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スパイも顔負け スパイもの収集家のこの執念

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
フロリダ州ボカラトンの邸宅で2019年1月15日、収集したスパイものの品々に囲まれるH.キース・メルトン=Scott McIntyre/©2019 The New York Times

「今の米国には、どの時代よりも多くのスパイがいるのではないか」

そう語るのはH.キース・メルトン。長年にわたり、歴史的な視点から米中央情報局(CIA)に助言している。そして、この数十年は、まるでとりつかれたように世界のスパイ活動について調べてきた。おかげで、陣営を問わず、冷戦時代やそれ以前に使われていた膨大な数のスパイの必携品、珍しい品々が手元に集まった。

メルトンのゲストハウスの一室。スパイが使った道具や肖像画などであふれていた=Scott McIntyre/©2019 The New York Times

「散逸しないよう、しっかりと保存することが目的で、政治的な意図はまったくない」と言う。

そのために、収集品の大半を首都ワシントンにある「国際スパイ博物館」(訳注=非営利の民間施設)に寄贈することにした。自身がこの博物館の役員を務めており、7千点を超える寄贈品は、1万3千平方メートル余の広さを誇る新しい博物館(訳注=2019年春に開館予定)に収納されることになる(訳注=現在の展示スペースは1900平方メートル)。

その中には、ナチス・ドイツが第2次世界大戦で使った暗号機「エニグマ(謎)」がある。フランスにいた独部隊の一つが、米軍の進撃にあって置き去りにしたものを米兵が戦後、持ち帰っていた。同じ大戦で、英軍が極秘に開発したものもある。特殊潜航艇「眠れる美女」(長さ4メートル弱)は、乗員1人を敵の港に潜り込ませるために考案された。たばこのように見える拳銃は22口径で、実弾を撃つことができた。

第2次世界大戦中に英国が開発した22口径の「たばこ拳銃」を示すメルトン=Scott McIntyre/©2019 The New York Times

ところが、これだけ多くの品を手放しても、メルトンと妻カレンが住むフロリダ州ボカラトンの自宅に隣接したゲストハウスには、スパイにまつわるさまざまな品々があふれている。まさに、私設のスパイ博物館という感じだ。

「こんな代物と同じ屋根の下で眠れる自信はない」。妻がこう話す視線の先には、すごく威圧的に見えるスターリンの胸像があった。

メルトンは、秘密のベールに覆われたスパイの世界について、数多くの著作物を出している。それだけではない。冷戦下の1980年代を舞台にした最近のスパイものの連続テレビドラマ「ジ・アメリカンズ(原題:The Americans)」では、テクニカルアドバイザーとして時代考証にあたった。自分が持つソ連時代の盗撮・盗聴の器具も貸し出し、迫真のシーンづくりに生かした。

効果は、上々だったようだ。ソ連の情報機関KGBとその後継機関の一つSVRのベテラン工作員に、このドラマは好評だったとメルトンは明かす。「『こちら側も、すごくかっこよく映っていた』と思ってくれたから」

そして、その同僚たちが、まだこの国でうごめいているのは確かだと付け加えた。暗号化された指令が短波放送で米東海岸に潜伏するスパイたちに出され、2010年に逮捕者が出た事件があったが、それが再び発信されるようになった。新たな指令を、新しい工作員網に送っていると見られる。

メルトン自身は、諜報(ちょうほう)活動に携わったことはない。米海軍兵学校を卒業してベトナム戦争に従軍。その後、米経済誌フォーブスによると、米国のマクドナルドのフランチャイズオーナーとしては最大手の一人になった。だから、冷戦時代のイデオロギー論争から超越していられたし、これだけのスパイものコレクションの資金にも困らなかった。

ソ連のためにスパイ活動をした工作員たちの肖像画=Scott McIntyre/©2019 The New York Times。ソ連のスパイに交じって、上から2番目の列には、米国人2人と英国人1人も描かれている

集めた中で最も貴重な品は、見つけるのに40年もかかった。メキシコに亡命していたロシアの革命家レオン・トロツキーが、1940年に暗殺された際に凶器として使われたピッケルだ。ソ連の工作員が、メキシコ市のトロツキーの自宅に単身で入り込み、引き起こした犯行だった。

この凶器は、長らく所在不明になっていたが、2005年についにそのありかが分かった。メキシコの警察博物館の学芸員が持ち出し、娘に渡していた。その後、娘のベッドの下に、30年もの間隠されていたとメルトンは語る。

以下は、このピッケルを入手した経緯などを尋ねたやりとりの抜粋だ。
    ◇

問:ピッケルが出てきたとき、どうして本物だと判断できたのか。

キース・メルトン:第一に、私はこのピッケルについての記録文書を持っている。メキシコ警察の証拠品保管室に始まるもので、1946年までさかのぼることができる。第二に、このピッケルは1928年にしか製造されていない特殊なものだ。第三に、刃の部分のさびに独特な文様があり、これが決め手となった。暗殺事件が起きたその晩の写真には、血染めの指紋が撮影されている。米連邦捜査局(FBI)の知人に見てもらったところ、さびの文様が細部にいたるまで、指紋の線の文様と一致した。

問:いくらで入手したのか。6桁の額か。

カレン・メルトン:(笑みを浮かべながら、無言で親指を突き立てた)

キース・メルトン:ノー、ノー(と赤面)

問:7桁の額だったということか。

キース・メルトン:トロツキーの暗殺は、世紀の犯罪だった。当時としては、ケネディ米大統領の暗殺よりも世間を騒がせた事件だった。

問:なぜ、このピッケルの入手にこだわったのか。

キース・メルトン:歴史に携わるのに、私は実際に現物に触れずにはいられない。歴史を読み込むのも一つの方法だが、自分には手に持つことができるものが必要だ。

カレン・メルトン:壁にシカの剥製(はくせい)を飾る家も、ゴルフのトロフィーを並べる家もある。(静かにため息をつきながら)それが、わが家では殺人事件の凶器なのだから。

問:使っているものを手放すよう、現代のスパイを説得するにはどうする。

キース・メルトン:世界各地の諜報機関を訪ねるときは、ドアをたたいて私の著作の一つを渡し、いつも歴史的な観点から迫ることにしている。1990年に東独という国が崩壊(訳注=東独が西独に吸収される形でドイツ統一が実現)したときも、92年にモスクワにいたときもそうした(訳注=91年末にソ連が崩壊)。

問:で、それがうまくいかないときは。

キース・メルトン:(クスクス笑いながら)現ナマだね。社会がバラバラになり、混乱の極みにあるときは、現ナマがいろいろなことを明るみに出してくれる。(抄訳)

(Brett Sokol)©2019 The New York Times

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