正恩氏と腕を組んで、できあがったばかりの高級アパートを感極まった様子で見て回るチマ・チョゴリ姿の女性。北朝鮮の名物アナウンサー、リ・チュンヒさんだ。
朝鮮中央通信によれば、平壌市中区域に新しく造られた普通江川岸階段式住宅区の竣工式が13日に行われた。正恩氏は、リ・チュンヒさんが入居する瓊楼洞7号棟の家を訪れ、リさんの長年の労苦に報いたという。
同通信が伝えたところでは、「80代を控えた年齢」(正恩氏)というリさんの肩書は朝鮮中央放送委員会責任アナウンサー。1994年7月の金日成主席の死去、2011年12月には金正日総書記の死去をそれぞれ伝えた。すでに1994年当時、アナウンサー最大の栄誉とされる「人民放送員」の称号も与えられてきた。いつもチマ・チョゴリ姿で、体を小刻みに揺するようにしながら大きく抑揚をつけて話す伝え方が日本でも有名だ。
金正恩氏はリさんについて「娘の頃から50余年間、党が与えた革命のマイクと共に高潔な生をつづってきた」と紹介し、「国の宝」とまで激賞した。そして、その理由について「青春時代の気迫と情熱で、わが党の声、チュチェ朝鮮の声を全世界に発している」「党の政策と国策、偉大なわが国家の地位を世界に知らせる非常に重要な仕事をしている」と指摘した。「北朝鮮メディアは政府広報機関である」と自ら、認めているわけだ。
週刊金曜日の文聖姫編集長は朝鮮新報平壌特派員だった1996年、平壌市郊外にある朝鮮中央テレビの局舎でリさんにインタビューした。リさんは報道とは打って変わって、スーツとスカート姿だった。穏やかで物静かなしゃべり方が印象に残っているという。
文氏によれば、リさんは平壌の演劇映画大学出身。在学中は女優を夢見ていたという。北朝鮮では国が卒業後の進路を指示する。「アナウンサーになりたかった同級生が女優になり、私がアナウンサーになってしまった」と語った。
リさんは「最高指導者の動静を伝えるときは、いかに格調高く、威厳をもって伝えるかに気を配っている」と話した。ただ、文氏がどんな質問をしても「首領様(金日成氏)と将軍様(金正日氏)のお陰です」という答えになってしまったという。
朝鮮中央テレビは1963年に開局した。70年代に入り、カラー放送を始めた。電力不足や番組コンテンツの不足もあってか、平日と土曜日は午後3時ごろから、日祝日は午前9時ごろからそれぞれ放送を始める。
朝鮮中央テレビには、日米などの放送局と異なる特徴が幾つかある。ひとつは、1時間単位、10分単位といったきりのよい単位で統一されていない放送時間だ。毎日伝えている報道番組も、日によって分刻みで長さが異なる。時々、番組の間に生まれる隙間を、音楽などで埋める。ごくまれに、軍事パレードなど重要な国家行事を生中継で伝えることもあるが、日常の番組はすべて録画放送だ。
文聖姫氏や脱北者らの証言によれば、北朝鮮の番組は朝鮮労働党宣伝扇動部や国家保衛省(秘密警察)などが必ず検閲する。場合によっては、当局が「不適切だ」と判断した場面をカットしたり、逆に映像を追加したりする。このため、放送時間にばらつきが出てしまうようだ。
ロシアによるウクライナ侵攻を巡っては、ロシア国営テレビ「第1チャンネル」のニュース編集者、マリナ・オフシャニコワさんがニュース番組の生放送中に「NO WAR(戦争反対)。プロパガンダを信じないで」などと書かれたプラカードを掲げ、一時的に拘束された。北朝鮮ではほとんどが録画放送なので、こうした事故はまず、考えられない。文聖姫氏がリ・チュンヒさんをインタビューした際も、同席者がいて発言に目を光らせていた。
当然、朝鮮中央テレビのニュース番組はつまらない。パターンはいつもほぼ同じだ。最初に最高指導者の動静、次に国家経済5カ年計画のような当局が力を入れている政策を実行している現場のルポなどが続く。最近では、炭鉱や農村などに「嘆願して」出発する青少年たちの姿を伝え、「おまえたちも後に続け」と無言の圧力をかける。
その後に新型コロナウイルスの世界の感染状況を伝えることで、防疫措置の徹底を言外に呼びかける。最後に、外国のニュース。ほぼ、「火山の噴火」や「台風被害」など、海外の「悲惨なニュース」か、リサイクル活動など北朝鮮にも役立ちそうな情報を伝える。ウクライナで起きているロシア軍による一般市民殺害などのニュースは流れない。ロシアを支持している当局にとって都合が悪いからだろう。
北朝鮮で起きた殺人事件や交通事故など、国際社会に宣伝している「地上の楽園」を否定するニュースも流さない。「一罰百戒」を目的に伝えたいときは、「第3放送」と呼ばれる、各世帯や職場に備え付けられた有線放送を使う。
文氏によれば、この放送では犯罪者や交通違反者の名前を具体的に読み上げ、市民に警告していたという。脱北者らの証言によれば、米朝が緊張していた2017年には「車に偽装ネットをかけろ」という指示が第3放送で流れた。正恩氏が後継者に内定した2009年ごろには、第3放送で「青年大将」という言葉や、正恩氏をたたえる歌「パルコルム」も第3放送で流れていたという。
当然、朝鮮中央テレビは市民の間で人気がない。当局も新聞にテレビ欄を設けるような努力はしない。前日の放送の最後に「明日の放送予定」を伝え、当日の放送の合間に「これからの放送予定」を伝える程度だ。
ただ、リ・チュンヒさんがニュースを読み上げた11年12月の金正日総書記の死去や17年11月の大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15」の発射など、当局が伝えたいニュースがある場合は、アナウンサーらが「本日の何時から特別報道がある」などとした予告を繰り返し流す。
脱北者の1人は「職場で働いている時に予告が流れると、その時間帯に、緊急の用事がない限り、テレビの前に集められて、皆で視聴した」と語る。訪朝経験がある専門家も「あるとき、ホテル従業員の姿が一斉に見えなくなった時があった。後で、その時刻に特別放送があったことを知った」と語る。あくまでも、「伝える側」の都合で放送を組み立てている様子がよくわかる。
朝鮮中央テレビにコマーシャルはない。2009年に一時期、初めて大同江ビールや平壌の玉流館レストランなどのCMを放映したが、わずか数カ月で消えた。文聖姫氏は「CMでスポンサーから資金提供を受け、番組を制作する必要がないからでしょう」と語る。別の北朝鮮専門家も「北朝鮮には企業間の競争がほとんどない。市民もコマーシャルで新製品を知ったからといって、すぐにその品物を買えるわけでもない。コマーシャルなど意味がないだろう」と語る。
13日には、リさんと同じように、朝鮮中央放送委員会責任アナウンサーのチェ・ソンウォン氏と労働新聞社論説委員のトン・テグァン氏もアパートをプレゼントされた。文聖姫氏によれば、トン氏は労働新聞2面に時々掲載される大型の解説記事「政論」で、最高指導者にまつわるエピソードを紹介できる数少ない執筆者の1人だ。
金正恩氏は自らの動静やエピソードに関する報道は必ず事前に目を通しているとされる。リさんもトンさんも最高指導者に近い存在だとも言える。オフシャニコワさんは番組で戦争反対を訴えたことについて「過去数年の間、第1チャンネルで働いて、ロシア政府のプロパガンダを伝えていた。今、そのことを強く恥じている」と語っていた。
新しいアパートをもらったリ・チュンヒさんは放送中、ずっと金正恩氏を見つめていた。