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知識人が徹底迫害されたあの時代 中国が正史には載せない悲劇、生々しく描いた本

Bestsellers 世界の書店から
『故国人民有所思(故国人民に思いを寄せて)』
相場郁朗撮影

今回のランキングは、北京大学(北大)校内の書店から選んだ。購買者はほぼすべて北大関係者である。ここに掲げたランキングリストの著者や内容は、すべて北大に関わる。

中国共産党が建国当初の新民主主義路線から社会主義路線へと転換していくなかで、1951年末から官僚の腐敗を摘発しブルジョア思想を批判する「三反五反運動」が展開され、57年からの「反右派闘争」へ。大学教授を務めていたトップクラスの知識人には「民主教授」と呼ばれた非党員が多く、党の指導を下達することに不慣れなこともあって、党から彼らへのイデオロギー教化が混乱を招いた。

その思想改造運動は彼らの学業の権威を失墜させ、生活を破壊し、本人とその家族の心身に癒えない傷を残した。本書『故国人民有所思(故国人民に思いを寄せて)』(書名の出典は毛沢東の詩の一節)は、同時代資料を駆使して悲劇の顛末を生々しく記録する。

とりあげた学者11人のうち9人が北大関係者。迫害の理由はさまざまである。戦後は台湾に移った元北大学長胡適との関係をとがめられた文学者の兪平伯と哲学者の湯用彤、国民党に入党し蒋介石を持ち上げた汚点を執拗に責められた西洋哲学者の賀麟、ソ連式の農業理論に追随せず、大躍進の時代に喧伝された密植農法に異を唱えた農業学者の蔡旭、「新人口論」を発表し計画出産を提唱し、北大学長まで務めた馬寅初は、ブルジョア経済学に学んだとして批判され、名誉回復されたのは79年だった。運動の動機には教授同士の足の引っ張り合い、若手教員の下克上、学生からの突き上げもあった。

最終章は党員でマルクス主義理論を教える筋金入りの馮定の一幕だ。彼の修正主義批判では、党中央―大学党委員会―哲学系党支部をめぐる角逐が暗闘を長引かせた。哲学系支部書記の聶元梓の大字報(壁新聞)を毛沢東が称賛しての幕引きは、同時に文化大革命の開幕となる。知識人批判は党外へ大学外へ全人民へと拡大していく。

活写された歴史の真相は、正史とされる『中国共産党簡史』『中華人民共和国簡史』など「四史」からはうかがえない。北大でよく読まれていることに曙光が射す思いである。

■執念のアフガニスタン考古紀行

日本人にとってのアフガニスタンというと、現地の農業灌漑(かんがい)事業のために尽力しながら2019年末に凶弾に斃(たお)れた中村哲医師くらいしか思い浮かばない。2021年8月末に米軍駐留部隊が撤退してから、タリバンが政権を奪還して全土を制圧したことは日々の時事ニュースで周知のことだが、日本独自のニュースとなると自衛隊機で現地日本人1名を退避させたことくらいだろうか。

ここ中国でははるかにアフガニスタン関連のニュースは多く、米軍撤退前後は現地報道員からのリポートも含めて連日のように報道されていた。さすがに国境を接しており、「一帯一路」政策もあって、結びつきははるかに強い。本書『アフガニスタン考古探訪記』がベストセラーとなっているのも、アフガニスタン問題への関心の高さを物語っている。

とはいえ本書『阿富汗訪古行記』は2014年と17年の2度にわたる短期間の旅行記であり、刊行は2021年の6月であるうえに、アフガニスタンの歴史遺跡の探訪記である。米軍撤退にいたる国内事情や国際政治学的な知見は、本書から得るべくもない。

だが訪問した遺跡にまつわる記載からは、中国とアフガニスタンの深い歴史的つながりを想起させる。たとえばバグラーム遺跡は1400年前に三蔵法師玄奘が訪れていて、かつての景色や現地の風俗が『大唐西域記』に記されている。タリバンによって破壊されたバーミヤンの大仏では、一帯の石窟の内部をのぞきながら敦煌の莫高窟に思いをはせる。アフガニスタン北部の主要都市バルフはかつて大夏の首都で玄奘が来訪していた。

著者の劉拓は1990年生まれで、北京大学考古文博学院の博士。専門の考古学研究のほかに、これまで三十数カ国に及ぶ世界各地の遺跡を訪ね歩いてきた旺盛な行動力と豊富な経験を持つ。その執念はすさまじい。2017年の10日間の旅程で、空路とチャーターした車で首都カブールを拠点としながら、東西南北の広大な範囲の各地遺跡を巡っている。念願のアフガニスタン最初の世界遺産であるジャム・ミナレットを参観するためには、飛行場から車で途中アヘンの原料となるケシの花畑を通り過ぎ、タリバンの襲撃におびえながら海抜2400メートルの山峡に到る危険を冒さなければならなかった。

当然のことながら緻密な旅行計画が要求される。現地の行路と治安を知悉(ちしつ)した運転手とガイドをチャーターし、一日数便しかない航空便に乗りはぐれないようにしなければならない。

確かに劉拓は緻密な計画を立てたが、現実には計画通り運ばない。湖の全容を視界に収めようと海抜3000メートルの山上に駆け登って下りてきたら、チャーターした車が見当たらず乗り逃げされ、カブールへの帰便に間に合わない。北部のファイザバードでは2人の華人と懇意になりながら、散歩したさいにみかけた小奇麗な民家のおじさんに夕食を招待され、約束の時間に戻らないのを誘拐されたかと肝を冷やした華人の怒りを買ってしまう。計画が細心な割にはあまり沈着冷静な学者タイプでもないようだ。現地のガイドにだまされホテルのひどい待遇に遭い法外な報酬を要求されると、激高しパニックで泣きわめいてしまう。

日本の海外旅行記にありがちな、現地の人とのつかの間の心あたたまる触れ合いを大切にするような湿った情感にも欠けている。なにより旅程優先で、人との交流で旅程を変更して古跡を見逃すようなことがあってはならないのである。そのくせ、各地のバザールをめぐってはブルカとニカブで全身を覆う女性にしか出会えないと残念そうに書く。旅の最終日、カブール博物館を訪れた早朝に、たまたま見かけた「トルコ石山」と案内板に書かれた瀟洒(しょうしゃ)な建物に入り、事務員の女性が握手を求めてきたことをもって、「アフガニスタンでただ一度だけ女性の肢体と接触した」と書き留める。

いかにも理科系専門家の旅行記といった味わいだ。かの前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書、2017年)の読後感に近いものがある。
この旅行記はアフガニスタン各地の地方性について、いろいろな情報を教えてくれる。著者が会話を交わしたアフガニスタンの航空会社のCAは、100回近く国内便の搭乗業務に就きながら、空港の外に出ることは死を意味するから、空港から一歩も出たことがないという。極限まで悪化した治安状態である。

タリバンの襲撃を警戒しながら、カブール市内の山上に住み着いた貧民区の人びとの暮らしをのぞき、西部のヘラートではタリバンに破壊しつくされた博物館を訪ね、タリバンが深く浸透した全土で最も危険な都市とされるガズニを訪れたかと思うと、タリバンに占拠されているカンダハルでは治安がよく現地の警察がタリバンの不興を買わないよう怯えている実情を伝える。2001年911事件の前々日に暗殺されたアフガニスタンの英雄マスード将軍の本拠地であるパンジシールを探訪しているのも興味深い。

旅の締めくくりはカブール博物館。1992年からの内戦で館内は破壊され、大量の文物が国外で売却され、1996年にはタリバンが接収し、2001年にバーミヤンの大仏破壊の際に地下室で保存していた文物が破壊された。2003年に修復が始まったさいは、隠していた文物や破壊された破片を集めて陳列した。その中にはのちに日本画家の平山郁夫が購買し保護し2016年に東京でアフガン宝蔵巡回展をしたあと返還した102件の文物が含まれている。現在は、博物館特選の常設展示品だという。中村医師のほかにアフガニスタンにとって記憶されるべき日本人がもう一人いることを本書を通して知った。端倪(たんげい)すべからざる青年考古学者の見識である。

だが、なんと本書が昨年2021年6月に刊行されてまもなく、10月27日、四川省の山中で洞窟壁画を探査中に崖から墜落し命を落とした。享年31歳の俊秀の早すぎる死であった。

■自己との対話、青年人類学者の思想遍歴

本書『把自己作為方法:与項飆談話』のタイトル『方法としての自己』は、『方法としてのアジア』(竹内好)、『方法としての中国』(溝口雄三)を想起させる。竹内と溝口は他者(アジア/中国)から照射した自己(日本)像の批評を試みたが、本書は自己への省察を通した他者認識という逆方向のアプローチをたどる。タイトルだけからは功成り名遂げた大家晩年の回想記を連想させるが、著者項飆は1972年生まれの気鋭の学者である。しかも元来は他者や異文化社会を観察し、その生活世界や思惟様式を記述するとされる人類学を専門とする。

項飆と呉琦の共著となっているが、副題に「項飆との談話」とあるように、両者の談話録である。呉が聞き手となって項が呉の問いかけに誘発されて述懐するスタイルとなっており、対話・対談というよりは口述史(オーラル・ヒストリー)に近い。ただ問いは必ずしも時系列になっていないうえに系統的な議題設定はされておらず、一読したところ雑談・漫談風の仕上がりになっている。

項と呉は北京大学卒業の学友。呉はジャーナリズム・コミュニケーション学院専攻で、項の20年ほど後輩に当たり、許知遠が発行人の一人を務める現代思想系シリーズ『単独』の編集長でもある。許も北京大学卒業で、日本関連の著述が多く日本でもなじみのふかい知識人。本書に序文を寄せている。

項飆は浙江省温州市の生まれ。温州は1980年代半ば、中国の人類学・社会学の創始者である費孝通が、温州の家内工業で製造された日用品が全国市場に流通していることに注目し、「温州モデル」と呼んだ場所。改革開放以降、在地の自主的なネットワークと地場産業によって大発展を遂げた。

項は1995年に北京大学社会学系を卒業、修士号取得の後、2003年、イギリス・オックスフォード大学で社会人類学博士号取得、現在はオックスフォード大学教授(社会人類学)のほか、ドイツのマックス・プランク社会人類学研究所所長を務める。その間、シンガポールやオーストラリアにおいても研究生活を送った。人類学者の業績としては、1980年代から北京市の一角に形成された「浙江村」での住民たちの6年にわたる生活記録を通して、改革開放時期における中国の流動人口と都市の社会経済の発展との相関関係を考察した『境界を越えたコミュニティー――北京「浙江村」の生活史』(中国語版、2000年)、インド人はグローバルな情報技術産業に労働力としてどのように配置され適応しているのかを考察した『グローバル「身体販売」――世界情報産業とインドの技術労働者』(英語版、2006年)で知られている。

評者は2007年に広州のある研究会で項飆と出会い歓談した。痩身(そうしん)で物おじしない聡明そうな風貌と、才気煥発(かんぱつ)な発言とともに、感受性の過敏さをうかがわせる鋭い眼光が印象に残る青年であった。

本書の談話は2017年から19年にかけて、北京・オックスフォード・温州の三地で行われた。前後の話の展開に脈絡はないため、談話の内容を要約するのは難しい。だが、項にとってのこの三つのトポスに対する情感の差異は、談話の内容に陰影を落としている。

北京での話題は北京大学を中心とするいわば修業時代の回想であり、項にとっては疾風怒濤(どとう)の煩悶(はんもん)期で、沈鬱(ちんうつ)と焦慮の情感に彩られている。無理もない。北京大学に入学した1990年は「政治風波」の翌年で、1年間の軍事訓練が課せられ、石家荘市の陸軍学院に入れられ、体制への順化が課せられていたのだ。

1980年代の「文化熱」と呼ばれた知識人の鼓吹する自由・民主・開放の熱気は、90年代に入ると一気に冷めていった。1992年には鄧小平の「南巡講話」があって市場経済化が加速するとともに、知識人は民衆と遊離し、学術への専門化と孤立化を深めていく。知識人の威光はあせて権威は失墜し、よりどころを文化的ナショナリズムに求め、「国学熱」が盛り上がった。学生は信念を失い学業よりも商業の金もうけに活路を見いだそうとした。

オックスフォードでの話題は、研究者として立身した経験を踏まえた、大学の役割である。国家への奉仕や研究業績への負担から解放された自由で開放的な学風の中で、項は自己の生活経験に学術のスタイルを呼応させる方法を習得していく。その方法とは、簡略化して言えば、辺縁人(マージナルマン)である自己を中間者・媒介として、他者とつながり世界に入る、ということである。学術はそのための工具(ツール)であって「天職」(M・ウェーバー)ではない。学風としては、理論先行・抽象志向ではなく、内容本位・直接志向である。

大学の役割は研究よりも教育を優先すべきであって、生きる範例を示すところではなく、生き場所を確保するために例外を成立させる場所であるべきだという。1919年の五四運動の起点となった北京大学、あるいは1968年の世界同時的な学園紛争のような事例が想定されている。ただし、いま大学に求められているのは、あのようなマスによるポピュリズム型の異議申し立てではなく、個人経験の地方性・多元性を尊重した例外の許容である。そのことを項は「(方法としての)国境を越える自足した小世界」と言い表す。

このような知見を獲得する契機として、オックスフォードでの教学経験だけでなく、異質な多文化が流動し融合するシンガポールでの生活と、そこで多分野の様ざまな研究者との学術共同体をプロデュースしてきたシンガポール大学アジア研究所のP・ドゥアラ所長(当時)との出会いが大きいと思われる。ちなみに同研究所では同僚の日本人女性と出会い結婚することになる。

2000年代はポストコロニアリズム研究やカルチュラルスタディーズが盛り上がった時期でもある。かつてコロニアリズムの目線で他者の未開社会を「発見」し「解釈」することに努めてきた人類学は、欧米中心主義を自己批判し、他者を通して自己省察をする学問への転身を図ってきた。そのような人類学再生のムーブメントのなかで、人びとが多様性のなかで移住し流動する実態を追求する項の研究スタイルが成熟していった。とくに近現代中国史論の代表的研究者である汪暉との『弁論中国』でのコラボが、中国が目下直面するグローバルな諸課題への感覚を研ぎ澄まし、有効な人類学的知見を提供するうえで良好な刺激を与えているように思う。

温州での話題は、現在のナショナリズム全盛の時代の空気のなかで、温州人としてのアイデンティティーを再確認することと、知識人の役割に対する省察である。資本主義の進展とともに、金融資本が経済活動の主役となり、労働力としての人はますます周縁化し、文化までもが資本化するという新たな「疎外」が起こっている。知識人は民衆との接点を失い、生きづらさを痛感する若い世代の苦悩をすくい取れないでいる。グローバル化の中で人々の生活スタイルや価値観は緊密につながっているのに、国家間対立はますます激しくなっている。中国では国家権力が強化されて国家機能が社会をも包摂しつつあり、都市と農村が遮断され、都市住民にとって郷里や農村は帰る場所ではなくなりつつある。

そのような中で項が標榜するキーワードは「郷紳(地方共同体の在地の名士・名望家)」である。まさに人類学の祖師にあたる費孝通が提示した概念が「郷紳社会論」だ。彼にとって「郷紳」とは政治上の代議人である人民代表とも、商業化された「公共知識人」とも違う。地域の内情を知悉(ちしつ)し、地域のために有益な条件を創造するビジョンを提示するために誠意をもって省察する人のことを指す。具体的には彼の母方の3番目の叔父がイメージされている。

項は自己を方法としながら、学知を模索し、学知を確立し、学知を使いこなすにいたった。本書は項の自己内対話を通してトレースした思想遍歴の表白である。

中国のベストセラー(総合)

北京大学内の博雅堂2021年11月ベストセラーリストより

1 阿富汗訪古行記
劉拓
若き考古学者がタリバン襲撃の危機にさらされながら探索した、アフガニスタンの古跡群。

2 読史求実:中国現代史読史札記
楊奎松
徹底的な資料探索と解読を通し共産党の正史からは見えてこない政治化された歴史の真実に迫る。

3 把自己作為方法:与項飆談話
項飆、呉琦
北京・オックスフォード・温州で青年学者が語り尽くした、経験と研究を思想へと紡いだ来歴。

4 哲学小史:西方哲学四十講
奈杰爾・沃伯頓(ナイジェル・ウォーバートン)
ソクラテスからピーター・シンガーまで2500年にわたる52人の思想家を40のテーマで紹介。

5 故国人民有所思:1949年後知識分子思想改造側影
陳徒手
建国直後、思想改造運動が11人の知識人にもたらした悲劇は、過ぎ去らない中国現代史でもある。

6 什麼是教育
卡爾・雅斯貝爾斯(カール・ヤスパース)
ドイツの哲学者ヤスパースによる教育に関する論文集。とくに大学教育の理念と役割を強調。

7 我們当時相愛而実在無知:英国詩選
卞之琳編
シェークスピア、ワーズワース、バイロン、T・S・エリオット……、30人の74編を中国語対訳で。

8 人文生境:文明、生活与宇宙観
王銘銘
人は万物と共存しながらいかなる生存環境のもとでいかなる社会ビジョンを描いてきたか。

9 中世紀的知識分子
雅克・勒高夫(ジャック・ル・ゴフ)
アナール学派のリーダーによる、アベラールからエラスムスにいたる中世西洋知識人の系譜。

10 学術前沿:知識考古学
米歇尔·福柯(ミシェル・フーコー)
フランスの歴史哲学家フーコーの歴史認識に関する方法論。