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常見陽平「やっと昭和が壊れてくれた」 Z世代と意識高い系の間にある、大きな違い

World Now 更新日: 公開日:
常見陽平・千葉商科大学准教授

――「Z世代」と呼ばれる若い世代を、どのように見ていますか?

最初に気をつけたいのは、メディアにとりあげられる「尖った」Z世代の人たちと、ふだん私たちが接している若者がイコールなのか、ということです。

それぞれの世代ごとに特徴はあるし、そこにフォーカスすることは間違っていないのですが、特異な部分だけを切り出していないでしょうか? 特異点をとらえて世代論を語ると、どんどんずれていってしまう。世代の最も尖った部分に、メディアや私たちが引きずられる傾向はあると思うのです。

私は「世代の違い」というよりも、それぞれの世代を象徴する「フロントランナーの違い」だと捉えるべきじゃないかと思っています。

こうした注意点をふまえたうえで言いますと、「Z世代」と呼ばれる若い人たちを見ていて思うのは「自分のことじゃなく、むしろ社会のことに関心があるのだな」ということです。

――「自分より社会のことに関心がある」のですね?

「意識高い系」と呼ばれていた若者について、私が『「意識高い系」という病』(KKベストセラーズ)という著書をまとめたのは2012年のことでした。

そういう若者は、セルフブランディングや自己啓発、人脈自慢など、いわゆる「自分磨き」に精を出していて、「有名企業に入社したい」「自慢できるような外資系企業に入りたい」「そこで力をつけたら独立したい」といった思いを持っていました。

それで、競争に勝ち抜くために自分のプロフィルを誇張してみたり、勇ましいことをSNSに投稿したりしていました。そんな空回り具合を、「意識高い系」と表現して論考したのです。そういう意識高い系の人にとって、結局、関心のありどころは「自分」だったのです。

常見陽平氏が2012年に出版した『「意識高い系」という病』

いまのZ世代といわれる若い人たちの問題意識は、個人の自己実現をどうするかではなく、社会をどうしていきたいか、にあるのです。本気で「社会を変えていきたい」という思いを感じます。

興味深いのは、だからといって「社会に怒りを感じている」わけでもないことです。「怒っている」のではなく社会を愛しているが故に社会を変えていきたいと思っているのです。

――社会に「怒っている」わけではないのですね。

もっと上の世代には、「マルクス2.0」「マルクス3.0」のようなタイプの人たちがいます。企業は敵だ、社会は敵だ、企業社会はおかしいという立場で、「企業に怒っている派」とでもいいましょうか。でも、私から見ると、企業には企業の合理性があって、事情を抱えながらそれぞれのビジネスをやっているのですが。

上の世代には、もともと対立的、論争的なマインドが備わっているのですが、Z世代は社会を変えたいと思いながらも「調和」を重んじているようです。

――社会を変えたいという思いから、社会起業家を志すZ世代も多いです。

私が「意識高い系」の若者を論じた約10年前にも、すでに「社会起業家」と呼ばれる若い人たちはいました。ただ、どこか私利私欲を感じてしまう人が多く、有名になって社会での発言力を増したいのではないか、と思わざるをえない人もいました。

起業するのは、そういう「ギラギラした人」「弁の立つ人」というイメージがありましたが、いまのZ世代は、コミュニケーションは得意でないけれど社会を変えたいから起業する、という人がいます。社会に理想のものが見つからないのであれば、自分で起業して会社をつくっちゃえ、というマインドがあるように感じます。

私と同世代の起業家として、例えば、堀江貴文さんのようなIT長者が数多くいましたが、資本主義経済の枠組みの中で「稼ぐが勝ち」という側面がありました。その点で、Z世代は明らかに違います。

常見陽平・千葉商科大学准教授

――そんなZ世代の特徴は、どのように形成されたのでしょうか?

自分を取り巻くさまざまな「制約」のようなものを、物心がついたときにすでにSNSによって解き放つことができたからではないでしょうか。SNSなどを通じて海外で起きている話題も吸収でき、例えばグレタ・トゥンベリさん(スウェーデンの環境活動家)のような若者が世界にいるんだ、と瞬時に分かります。

海外との接点が増えて、海外に住んだ経験のある子どもが多い。こうしてZ世代は、独特の進化を遂げたという見方もできます。

――「独特の進化」ですか。

私は、Z世代の若い人たちが登場して、ようやく新しい日本が始まったといいますか、やっと「昭和が壊れてくれた」と考えています。Z世代の人たちは、いろいろなことをゼロベースで考えられます。「そもそもこんなに大変な思いをして、なんで毎朝通勤しなくちゃいけないの?」とか、「そもそも、なんで死ぬほど残業しなくちゃいけないの?」と根源的なところから考えています。

Z世代をめぐっては、メディアなどで「この世代は物心ついてから、明るいことが何一つなかったのだ」などと言われがちですが、そうであるがゆえに「理想の社会の姿って何だろう?」という模索がしやすかったのです。そういう環境の中で、世界のあらゆる事象にアクセスして独特な進化をしていったのかもしれません。

――常見さんは勤務先の大学で、まさにZ世代の学生たちと向き合っています。どんなことを感じますか?

大学で教えていて実感するのは、「消費には意味を見いださない」ということです。私たちの世代以上のようにデパートでモノを買ってうれしいとか、みんながうらやましがるブランドものを身につけて喜びを感じるとか、そんなことには特別な意味を見いださないのです。

「所有」より「体験」の方を大事にしているように感じます。例えば、アディダスの人気スニーカー「スタンスミス」とか、自分で所有しなくてもインスタグラムなどで著名人がはいている様子を見ているのが楽しいという感覚があるのです。私たちの世代以上には、理解できるような理解できないような話ですが、Z世代の人たちは実際にそうなのです。

あと、Z世代が関心を寄せるのは、やはり「環境問題」ですね。それは、地球が本当に悲鳴を上げているから、切実な問題になっている、という背景があるのですが、その場合も、やはり「怒り」ではなく「調和」の態度でアプローチしようとしています。

――Z世代は流行語にもなりました。これほど注目を集めるようになったのは、なぜでしょうか?

Z世代がこれほど注目されるようになったのはSNSなどでつながっている大人たちが支持してくれたからだと思うのです。ユーチューブなどに発信スペースを設けることで、共感した人たちが何万人も立ち寄ってくれる。ただ、Z世代の旗手と言われている若者に言いたいのは、それはある意味、蛸壺(たこつぼ)化かもしれないということです。世の中のさまざまな価値観を持っている人とも接し、もまれることは大事ですよと言ってあげたいです。他者ともまれることで磨かれていくことはあります。

――一方、冒頭に話が出た、「社会に関心がある」ことはいいことではないですか。

私は、その捉え方には違和感もあって、Z世代が社会に関心を持っているのはなぜか、というと、それはつまり「社会に不安を感じているから」「社会が不安定だから」ということの裏返しです。

政治に関心を持とう、投票に行こうと、よく言われますが、国民みんなが投票に行くようになることは、自分たちの利害関係が非常に切実になったということの証左でもあります。Z世代の若い人が社会に関心を持つにいたった背景を考える必要があると思います。

つねみ・ようへい 札幌市出身。リクルート、バンダイ、フリーランス活動などを経て、2015年に千葉商科大学国際教養学部専任講師、20年から准教授。専門は労働社会学。会社員のほかフリーランス経験を生かし、さまざまな視点から働き方や就職活動を論じている。