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日韓慰安婦合意、こうして溝は埋められた 交渉担当者が打った数々の布石 

揺れる世界 日本の針路
韓国大統領選で当選した尹錫悦・前検事総長
韓国大統領選で当選した保守系最大野党「国民の力」の尹錫悦・前検事総長=3月8日、東亜日報提供

尹氏は当選直後の10日、ソウルの顕忠院(国立墓地)を訪れ、「偉大な国民と共に、統合と繁栄の国を築きます」と記帳した。

得票率の差はわずか0.7ポイント。大統領選はまれに見る接戦だった。野党に転落する「共に民主党」は議会で6割近い議席を持つ。尹氏と岸田文雄首相は11日の電話会談で、日韓関係を改善する考えで一致したが、日韓双方の世論をまとめるのは簡単ではない。

振り返れば、13年2月に誕生した朴槿恵政権も、同じ状況に陥っていた。

朴氏は大統領選中、「父親(朴正熙大統領)は、日本統治時代に高木正雄を名乗っていた」と批判され、「親日派」のレッテルを貼られた。韓国の元外相、柳明桓氏は「韓国で親日派のレッテルを貼られることは致命的で、朴大統領のトラウマになった。韓国で初の女性大統領なので、女性の人権問題でもある慰安婦問題で役割を果たすべきだとも考えた」と語る。安倍晋三首相が当時、慰安婦問題に関する河野洋平官房長官談話(1993年)の見直しを進める考えを示したことも影響したという。

柳明桓氏は「朴大統領は、慰安婦問題が解決しなければ、韓日関係を前に進められないと考えてしまった」と語る。日韓関係はその後、1年以上停滞した。

問題解決に動いたのが、13年6月に駐日大使に着任した李丙琪氏だった。

李氏は菅義偉官房長官に「慰安婦問題を解決しないと韓日関係が改善できない。局長協議を始めたい」と提案し、菅氏も応じた。

こうして14年4月に日韓局長協議が始まったが、事態は進まなかった。柳明桓氏は「慰安婦のような問題を官僚だけで解決するのには限界がある」と語る。同年7月、韓国の情報機関トップである国家情報院長に就任していた李丙琪氏は同年秋、韓国の国家安全保障会議で「外務局長協議では話が進まない。高位級に格上げすべきだ」と提案した。朴槿恵大統領は李丙琪氏を交渉役に指名した。

元駐日韓国大使の李丙琪氏
元駐日韓国大使の李丙琪氏=2013年6月、池永牧子撮影

李氏が頼ったのが、14年1月に国家安全保障局長に就任していた谷内正太郎氏だった。李氏は駐日大使時代、柳氏の紹介で知り合った谷内氏と信頼関係を築いていた。

14年冬から李丙琪氏と谷内氏による秘密協議が始まった。情報機関トップとして国外に出ることが難しい李氏の事情から、谷内氏がたびたび訪韓した。李氏の代わりに、柳明桓氏が訪日したこともあった。

秘密協議は様々な困難にぶつかった。慰安婦問題を巡り、韓国内では「日本の法的責任を認めさせるべきだ」という声が強かった。日本は1965年の日韓請求権協定によって解決済みとの立場から「法的責任」という表現は絶対に認められないと主張した。日本側はソウルの日本大使館近くに設置された慰安婦を象徴する少女像の撤去の約束を求めた。元慰安婦らを支援する財団の名称や活動内容、日本による支援金額を巡っても交渉は難航した。

秘密交渉が難航するなか、日韓の政治家と世論をつなぎとめるため、努力したのが柳明桓氏や柳興洙氏らだった。

柳明桓氏は「当時、2015年6月22日の韓日国交正常化50周年を関係改善の一つの契機にしようと考えていた。逆に、ここで失敗したら、改善の機運が消えてしまうと思った」と語る。

14年9月、韓国・仁川でのアジア大会開会式に森喜朗元首相が出席した。柳興洙大使は大統領府にかけ合い、森元首相と朴大統領との会談を実現させた。

柳明桓氏は14年11月、孔魯明元外相と共に訪日し、中曽根康弘氏、森氏、福田康夫氏ら首相経験者に面会し、日韓で関係改善の機運を盛り上げる賢人会議を作ろうと提案した。

15年3月に東京、同年6月にソウルで、それぞれ会議を開いた。日韓の出席者は東京では安倍首相に、ソウルでは朴大統領にそれぞれ面会し、関係改善を訴えた。柳明桓氏は「安倍首相は私たちの話に共感してくれた。朴大統領は面会が終わった後も、森元首相とずっと長く話し込んでいた」と話す。

6月22日、日韓両政府は東京とソウルで記念レセプションを開くことになった。関係者は安倍首相と朴大統領の出席を望んだ。当時、駐日大使だった柳興洙氏によれば、日本側は当初、「通常国会への出席」を理由に、安倍首相の出席は難しいと考えた。

柳興洙氏は当時、森元首相と河村建夫元官房長官に仲介を依頼した。河村氏はレセプションの3日前である19日、柳興洙氏の携帯に電話をかけてきた。「もし、安倍総理がレセプションに出たら、朴大統領は必ず、ソウルでのレセプションに出席するのか」

柳興洙氏は「責任をもって出席させる」と答え、当時、大統領府秘書室長に就任していた李丙琪氏に電話した。「韓日関係の改善のためだ。必ず出席させてくれ」と頼んだ。柳興洙氏は「こういう難しい事態になると、官僚は自分で判断できない。私は青瓦台(大統領府)と直接やり取りしていた」と語る。

日本側から、「10~15分だけ立ち寄って、あいさつだけする」という連絡が来た。柳興洙氏は「そんなことをすれば、逆に批判される。少なくとも日韓両大使や総理、大統領のあいさつが終わるまではいて欲しい」と説得し、レセプションは成功した。

元韓国外交通商相の柳明桓氏=2016年5月、東岡徹撮影

同じ15年の夏、柳明桓氏は訪日し、谷内氏と昼食を共にした。谷内氏は「もし、時間があれば、この後、一緒に官房長官に会ってくれないか」と依頼した。
柳明桓氏は菅官房長官に「李丙琪は朴大統領の信頼も厚いし、口先だけの男ではない。少女像の撤去も文書での約束は難しいが、たとえ口頭での合意でも、李丙琪は一生懸命やるはずだ」と説得した。菅氏は黙って聞いていた。柳明桓氏は「安倍総理は当時、慰安婦合意に慎重だったそうだ。谷内さんは菅さんの助けが必要だったんだと思う」と語る。

周囲の熱心な説得や助けもあり、安倍首相の気持ちも徐々に変わっていった。

2015年7月、ドイツ・ボンで開かれた世界遺産委員会は「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録を決めた。当時、韓国は登録に反発し、日本と対立していた。当時の岸田文雄外相らは一時、「投票やむなし」として票読み作業を指示していた。ただ、日韓関係改善の動きに配慮した安倍首相が、投票に持ち込まれた場合に日韓関係に重大な影響が出るとして、妥協しての合意を指示した。

日韓慰安婦合意も、韓国側が「法的責任」という言葉を盛り込む要求を引っ込め、「日本政府は責任を痛感している」という表現で妥協した。代わりに、日本政府の予算で財団の資金を出すことになった。韓国は国内向けに「法的責任と同じ意味だ」と説明できるようになった。

柳明桓氏によれば、日本側が当初提示した金額は、合意した10億円の3分の1程度だったという。李丙琪氏が「足りない額はポケットマネーで補うから」と説得し、10億円になった。

韓国も少女像の撤去については合意に含めなかったが、日本側の求めに応じて「今回の発表により,日本政府と共に、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と明記した。

この財団は2019年に解散された。李丙琪氏は2017年、国家情報院の「特殊活動費」をめぐる贈賄の罪に問われ、逮捕された。いずれも文在寅政権下の出来事だ。

柳明桓氏は「文政権も慰安婦合意は依然有効だと認めている。合意は最終解決をうたっており、韓国の新政権が再び提起する必要もない」と語る。そして「少女像の撤去には実際、少し時間がかかるだろう。ただ、韓国には、道徳的な義務がある。新政権が市民団体を説得する姿勢を示すことが必要だ。戦時女性人権問題を扱うNGOを支援することで、市民団体の理解を得ることもできるだろう」と指摘する。

2015年12月、慰安婦問題をめぐる日韓合意の締結へ向け、会談前に握手する岸田文雄外相(左)と韓国の尹炳世外相(いずれも当時)=ソウル、飯塚晋一撮影

尹錫悦次期大統領は岸田文雄首相とともに、日韓関係を再び改善させることができるだろうか。

岸田首相は過去、文政権が財団を解散したという話を聞き、菅氏も李丙琪氏が逮捕されたニュースを聞いて、共に激怒したという。柳明桓氏によれば、慰安婦合意を推進した谷内氏も、安倍氏から「だから言ったではないか」という趣旨の言葉を浴びたという。

柳明桓氏は「朴槿恵政権と文在寅政権では、大統領を支える側近たちの志が違った。尹新政権の側近たちは朴政権当時と同様に、韓米関係や韓日関係の重要性を十分理解している。日本の政界には厳しい意見もあるだろうが、長期的な視野や韓国の地政学的な事情も考え、世界の政治リーダーであるG7の一員として、ぜひ韓国をリードしてほしい」と語る。

柳興洙氏も「文在寅政権は北朝鮮と中国を重視する傾向があり、日本を意図的に敬遠した。韓日関係を政治に悪用しようとする動きもあった。反日は愛国であり、親日は売国だというフレームを政治利用してはいけない。国家間の約束である慰安婦合意を無視したことは衝撃的であり、徴用工判決問題も望ましいものではなかった」と語る。

そのうえで、柳興洙氏は「韓日関係は希望が持てる。尹錫悦氏が日本に非常に好意的な発言をしている点に注目してほしい。岸田首相も穏やかな実利主義者だし、尹錫悦氏も政治的な計算はしない人物だ。お互いに努力すれば信頼関係が構築できる」と指摘する。

「関係改善には信頼関係の回復が前提になる。まずは、首脳の往来が必要だ。尹大統領就任式に岸田首相が出席することも一度検討してみてほしい。日本は過去に謙虚であり、韓国は未来に目を向けるべきだ」

ユ・ミョンファン 1946年生まれ。外交通商省(現外交省)北米局長、第1次官などを歴任し、2007年3月から08年2月まで駐日大使。李明博政権では外相を務めた。

ユ・フンス 1937年生まれ。忠清南道知事、交通省次官などを経て国会議員を4期務めた。14年8月から16年6月まで駐日大使。現在、韓日親善協会長や「国民の力」常任顧問を務める。