新入りの従業員たちはコーヒーを取りに行ったり、食事を配達したり、小包を渡したりするなどの日常の用務をこなすためオフィスを駆け回っていた。誰かの邪魔をしたり、パーソナルスペースを侵したりもしない。いつも控えめに礼儀正しくエレベーターを待っていた。それに、最も魅力的なのは、不平を言わないことだ。
というのは、彼らはロボットだからである。
韓国の総合IT企業「Naver(ネイバー)」は、ロボットをオフィス業務に組み入れる実験を数カ月にわたって行ってきた。ソウル郊外にある未来型の無愛想な36階建てビルの内部では、約100台のロボットが自力で駆動しており、ロボット専用のエレベーターや時には人と一緒にフロアから別のフロアに移動し、セキュリティーゲートを通過したり会議室に入ったりする。
検索エンジンや地図、電子メール、ニュース・アグリゲーション(ニュースの自動収集機能)などNaverのウェブサービスのネットワークは韓国で圧倒的シェアを誇るが、Googleのようにグローバルな知名度に欠けるため、海外への展開は限定的だ。
Naverは成長に向けた新たな道を模索している。
2022年10月には(訳注=米国でファッション特化型フリマサイトを運営する企業)「Poshmark(ポッシュマーク)」を12億ドルで買収することに合意した。Naverは現在、オフィスでロボットを動かすソフトはいずれ他の企業も必要とする可能性があると考えている。
ロボットは工場や小売り、接客業などの職場にも導入されているが、個室や会議室のあるホワイトカラーの職場ではほとんどみかけない。厄介なプライバシーの問題がある。
カメラやセンサーをたくさん装着して会社の廊下をうろつくロボットは、専門家によると、悪用されると企業による陰鬱(うつ)な監視道具になりかねない。ロボットが従業員の邪魔をしないで自由に動き回れるスペースの設計も大きな課題だ。
しかし、Naverのロボットは動くゴミ箱に似ており、見た目や動き、振る舞いが従業員に気持ちよく感じられるよう同社は幅広い研究を重ねてきた。そして、独自のロボットプライバシー規則をつくってオフィスロボットの将来図を描きたいと考えている。
「目下、私たちが取り組んでいるのはロボットが人間に及ぼす不快感を最小限に抑えることだ」とカン・サンチョルは言う。Naverの子会社でロボットを開発しているNaver Labs(ネイバーラボ)の役員の一人だ。
最近のことだが、Naverのソーシャルインパクトチーム(訳注=革新的なソリューションによって社会にインパクトをもたらし、世界が直面する社会課題の解決をめざす組織)で働くヨ・ジウォンは職場アプリでコーヒーを注文した。
数分後、ロボット「Rookie(ルーキー)」は23階でエレベーターを降り、セキュリティーゲートを通り抜けて彼女のデスクに近づいた。ルーキーはそばまで来ると、2階のスターバックスで用意されたアイスコーヒーが入った収納部を開けた。
ヨが言うには、ロボットはいつも完璧とは限らない。時には予想より動きが遅いこともあれば、彼女が座っている場所から離れ過ぎたところに止まることもある。
「時々、ベータ版(訳注=正式版を公開する前のバージョン)のように感じられる」と、彼女はまだ開発途上のソフトを指す技術用語を使って話した。とは言え、(ロボットが配達してくれれば)時間を節約し、コーヒー店まで出かけて気を散らすこともなく仕事に集中できる。
ハイテク企業は、従業員に自社製品の試用を奨励することがよくあるが、Naverは同社のロボットを使ってオフィス全体を研究開発ラボに変え、従業員を将来の職場技術のテスト対象として配置している。
Naverの従業員が、今年建設を終えたオフィスへ車で出社すると、職場のアプリで駐車場所のリマインダーが自動送信される。従業員はたとえ新型コロナウイルスの拡散防止のためにマスクをしていたとしても、顔認識ソフトが機能してセキュリティーゲートを通り抜けられる。Naverの社内クリニックでは、人工知能ソフトが従業員の年次健康診断に向けて重点的に注意すべきポイントを提示してくれる。
そして、そこにロボットが加わるのだ。
Naverはロボットの導入を前提に自社オフィスをゼロから設計し、2016年に着工した。ドアはすべて、ロボットが接近すると開くようプログラムされている。各階に狭い廊下はなく、障害物もない。天井には、ロボットが進行方向を定めるための数字とQRコードが記されている。カフェテリアにはロボットが食べ物を配達する専用レーンがある。
研究の一環として、Naverは人間とロボットの相互作用に関する研究も発表している。例えば、Naverは一連の実験後、人がたくさん乗ったエレベーター内でのロボットの最適な居場所は、操作ボタンがある反対側の入り口わきのコーナーと結論づけた。ロボットがエレベーターの奥に入ると、乗っている人が不快になることにNaverの研究者たちは気づいた。
エンジニアはロボットが進行方向を見つめる生き生きとした目も設計した。従業員がロボットの視線を見ることができれば、ロボットの動きをよりよく予測できることがわかったからだ。
どのロボットも人間のようには見えない。カンによると、ロボットが人みたいに振る舞うという誤った印象を与えたくなかったのだ(一部のロボット工学の専門家は、人間そっくりのロボットは人をより不快にさせると考えている)。
ロボット技術の進歩に取り組むハイテク企業は、Naverだけではもちろんない。
(香港の)「Rice Robotics(ライス・ロボティクス)」はアジア各地のオフィスビルやショッピングモール、コンビニエンスストアに小包や食料品などを配達する漫画調の箱形ロボットを何百台も配置している。
(米国の)「Tesla(テスラ)」が2022年9月に発表した試作機種「Optimus(オプティマス)」のようなロボットは、より人間に似たように設計され、箱や水生植物などさまざまな物を運べるようできているが、実用化にはまだほど遠い段階だ。
Rice RoboticsのCEO(最高経営責任者)ビクター・リーは、Naverのロボットやロボット仕様に設計されたビルの動画を見て感心したと言っている。Rice Roboticsの配達用ロボットとは機能が異なるが、Naverの方針は「理にかなっている」と彼は言う。「Naverがこのムーンショット・プロジェクト(訳注=実現すれば大きなインパクトがある革新的な事業計画)にかなりの開発予算をつぎ込んでいるのは明らかだ」
Naverによると、同社のロボットの大きな特徴の一つは意図的に「頭脳を持たせない」ことだという。つまり、ロボット自体は自分の中で情報を処理する移動型コンピューターではないということ。
代わりに、このロボットは集中型の「クラウド」コンピューティングシステムを備えた高速のプライベート5Gネットワークを介してリアルタイムで通信する。ロボットの動きは、カメラやセンサーからのデータを使って制御される。
それぞれのロボットには周囲の画像を記録する複数のカメラが付いている。ロボットが本当のところ何を知る必要があり、収集されたデータをどう使うかについては、Naver内でも意見が割れている。
最高データ保護責任者(CDPO)のイ・ジンキュウによれば、試作品の開発当初、エンジニアたちは、ロボットがもっと迅速かつ正確に自分の位置を判断するためにより広い視野を記録するよう望んでいた。
イが心配したのは、従業員が知らないうちに追跡される可能性があり、厳しい労働法やプライバシー法がある韓国の企業に法律上の問題が生じることだ。イとエンジニアは、正面を向いているカメラでとらえる写真は1秒間に1枚に限り、それ以上の画像が必要な場合にだけ他のカメラも使用することで合意した。
カメラは人の腰から下だけを見ることができ、ロボットが自分の位置を確認するとすぐに画像が削除される。ロボットが倒れたり、カメラの角度が突然変わったりすると、緊急モードが作動する。そうした場合、ロボットは人の顔を記録する可能性があることをアナウンスする。
Naverは予防措置をとっているが、プライバシーの専門家は将来の顧客がロボットを改造したり、データ収集の方法に関して独自のポリシー(指針)をつくったりするかもしれないことを懸念する。
プライバシーを扱うソウルの弁護士キム・ボラミは、多くの韓国企業はデータポリシーが不透明だと指摘し、企業がプライバシー法を破った事例が複数あると言う。
彼女はまた、Naverが独自のプライバシーポリシーに従っているかどうかは、同社のソフトを詳しく調べてみないと確かなことを知るのは不可能だとも指摘した。
「企業のプライバシー侵害については通常、内部告発者か情報漏洩(ろうえい)があるまでわからないのだ」。そうキムは言っている。(抄訳)
(John Yoon、Daisuke Wakabayashi)©2023 The New York Times
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