中国の実業家たちは何十年間にもわたり共産党と暗黙の契約を結んでいた。我々にカネを稼がせてくれ、そうすれば我々は党が権力をどう行使しようと目をつぶろう――そんな内容だ。
ほとんどの中国人同様、実業家たちは一党独裁がより効率的な統治をもたらすという党の主張を受け入れていた。
ところがいま、当てにしてきた暗黙の了解が目前で崩れ去りつつある。中国の指導者、習近平は10月、重要な党大会を利用してほぼ絶対的な権力を確立し、国家の優先事項として安全保障が経済に勝ることを明確にした。
「最後の望みが砕かれた」。党大会の終幕から数時間後、私(訳注=Li Yuan〈リー・ユアン〉、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト)に接触してきた中国南部の都市、深圳の資産管理会社の創業者はそう語った。
「完全に終わった、全面的にコントロールを失った、とても恐ろしいことだ」。北京のハイテク起業家は、習近平の支持者で固められた新指導部の顔ぶれを見た後、私へのショートメールにそう書いてきた。
彼らは多くの中国人と同じく、1980年代以来続いてきた規範を習近平が破り、3期目に入ることをしっかり予想していた。それでも、習近平支配は党内における他の勢力によって抑制されるだろうと期待していた。
ところが、習近平の圧倒的勝利は忠誠派を優先し穏健派とみられてきた勢力を排除したことで、ワンマン支配体制が今後何十年も続く可能性があることを明確にした。
69歳の習近平と同じくらい強力だった中国の最後の指導者は毛沢東である。毛沢東は中国に大飢饉(ききん)や文化大革命を引き起こし、数千万にも上る死者と社会的な混乱、経済的破壊をもたらした。
10月の党大会は、不確実性で中国の経済界を揺さぶった。それは、すぐさま市場が反応して公になった。中国株は急落し、通貨の人民元は下落した。ここ数週間、私が話を聞いた多くの実業家は音声や文章でメッセージを寄せ、この状況を「政治的不況」と繰り返し呼んだ。
この記事を書くために私がインタビューした実業家たちは、いずれも当局による処罰を恐れて匿名にすることを求めた。それでも彼らはそれぞれ独自のやり方で異議を表明し、中国でのさらなる投資を控えると断固として誓う人もいれば、資産を確保するために国を離れることさえ考えている人もいる。
習近平政権下の党は、社会のほぼすべての側面を支配し、国民の運命を左右する機関になっている。経済界のメンバー、とりわけテクノロジー分野のトップで働いていた人たちは数年前まで比較的制限が無かったため、(今回の事態を)特に深刻に受け止めている。
米カリフォルニア州のクレアモント・マッケナ・カレッジの政治学教授ミンシン・ペイは、こうしたハイテク起業家の大半が「カネもうけ、経済原則、経済合理性こそがすべてに勝る『経済主義』の時代」に育ったと言う。「いま、彼らは体制が政治を指揮することに気づいている」とペイは指摘し、「彼らにとって、これは納得できないのだ」と話していた。
過去10年間の習近平の経済思考は以下のように要約できる。
国家の役割は大きく、市場の役割は小さく。彼の1期目は党と軍部における権力の強化に忙しく、民間部門にはほとんど関与しなかった。
2017年に始まった2期目では、習近平は民間企業を厳しい規制下に置いた。政府は企業を取り締まり、最も成功した実業家の何人かを早期の退職や自主的な国外亡命に追いやった。
中国の厳格な「ゼロ・コロナ」政策は、経済をここ数十年間で最悪の状態にさせた。
成功がもたらした特権と注目を浴びることに慣れっこになったビジネスエリートの中国人からすると、ビッグボス――彼らの多くが習近平をそう呼んでいる――は経済や彼らのような人間には気を配っていない。今回の党大会での開会の辞で、習近平は「安全保障」について52回、「マルクス主義」には15回、「市場」には3回、言及した。
「政治的なレトリックと行動の両方が変化したことや、指導部の任命においても変化が起きたことに疑いの余地はない」とペイ。習近平の指導部の顔ぶれを見れば、習近平が市場指向型経済の専門知識に重きを置いていないことがわかると彼は言うのだ。「習近平は、経済的な影響にはとらわれず、自身の政策を実行できる人物を重視している」
そのことは経済界を不安にさせている。1980年代、当時の首相・趙紫陽の顧問だった呉国光(ウー・クオコワン)が私の中国語ポッドキャストで語ったところによると、習近平政権下で、国民に命令する中国の官僚機構の能力は高まったが、統治能力は低下した。
「統治能力が低下すると、トップからの特定の政策がないときでも、下級官僚の愚劣さや残忍さ、無知が、支配下の一般民衆に災いをもたらす」と呉国光は指摘する。彼は現在、中国の経済と制度に関するスタンフォードセンターの上級研究員の任にある。
多くの実業家がゼロ・コロナ政策下で多くのカネを失った。この政策で、政府は新型コロナの撲滅を目指して一度に何百万もの人びとを何週間も家に閉じ込めたのだ。
「この独裁者の指揮下で、我が偉大な国は奈落の底に沈みつつある」と深圳のハードウェア企業の技術幹部は言う。「でも、何もできないのだ。それが私を痛めつけ、憂うつにさせる」と言い添えた。
党大会の後、私にショートメールを送ってきた北京のハイテク起業家は、恐ろしい経験を語ってくれた。5月に北京が封鎖されるかもしれないとのうわさが流れた時、彼は従業員に早く仕事を切り上げて食料品を買いだめするようにとは言えないと思った。うわさを広めたと(当局に)報告されるのを心配したのだ。(悪いうわさを広めることは)警察に身柄を拘束されることになる。だから彼は、従業員たちに用事があるなら早めに職場を離れても構わないとだけ伝えた。
このビジネスの成功者は現在、ある欧州の国と米国への移住を申請している。
多くの一般の中国人と同様、私が話した企業幹部たちは、中国最高指導者としての習近平の前任者だった胡錦濤(フー・チンタオ)が党大会の閉会式で突然連れ出される様子の動画を見て恐怖を感じたと言っていた。彼らは、胡錦濤が健康上の理由で早めに退席したという政府の公式見解を受け入れなかった。
彼らの何人かは、習近平が前任者をあのように排除できるとすれば、習近平は誰に対しても何でもできると言っていた。
有力者とのコネがある北京の投資家によると、起業家の友人たちはもはや政治に無関心ではいられないことに気づいたという。
彼らは社交の場で、どの国のパスポートを取得するかとか、資産を海外に移す方法といったことを話題にするようになった。社交の場でホストは、監視を警戒して友人たちに携帯電話を別の場所に預けるよう頼んでいた。
党大会後、投資家仲間のほとんどはもっと多額の税金を支払うか、大学やその他、国が支援する慈善団体への寄付を強要されるだろうとみている。彼らは大きな投資は考えていない。
「みんな不安なのだ」と先の北京の投資家は言う。「この歴史的な岐路に立って何をすべきか、私たちは途方に暮れている」と付け加えた。(抄訳)
(Li Yuan)©2022 The New York Times
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