本を表紙で判断してはならない。犬も犬種で判断してはならない。
そんなことを含む多様な研究結果が、膨大な資料の分析から判明した。使われたのは1万8385匹の犬の飼い主が答えたアンケートと、2155匹の犬のゲノム(全遺伝情報)を包括的に解析したデータ。その報告論文が2022年4月、科学誌「サイエンス」に掲載された。
特筆されるのは、ある犬の行動形態を予測するのに、犬種は基本的には役に立たないことが分かったということだろう。むしろ、大半の場合は有害ですらあった。
それが今回の多面的な研究の中で、最もはっきりしていることの一つになる。「新しい」とか「おかしい」とか犬が感じて示す反応を考えるのに、犬種を持ち出す有効性が認められなかったのだ。
こうした犬の行動形態の予測は、科学者ではない人がいうところの「攻撃性」を例にとれば、分かりやすいかもしれない。(訳注=闘犬として作られた)ピットブルと結びついた「攻撃的な犬種」の既成概念に、疑問を投げかけてもいるからだ。
ピットブルが今回の研究で高い得点を示した項目の一つは、むしろ人間との社交性だった。ひざの上にいるのが好きなピットブルの動画をネットで見たことがある人には、驚くべきことでもなんでもないだろう。
一方で、ラブラドルレトリバーの系統だからといって、人間との社交性が特段に強いわけではなかった。
とはいえ、犬種の間にはなんの差異もない、というのではない。また、犬種が行動形態の予測になんの意味も持たない、とされたわけでもない。
もし、(訳注=英原産の牧羊犬)ボーダーコリーを飼うことになれば、(訳注=家畜護衛の大型犬)グレートピレニーズよりは訓練しやすく、おもちゃに対する関心も高い可能性が大きいだろう――今回の論文執筆者の一人で、米マサチューセッツ工科大学とハーバード大学が作ったブロード研究所(BI)などに所属する犬ゲノムの専門家エリノア・カールソンはこう語る。
ただし、どんな犬の場合でも、実際にどのような行動形態をとるかは、ただ「分からない」というしかない。ある犬が、どんな種類の反応を見せるのか。犬種をもとに予測できる確率は、この調査では平均で9%にすぎなかった。
しかも、特定の犬種だけに固有な行動形態というものも存在しない。「ほえる」という行動一つをとってもそうだ。今回はソリを引かせるための大型犬シベリアンハスキーの方が、ほかの犬種よりよくほえることが裏付けられたが、「専売特許」というわけではなかった。
それだけではない。これまでの説明とは一見、矛盾しているようだが、行動形態は遺伝として受け継がれる傾向が強いことも判明した。
今回の調査では、観察した行動形態の25%が特定の犬種内で遺伝していた。かなり複雑な手法で割り出した数値で、遺伝子の影響が行動に出ることを示唆してはいるが、断定するにはいたらなかった。調査した犬のグループによって、バラつきがあったからだ。
しかし、十分な犬の数をもとに分析すれば、何が遺伝するかを知る上でこの「遺伝率」という数値はよい目安となるだろう。
さらに、遺伝情報総体を比べる中で、いくつかの遺伝子が行動形態と明らかに結びついていることも分かった。犬の友好性は、その一つだった。
ただし、忘れてはならないことがある。今回の調査で突き止めたこうした遺伝子と、今の犬種との間には、大きな時間軸のずれが存在することだ。
米愛犬家団体アメリカンケンネルクラブが認定している現代の犬種は、19世紀以降に作られたものだ。体つきの特徴の違いが、犬種を区別する大きな要素になっている。
では、その性格や行動形態はどうか。あなたの犬は友好的なのか、攻撃的なのか、それともあまりうち解けようとしないすまし屋なのか。こちらに関係する遺伝子は、現代の犬種よりはるか前から形成されてきたものなのだ。
やはり先のBIなどに所属し、今回の論文の共同執筆者でもあるキャスリン・ロードは、その点をこう説明する。
――(訳注=ドイツ原産の猟犬種)ジャーマンショートヘアードポインターは、「獲物がいるところを主人に知らせる(ポイントする)」可能性がほかの犬種よりわずかながら高い。(訳注=英原産の猟犬種)ゴールデンレトリバーは、「獲物を回収する(レトリーブする)」可能性がわずかながら高く、シベリアンハスキーではそれが「ほえる」ということになる。
ただし、犬を買い求めたり、新たに飼い主になろうとしたりする人は、これをうのみにしないでほしい。
「よくほえたラブラドルもいるし、獲物のありかをポイントした小型犬のパピヨンもいる。レトリーブする猟犬のグレーハウンドもいれば、レトリーブしないレトリバーだっている」とロードは例をあげる。
今回の調査で判明したことは、犬と密接に関わりながら仕事をしている人には、特段驚くべきことではないようだ。
米ペンシルベニア大学付属の使役犬研究センターの所長シンシア・オットーもその一人だ。「まったくその通り」と、この論文について淡々と評する(その執筆には関わっていない)。
その上で、「いくつかの犬種については、全体としてほかの犬種より多く出やすい行動特性というものはある。しかし、同じ犬種の中でも、個体間の差異は極めて大きい」と指摘する。
ボーダーコリーを例にとれば、ブリーダーが訓練しやすいボーダーコリーの個体を選んできたから、「この犬種は訓練しやすい」ということになったのだろう。ところが、実際には「ボーダーコリーの中では、かなり多様なバラつきが今も間違いなくある」とオットーは強調する。
先のカールソンによると、今回の研究論文に向けた準備が始まったのは8年ほど前だった。もともとの狙いは、雑種と純血種の遺伝情報総体を比べることだった。「全ゲノム関連解析」と呼ばれる調査で、DNAを精査し、特定の行動形態と関連した遺伝子を見つけようとした。
この論文を執筆した一人で、やはりBIなどに所属するキャスリーン・モリルは、今回の調査対象にかなり多くの犬種間の雑種が含まれていたことが強みになったと語る。
というのも、犬種と行動形態の関連性を調べる上で、「雑種ほど完璧な存在はいない」からだ。「雑種のDNAはごちゃ混ぜになっており、(訳注=純血種の場合は予断に結びつきやすい)外見を排して行動形態に迫ることがそれだけ容易になるからだ」
「この論文は、雑種を使って犬の全遺伝情報を解き明かそうとし、素晴らしい成果をあげた先駆的な研究の一つだろう」。アリゾナ大学にある犬の研究センターの所長エバン・マクリーン(この論文には関わっていない)は、こう積極的に評価する。
調査対象にした雑種も多様で、それだけ遺伝的な比較にも強い説得力がある。以前の多くの研究からは除外されていたもので、「この論文は、雑種を分析する重要性をも示すことになった」とマクリーンは続ける。
今回の研究陣は、犬の行動形態に関連した領域がDNAに11カ所あることを発見した。
これは、人間の全遺伝情報を解明する上でも注目される。「イヌ」と「ヒト」という二つの動物種の全遺伝情報の関連性を調べる研究は、まだその表面をなぞり始めたばかりの初期段階にあるだけに、今後の貴重なヒントになるかもしれない。
例えば、「ほえる」につながると見られる領域は、人間では言語を発達させる領域と重なると見られている。人間の近くにいることを楽しいと犬が感じる領域は人間にもあり、長期の記憶をつかさどる領域に関連しているといった具合だ。
今回の調査には、もう一つ大きな特徴がある。ほかの科学的な調査と異なり、犬の飼い主なら誰でもこの研究プロジェクトに貢献できることだ。
「ダーウィンの箱船」と呼ばれるデータ収集システムが、それを可能にする。先のカールソンやその同僚たちが作成。純血種や雑種の飼い主に、DNA標本の提出とアンケートへの回答を求めている。これが、今回の研究でも、各種データの豊かな源泉になった。
「箱船には、世界中の誰でも、どこからでも登録できる」
カールソンは、改めてこう呼びかけている。(抄訳)
(James Gorman)©2022 The New York Times
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