米国の二つの情報機関のスパイ博物館が全面的に改装された。いく人もの著名な米スパイや情報提供者の波乱に富んだ生き様を紹介し、この世界で使われた小道具類などを展示している。
ただし、そのうちの一つは一般公開されていない。2022年に設立75周年を迎えた米中央情報局(CIA)の博物館で、館内の装いを一新した。
展示の呼び物は小道具類だ。成功例もあれば、失敗例もある。前者にはネズミの死骸がある。タバスコソースをぶちまけてあるが、中には伝言が隠されていた。後者にはハトに取り付けたカメラやトンボに見せかけた小型のスパイドローンがある。
重要な諜報(ちょうほう)活動で登場した精巧な品々は、工芸品のように美しく、思わず魅了される。
この博物館は厳重に警備されたバージニア州ラングレーのCIA本部の敷地内にある。ここに呼び出されでもしない限り、一般人は立ち入ることができない。新装なった博物館は職員の家族への週末招待に続いて、2022年9月下旬には報道陣にも扉を開けた。
展示品の多くはCIAの勝利を祝う物だ。オサマ・ビンラディン(訳注=国際テロ組織「アルカイダ」の指導者。2011年5月、米軍が殺害)が潜伏していた邸宅(訳注=パキスタン北部アボタバード)の模型と、現場から持ってきたれんがが一つある。
優れた米コミック作家ジャック・カービーによる作品は映画制作会社を装う小道具となり、イランで拘束されていた米外交官たちの救出作戦で用いられた(2012年の米映画「アルゴ〈原題=Argo〉」にも登場している)。
さらには、CIA工作員の扮装用の着衣がある。核ミサイルを搭載して沈んだソ連の潜水艦を引き揚げる作戦で使われた。東ベルリンに掘られたトンネルの再現版もある。そのおかげで、米国はソ連圏の情報のやりとりを約18カ月にわたって傍受できた。
最新のコレクションの一つはビルの模型だ。その後アルカイダ指導者となったアイマン・ザワヒリのアフガニスタン・カブールでの潜伏先で、米軍のドローンが2022年7月に攻撃して殺害した。
この模型は作戦協議にあたってCIAが木箱に入れて運び、バイデン大統領に示したものだ。展示では木箱の底に載せた模型を見ることができる。
一般の目には触れないせいだろうか、展示はCIAの失敗に尻込みすることもない。相手国に捕まった工作員、情報提供者の名前を暴露した二重スパイ、みんなの集団思考を止められずに始めてしまったイラク戦争(訳注=イラクが大量破壊兵器を持っているとして米国が中心となり2003年に開戦)、ピッグス湾事件にも触れている(訳注=CIAの支援を受けた在米キューバ人部隊が1961年にキューバに侵攻、当時のカストロ革命政権を倒そうとして失敗した)。
「この博物館の大部分は私たちの要員のためにあり、彼らは過去について真に学ぶ必要がある」。博物館長のロバート・バイヤーは、こう強調する。「だから、自らの歴史のうわべをとりつくろったり、ほめちぎったりするだけということは許されない。CIA史の表と裏を完全に示してこそ、自分たちの歴史として理解できるだろうし、よりよい仕事にも結びつけられるだろう」
注意深く構成された展示の中には、マーサ・ピーターソンにまつわる話も含まれている。(訳注=1975年に)モスクワに女性として初めて送り込まれた作戦要員だ。
彼女の任務はスパイとなっていたソ連外交官から情報を収集し、指示を伝えることだった。その外交官には、いざというときのために自殺用のピルを与えもした。事実、最後は捕まり、服毒自殺している。そして、ピーターソン自身も(訳注=顔を合わせることなく物を受け渡す)「デッド・ドロップ」の現場で、メッセージを置いたところを拘束されてしまう。
博物館を新装したもう一つの情報機関は、米国家安全保障局(NSA)だ。
CIAが情報を収集、分析し、秘密工作を繰り広げるのに対し、NSAは電子機器による通信情報の収集と暗号の作成、解読に活動を特化させている。それが、イメージを一新させた米国立暗号博物館(メリーランド州アナポリス・ジャンクション)の展示の焦点にもなっている。
NSAは(訳注=長らくその存在そのものが秘匿されるなど)、隠れて行動することが多く、頭文字をとって「No Such Agency(そんな局はない)」といわれてもきた。ただし、CIAの博物館とは対照的に一般公開されている。
「『そんな局はない』のに、そこが米情報機関全体の中で唯一の完全公開の博物館を運営しているのは、すてきな矛盾とでもいうべきことなのだろう」。博物館長のビンス・ホートンはこう話す。
こちらの博物館は2020年に一時閉館に入った。コロナ禍のさなかだった。元歴史学者で、よく知られている首都ワシントンの国際スパイ博物館(訳注=民営)の学芸員でもあったホートンは、この貴重な時間を建物の補修と保管品の念入りなチェックに費やした。「そんなものがあるとは知らなかったり、紛失したと思い込んだりしたものもある」とホートンは語る。
こちらの再開は2022年10月。展示品には暗号の作成、解読に使われた機器類がたくさんあり、妙に引き込まれる。その中でホートンが指摘するのは、米国の独立当初から現代にわたって数々のユニークな品があることだ。第2次世界大戦では、日本の外交電信やドイツ海軍の暗号の解読に成功した機器がある。ヒトラーが用いた暗号機エニグマは、ガラスのケースに入っている。一方で、手に取り、自分で使ってみることができる品もある。
ホートンによると、ほとんどの展示品は三つの基準のどれかにあてはまるものになっている。①その種のものとしては唯一今も残っている②最初に開発されたもの③特定の人物によって使われていた――のいずれかだ。「私はそれを『この世界の三位一体の原則』と呼んでいる」とホートンはいう。
博物館は、暗号学を幅広く一般に説明するという使命に徹している。ただし、戦争の犠牲者を悼むコーナーもある。戦死した暗号専門職の名を刻んだ記念碑や、どんな人たちだったのかを物語る展示などだが、圧倒的に多いのは暗号機類と解読に成功した人物の紹介だ。
裏切り者の展示もある。でも、数は多くはない。その一つは海軍の下級准尉ジョン・ウォーカーにまつわるものだ。ソ連のスパイとなり、米側の暗号解読コードを盗み出していた(訳注=1960年代後半から逮捕された1985年まで続いたとされる)。一方で、あの(訳注=元CIA職員)エドワード・スノーデンに関するものはない。請負仕事をしていたNSAの秘密を大々的に暴露し、最後はロシアに逃げ込んだ(米司法省が捜査を続けており、博物館として触れる余地に限りがあるのも確かだ)。
これに対してCIAの博物館の方は、失敗や悲劇につながった事例にはこと欠かない。スパイではないのに非難されたCIA職員にも光をあてている。ソ連の二重スパイがもたらした損失も明らかにしている。
貴重な協力者の中には、ソ連の航空電子工学技師のアドルフ・トルカチェフがいた。妻の両親がスターリンのもとで迫害されたのに怒り、CIAに何度も協力を申し出た。1978年には米側との接触を実現させ、ソ連の機密を小型カメラで撮影して渡した。
トルカチェフのもたらした情報の価値は極めて高く、米側はソ連のミサイルや戦闘機についての理解を深く掘り下げることができた。
「10億ドルスパイ」との呼び名が付けられたほどだ。書類を入手するのは上手だったが、撮影は下手だった。このため、CIAは写真のボケ方を少しでも抑えられるよう、焦点距離を固定させた特殊なカメラを彼用に開発し、それが展示されている。
ただし、トルカチェフの話は不幸な結末を迎える。ソ連側に寝返ったCIA要員のオルドリッチ・エイムズとエドワード・リー・ハワードが、その存在を明かしてしまった。1985年に逮捕され、翌年に死刑が執行された。
「私には、責任があると感じている」と館長のバイヤーは語る。「私たちは、愛校心むき出しのチアリーダーのように歴史に接すべきではない。博物館は、真実を語らねばならない」(抄訳)
(Julian E.Barnes)Ⓒ2022 The New York Times
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