バンコク市街から東へ約30キロ。東南アジアのハブ空港のひとつ、スワンナプーム国際空港の近くに、緑に囲まれ、小池が点在するキャンパスがある。
多くのエンジニアを輩出し、タイの経済発展の一翼を担ってきた国立キングモンクット工科大学ラカバン校(KMITL)。東京ドーム30個分にもなる広大な敷地に、「KOSENーKMITL」の表示をつけた校舎を見つけた。
日本には、中学校を卒業した若者を5年間の一貫教育で、大学の工学部レベルの専門知識を持つ技術者に育てる「高等専門学校(高専)」という、世界でもまれな教育システムがある。
「KOSEN-KMITL」は、日本の高専とほぼ同じカリキュラムを取り入れ、日本から10人の教員が派遣されている。開校して4年目。来年度には、敷地内に専用の校舎ができる。
2月末、この「タイ高専」を訪ねた。
「二酸化炭素が増えると地球の気温が上がるといわれている。なぜだろう?」
機械工学と電気・電子工学を融合させた「メカトロニクス工学科」の2年生のクラスでは、田中博客員教授が、英語で地球科学を教えていた。
日本の小学校の教室と比べると半分ぐらいのスペースに、半袖シャツの制服姿の24人が3列に分かれて着席。手元のタブレットで講義の内容を確認する学生たちに、田中教授は「地球の健康を維持していくにはどうすればいいか、自分たちに何ができるか議論してみよう」と促した。
高専では、専門科目と科学や国語、歴史といった一般科目を組み合わせて教える。地球科学は一般科目のひとつ。田中教授は「専門とは関係がないように見えるテーマを、知識や情報を組み合わせてじっくり考える体験をすることで、自分の専門をどう社会に役立てられるかの思考につながる」と言う。
日本語の授業もある。ある女子学生が「ゆっくりする時間があまりない」ともらすほど時間割はびっしりだ。
日タイの両政府は2018年5月、タイに高専をつくる覚書に署名した。タイは近年、中進国から抜け出すためにモノづくりのレベルアップを図っていて、即戦力の技術者養成に成功していた日本の高専に目をつけた。
高専では、実験や実習が多く、カリキュラムの3~4割を占める。さまざまな課題に対して仮説を立て、実際にモノをつくって検証する。そうしたプロセスを積み重ねることで、現場で柔軟な対応ができる技術者が育つ、との考えからだ。
ただ、高専を誘致するアイデアが持ち上がった17年の初め、タイ側には「理論を教えるだけで十分」「実験室なんて必要ない」との意見があった。モノづくりの実務教育を、主に職業訓練学校が担っているタイの事情が背景にあった。
潮目が変わったのは17年10月のことだ。51の国立高専を運営する独立法人、国立高等専門学校機構(高専機構、東京都八王子市)の谷口功理事長がタイの国会で「高専とは何か」をテーマに講演した。
谷口氏は、モノづくりの理論も現場も学ぶ高専の強みを力説した。そして、当時の日立製作所の社長も高専で学んでいたと紹介すると、「高専は何かが違う」を議員たちの目の色が変わった。
19年5月入学の1期生の定員はメカトロニクス工学科の24人。政府が、授業料は国が出すと決めたこともあって、志願者は殺到し、309人に達した。
授業は英語なので、ある程度の英会話力がないと入れない。大卒者の社会的地位が非常に高いタイで、あえて高専を選んび、厳しい受験を突破してきた俊才たちであり、「『この国を変える』との意識を持っているエリート」と谷口氏は言う。
本当のところ、学生たちはKOSENをどう思っているのだろうか。
4月下旬に再び訪ねると、1期生の3年生の5人と1年生1人が集まってくれた。3年生が手にしていたのは、タイ全国の学生対象のロケットコンテスト用の作品。3Dプリンターを使って発泡スチロール製の先端部分の形状をいろいろと試したり、ナイロン製のパラシュートのデザインを工夫したりしたという。
KOSENを選んだ理由を聞くと、「エンジニアになりたい。小さいころからコンピューターやプログラミングに興味があった」「日本の高専のことを知っていた。理論と実験、実習の授業があるのがいい」と返ってきた。
1年生のパッタラポン・ウォーラルータナナンさん(15)は、デジタルカメラを分解して組み立て直す「リバースエンジニアリング」を紹介してくれた。製品の設計思想を学ぶためだという。
「自分の力で、タイをテクノロジーやイノベーションで最先端の国にしたいから」と壮大だ。
2月に学校を訪ねた時に知り合った2年生のキティタット・チュウォンさん(16)とも会った。エンジニアの父親、看護師の母親もいっしょだった。
キティタットさんが「大学入試は科目が多すぎてエンジニアにはいらないものもある。役に立つ技術と経験があれば、大卒という学歴は大切ではない」と語ると、母親のスッタパンさんは「高校を選ばないことにとまどったが、いまは正しい決断だと思う。息子は、高校・大学のコースを歩むほかの若者の先を進む」とほほえんだ(学年、年齢はいずれも取材時)。
20年にはバンコクに2校目のタイ高専ができた。いまは2校で4学科あり、計約400人が学ぶ。
タイの高等教育・科学・研究・イノベーション省によると、志願者はいまや募集定員200人弱に対して5000人に上る。「知識と技能のバランスが重要。国のリーダーになってほしい」と担当者は言う。
高専はモンゴルやベトナムにも輸出されている。高専機構にはウズベキスタンや、エジプトなどアフリカ諸国からもラブコールが届く。これらの国々には、技術者を育てれば、海外から投資を呼び込めるとの思惑がある。
日本側は、現地の日系企業で活躍する、高度な技能人材の供給源としての役割を期待している。
海外に踏み出した理由はそれだけではない。
高専を知らない海外に、高専とは何か、大学の工学部とどこが違うのかを理解してもらうには、高専教育の「質」を国際的に保証する仕組みをつくらないといけない。そのためには、まず、これまでのカリキュラムを多面的に見直し、内容を高めることを迫られる。
最初の高専ができて今年で60周年。生産現場の中核となる技術者を育ててきた。モノがあふれる時代を迎え、輝きはくすんだ。「海外進出」を高専がそこから脱皮する推進力にしようとしている。
高専機構は51の国立高専を束ね、各高専と話し合いながらカリキュラムを決めている。在籍学生数を合わせると約5万人。日本大や早稲田大並みの規模だ。グローバル化をてこに「隠れた巨人」が覚醒(かくせい)しようとしている。