ロシアのウクライナ侵攻により、もうヨーロッパが戦争の舞台になることはないという能天気な思い込みは、みごとに吹き飛ばされてしまった。
陸続きのフランスはウクライナからこれまで約10万人の難民を迎え入れている。今後、この悲惨な戦争はいつまで続くのだろうか。
そんな折、20世紀を代表する大作家のひとりルイフェルディナン・セリーヌ(1894~1961)の『Guerre(戦争)』が刊行された。
『夜の果てへの旅』などで知られるセリーヌは、良識あるブルジョア階級の人々が目をむくような俗語や卑語を駆使した斬新な文体で、フランス文学に大革新をもたらした作家だ。ふたつの世界大戦を生き、自身の戦争体験に題材を取って数々の傑作を世に送り出した。
一方で、反ユダヤ的な評論をいくつも書き、44年6月に連合軍がノルマンディーに上陸すると、自ら身を案じてフランスを脱出。デンマークに亡命した「問題作家」でもある。セリーヌのこの側面は、フランスでもいまだタブー視されている。
さて、今回の『戦争』だが、舞台は第1次世界大戦、セリーヌが20歳の時、参戦して大けがを負った体験に基づいている。書かれたのは34年と言われるが、没後60年も経って日の目を見たという、いわくつきの小説である。
というのも、セリーヌはフランスから逃げ出した時、複数の手書き原稿をパリに残した。その原稿の束は長いこと行方不明になっていたのだが、昨年になって、あるジャーナリストが保持していると名乗りを上げ、文壇は騒然となった。裁判沙汰を経てようやく著作権相続人と折り合いがつき、今回の出版と相成った。
頭と腕に銃弾を受けた主人公フェルディナンがフランドル地方の前線で、血と泥にまみれて意識を取り戻すところから物語は始まる。周囲は死体ばかり。弾丸を受けた頭は「とてつもない騒音」で充満していた。イギリス人兵士に助けられ、どうにか前線の病院に収容されるが、そこは負傷者と死者の境も明解でないような場所だった。
回復を待つフェルディナンを取り巻くのは、サディスティックな医者、死にかけている兵士たちに手淫を施す奇妙な性癖を持つ看護師、イギリス兵士たちを客引きする娼婦、そのヒモでやはり負傷した兵士のカスカッド。主人公とカスカッドは、前線を逃亡した罪に問われて処刑されるのではないかという不安につきまとわれている。どの人物も途方もなくアンモラルで滑稽で、どうにかこうにか生にしがみついている輩だ。
作品中には、今ならフェミニストや#MeToo世代があぜんとするような描写もあふれている。
同時に、戦争の醜さ、人間の愚かさをとことん描き続けたセリーヌの作品は、図らずも今の時代にみごとに呼応している。
ほぼ推敲(すいこう)なしに一気に書かれた初稿は、しばしば文法よりリズムやスピード感を優先させる。なによりセリーヌ独特の文体から、死と直結した濃厚なエロスが匂い立つ。戦争における人間の極限の姿が、吐き気を催すほどの嫌悪感とともに、ほとんど肉感的な魅力をもって読者の胸に迫ってくる。
セリーヌほど矛盾に満ちた作家はいないかもしれない。そして、そこにこそ彼の魅力も偉大さもあるのだと人々は再認識し、いま改めて感銘の声が上がっている。
『戦争』に続き、今後『ロンドン』ほかの未発表の手書き原稿が次々と刊行されることになっている。セリーヌ研究者やファンにはこたえられない「発掘」の成果である。
フランスのベストセラー(フィクション部門)
L’Express誌6月2日号より
1 Guerre
Louis-Ferdinand Céline ルイフェルディナン・セリーヌ
大作家セリーヌの行方不明になっていた手書き原稿の一部が、とうとう本に。
2 Noa
Marc Levy マルク・レヴィ
9人のハッカーたちが独裁者に対抗して戦う冒険スパイ小説。
3 L’Affaire Alaska Sanders
Joël Dicker ジョエル・ディケール
ある殺人事件をめぐる壮大な3部作の最終巻。時系列上まん中に位置する作品。
4 Le Jeune Homme
Annie Ernaux アニー・エルノー
30歳年下の男との恋愛を通して、書くことの意味を問う。
5 Labyrinthes
Franck Thilliez フランク・ティリエ
殺人事件と記憶喪失の女性をめぐる謎。ミステリーの名手が放つ最新作。
6 Il nous restera ça
Virginie Grimaldi ヴィルジニ・グリマルディ
岐路に立つ10代、30代、70代の3人が出会い、新しい一歩を踏み出す。
7 Blackwater (t.IV). La guerre
Michael McDowell マイケル・マックダウエル
1980年代に発表された米作家の人気連載小説。初めての仏語翻訳。全6巻。
8 Ecoute la pluie tomber
Olivia Ruiz オリヴィア・ルイーズ
スペイン・フランコ政権を逃れてフランスに亡命した祖母たちの過去を探る。
9 Blackwater (t.I). La crue
Michael McDowell マイケル・マックダウエル
カスキー家をめぐる米大河小説。舞台は1919年から69年のアラバマ。
10 Dans les brumes de Capelans
Olivier Norek オリヴィエ・ノレック
司法警察官の経験を生かした厚みのある探偵物で人気の作家、待望の最新作。