレイルをベドウィンたちと協働してつくった=2019年11月、Sima Diab/©The New York Times

「ザク、ザク、ザク」。ベン・ホフラーは過去十数年間、他のどの音よりも多くこの音を聞いてきた。花崗岩(かこうがん)の山々、色とりどりの渓谷、そして青々としたオアシスが果てしなく広がっているかのように見えるエジプト・シナイ半島南部の砂漠の谷間に敷き詰められた砂利を踏みしめる足音である。

オックスフォード大学で教育を受けた英国人ホフラーは2008年にシナイ山に登ったとき、モーゼが十戒を授かった場所とされるエジプトの山々のパワーに感銘を受け、この高地に広がる砂漠の荒野をベドウィン(遊牧民)とともに約7千マイル(約1万1265キロ)にわたって横断した。

A Bedouin leads a camel carrying hikers' belongings through a wadi along the Sinai Trail in Egypt, Nov. 16, 2019. Two new long-distance hiking trails, managed by Bedouins, will help preserve the austere beauty of the South Sinai and a vanishing way of life. (Sima Diab/The New York Times)
ハイカーを乗せたラクダをベドウィンが引き、シナイ・トレイルのワジ(涸れ谷)を進む=2019年11月、Sima Diab/©The New York Times

彼は2013年にシナイ半島南部へのトレッキングガイドブックを書き、その後すぐにこの地域のベドウィンと協働し、エジプトで最もすばらしい観光プロジェクトの一つの立ち上げに取り組み始めた。エジプト初の長距離ハイキングコース「シナイ・トレイル」だ。

「砂漠には特別な何かがある。緑が生い茂った生きやすい場所には見られない、過酷さ、厳粛さ、美がある」。若き日のエルトン・ジョンに似た39歳のホフラーは、記者にそう語った。新型コロナウイルスのパンデミック(感染症の大流行)で世界中の観光が大混乱に陥る数カ月前、このトレイルを歩きながらのことだった。

シナイ・トレイルの最初の一部は2015年に開通した。2018年に三角形をしたシナイ半島の下半分を横切る350マイル(約563キロ)の道がループ状に延びた。ホフラーが2019年にマアザ部族(訳注=ベドウィンの部族の一つ)を支援して開いたエジプト本土のもう一つの長距離トレイル「紅海マウンテン・トレイル」とともに、シナイ・トレイルでエジプトは北アフリカと中東で活況を呈しているハイキングブームに力強く参入を果たした。

地域を貫く新しいトレイル

ここ15年の間にレバノンやヨルダン、エジプト、(イスラエル)占領下のヨルダン川西岸で、新しい長距離トレイルが開発された。その中には米国の「アパラチアン・トレイル」に着想を得たものもあった。全長300マイルから400マイル(約487~644キロ)のトレイルである。これらのルートは、1990年代にイスラエルとトルコに開設された長距離トレイルの仲間入りを果たした。この他にも、サウジアラビア西部の砂漠やイラクのクルディスタン自治区で進められている未来型巨大プロジェクトの一環として長距離トレイルが建設中だ。

そして現在、この地域のハイキングブームで主要な役割を果たしている人たちの一部が、再発見された古代のベドウィンの道と新設されたルートを、現代の国境を越えて物理的にも象徴的にも初めて結びつけることになるクラスター(集合体)やトランスナショナル(超国家的)なトレイルの構想を立てている。

過去3年間、ホフラーはベドウィンや、この地域のハイキングとクライミングのパイオニアであるトニー・ハワードとヨルダン南部で協働し、シナイ半島や紅海山岳地帯でベドウィンが管理するルートに姉妹トレイルづくりを進めてきた。

ヨルダンのペトラにあるナバテア王国遺跡と、南西に300マイル(約487キロ)離れたサウジのアルウラ遺跡を結ぶルートについては、長い間話し合いがされてきたが、まだ何も決まっていない。

ヨルダン・トレイル、パレスチナ・ヘリテージトレイル、レバノン・マウンテントレイルを一体化する新しい長距離トレイルのネットワークが、欧州の支援者とフランスのトレイル組織の協力で形成されつつある。

A camel, tied, at lunch stop for hikers along the Sinai Trail in Egypt, Nov. 15, 2019. Two new long-distance hiking trails, managed by Bedouins, will help preserve the austere beauty of the South Sinai and a vanishing way of life. (Sima Diab/The New York Times)
シナイ・トレイルでハイカーが昼食をとっている間は、ラクダもひと休み=2019年11月、Sima Diab/©The New York Times

これらはいずれも、2007年以来、この地域のトレイル建設とトレイルネットワークづくりを推進してきた米国の非営利団体「エイブラハム・パス・イニシアチブ(API)」の取り組みと呼応しているが、APIは現在、クルディスタン・トレイルへの資金提供と作業支援に焦点を置いている。

多くのトレイルに共通しているのは、砂漠や山間部で苦労している村々に観光客を呼び寄せ、仕事をもたらそうというトレイルづくり関係者の決意だ。長い間見過ごされてきた大自然の驚異を保全し、訪問者や自国民に自然を紹介し、歴史的に激動の地だったこの地域に対するマイナスイメージを払拭するためにトレイルを活用しようという思いもある。

トレイルの企画側によると、ヨルダン、パレスチナ、レバノンのルートを含む初期のネットワークは集合体として、トレイルのマーキングや緊急サービスの確立、ハイキングの相互プロモーションなどで最善の方法を共有できるという。しかし、トレッキング情報のやりとりは、地理的および政治的な障害に直面している。たとえば、ヨルダン、パレスチナ、レバノンのトレイルを物理的に結ぶことは不可能だ。レバノンはヨルダン川西岸やヨルダンと国境を接していないからである。また、イスラエルとパレスチナのパスポート所持者はレバノンへの入国が禁じられているため、政治的な障害も乗り越えられていない。

1980年代の半ばにヨルダンの渓谷ワディラムでクライミングとハイキングを普及させたハワードにとって、この地域で彼が言う「スーパートレイル」の組織化は理にかなっており、実現させないわけにはいかないのだ。

「それ自体がエキサイティングなこと。聞こえがいいし、宣伝をしやすい。みんなが歩きに来るだろう」とハワード。しかも、トレイルは人びとが通る地域の観光業を盛んにし、大自然と文化の双方を保護することで利益ももたらす。

トレイルに注目が集まる前、「ヨルダンでは、人びとが村を訪ねたり、小高い地を歩いたりするという考えはほとんどなかった」とハワードは指摘し、「こうした地域を保護する必要性が生じ始めた」と言っている。

ベドウィンの影響と起源

この地域におけるすべての長距離ルートのなかでも、エジプトのトレイルは、多くが何世紀も前にベドウィンの先祖が徒歩やラクダに乗ってつくった道で、今もベドウィンが所有し管理しているという点でユニークである。レバノンやイスラエル、ヨルダンのガイドなしで歩けるトレイルとは違い、シナイ・トレイルや紅海マウンテン・トレイルはベドウィンのガイドが必要だ。

A Bedouin makes tea and coffee over a camp fire along the Sinai Trail in Egypt, Nov. 15, 2019. Two new long-distance hiking trails, managed by Bedouins, will help preserve the austere beauty of the South Sinai and a vanishing way of life. (Sima Diab/The New York Times)
エジプトのシナイ・トレイルで、お茶やコーヒーを用意するベドウィン=2019年11月、Sima Diab/©The New York Times

また、サウジ北西部で計画されている「Neom(ネオム=新しい未来)」という巨大プロジェクトは、そのウェブサイトによると、今後数年間で750マイル(約1207キロ)のトレイルづくりが予定されており、豪華なシャレー(訳注=スイスアルプスの山小屋ふうの家)や「没入型デジタル体験」を呼び物にしている。エジプトのトレイルはベドウィンの先祖が荒野をいかに移動したかの再現を試みるという点で対照的である。トレイルを歩くハイカーは、井戸の水を飲み、星空の下(あるいはテントの中)、たき火のそばで眠り、アカシアの炭で焼き岩塩で味付けしたフラットブレッド(平たいパン)を食べる。ベドウィンは調理器具や野営道具、色彩豊かな織物のラグなどを運ぶのにラクダを使うことが多い。

シナイ・トレイルはホフラーとベドウィンの三つの部族が設営した。ベドウィンはそれぞれガイド、ラクダ使い、料理人を務める。2018年にトレイルが延長されると、さらに五つの部族が加わった。各部族はトレイルが、スマホやピックアップトラックが普及したこの時代に失われつつある古代の道と伝統を守りながら、持続可能な観光産業を創り出す手段になるとみている。

安全への配慮

これらのトレイルは、新規にコースを切り開くことよりも、数えきれないほどの風景や伝説を呼び物にする既存ルートの復活に重点を置いて開発された。また、シナイ半島が敵対的で危険な場所というイメージへの挑戦でもある。エジプトは過去10年間、シナイ半島北部でイスラム過激派と戦ってきた。

米政府はシナイ半島への旅行を控えるよう勧告している。シナイ半島南部のシャルムエルシェイクの海辺のリゾートなどエジプトのその他の地域については、米国務省が「テロの(危険がある)ためエジプトへの渡航を再考する」よう自国民にアドバイスしている。

シナイ・トレイルのウェブサイトによると、「シナイ・トレイルがあるシナイ半島南部内陸部のベドウィン地域では、これまでに観光客が襲撃されたことは一度もない」という。ホフラーが言うには、シナイ半島全域に配置されたエジプトの治安部隊に加え、ラクダやピックアップトラック、徒歩で監視し、訪問者の情報を共有する広範なベドウィンのネットワークがハイカーたちのセーフティーネットになっている。

An acacia tree in the plains of the Red Sea Mountains outside of Hurghada, Egypt, along the Red Sea Mountain Trail, Nov. 20, 2019. Two new long-distance hiking trails, managed by Bedouins, will help preserve the austere beauty of the South Sinai and a vanishing way of life. (Sima Diab/The New York Times)
紅海マウンテン・トレイルを進むと、山々を背に1本のアカシアの木が平地に立っていた=2019年11月、エジプト・ハルガダ近郊、Sima Diab/©The New York Times

開発銀行に勤めるカイロ出身のリーナ・エルサムラ(33)はシナイ・トレイルの西側を記者たちと歩くハイカー仲間の一人だが、彼女がこのハイキングに参加することを心配する友人もいたと話してくれた。

「ここはエジプトのなかでも、無視されてきたがために、私たちがある意味、何も知らない地域なのだ」。エルサムラは土漠を車で走りながら言う。「エジプトのこのあたりは、土地の人たちといると、非常に安全と感じる。とても素晴らしい、手つかずで、未発見の場所だ。私たちがエジプト各地でやっていることとはまるで違う。それに、私は体を鍛えることが好き」

エルサムラはまだ数は少ないが、増えつつあるエジプトの冒険旅行者や耐久アスリートの一人である。(訳注=2011年の)エジプト革命の失敗、それに続く軍部による支配のあと、ハイキングやランニング、トライアスロンに取り組むようになった人たちがいる。多くは、そうした活動をフラストレーションの解消や自立心の発揮、あるいは単に自国を再発見する手段とみなしていた。

ハイキングはエジプトではまだニッチな活動だ。シナイ・トレイルは、2020年のほとんどの期間が閉鎖されたパンデミック前、数百人を受け入れていた。2021年には、旅行制限のために数十人規模に減少した。しかし、2022年には多くのハイカーが戻ってきた。10月の週末ハイキングに向けて、世界各国から来た70人のハイカーもそうだ。彼らは翌11月、シャルムエルシェイクで開催された国連の年次気候会議「COP27」に関連して集まった人たちだった。

すべてが計画通りにいけば、シナイ・トレイルは今年10月には350マイル(約563キロ)のルートを初めて端から端まで歩くハイキングイベントが開催される予定だ。(抄訳)

(Patrick Scott)©2023 The New York Times

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