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「核実験再開」ほのめかす北朝鮮、アメリカを揺さぶり 拉致問題に及ぶ影響は

北朝鮮インテリジェンス
2002年10月、北朝鮮から拉致被害者5人が帰国。羽田空港で横断幕を掲げて出迎える横田めぐみさんの父親の横田滋さん(中央)と母・横田早紀江さん
2002年10月、北朝鮮から拉致被害者5人が帰国。羽田空港で横断幕を掲げて出迎える横田めぐみさんの父親の横田滋さん(中央)と母・横田早紀江さん。めぐみさんの帰国は実現せず、横田滋さんは2020年に亡くなった=朝日新聞社撮影

複数の関係者によれば、2012年初め、日本外務省に北朝鮮から連絡が入った。金正恩・朝鮮労働党総書記が権力を継承して間もない時期だった。途絶えていた日朝交渉を再開させる打診だった。

最初の打診の内容は「1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨問題について交渉する用意がある」というものだった。

新しい指導者、正恩氏は新しい外交を目指していた。12年2月には、父、金正日総書記の時代から続いていた米朝協議が「北朝鮮は食糧支援を受けるかわりに核・ミサイル実験を停止する」という条件でまとまったが、北朝鮮は翌3月、長距離ミサイル発射を予告して合意は崩壊した。日本に交渉再開を持ちかけてきたのは、そういう時期だった。

金正日総書記は02年9月の日朝首脳会談で拉致の事実を認め、日本人5人が帰国した。政府は帰国した5人を含む17人を拉致被害者と認定しているが、残る12人や、警察当局が拉致の可能性を排除できないとした人々の帰国は1人も実現できていなかった。

北朝鮮から羽田空港に到着したチャーター機から降りる、前列右から地村保志さん、浜本富貴恵さん、2列目右から蓮池薫さん、奥土祐木子さん、その左奥は曽我ひとみさん=2002年10月15日、朝日新聞社撮影

日本政府は北朝鮮側の新しい提案を検討した結果、金正恩氏が新たな米朝協議を始めるための環境作りや、正恩氏が唱える「経済強国」作りのための支援獲得という思惑があると判断した。同時に、拉致問題解決の可能性があると判断し、米政府にも説明したうえで、交渉に応じることを決めた。

日朝の秘密協議は12年中、両国以外の第三国で数回にわたって行われた。日本側は、出入国記録や航空機の搭乗名簿などから交渉担当者の動きが漏れないよう、特別な措置も取った。

交渉ではまずお互いが、金正恩氏と当時の野田佳彦首相の言葉を一字一句そのままに伝えた。双方は交渉初期、相手が伝えた言葉が本物なのかどうかの確認作業も行った。

北朝鮮の代表は高齢の男性だった。日本側のファイルには資料がなかったが、「赤い貴族」と呼ばれる北朝鮮指導者の側近グループの一人だとみられた。日朝協議の後、一度だけ映像に偶然姿が映り込んだが、この人物について話題になることはなかった。

日本側は、韓国との国交正常化の際に結んだ1965年の日韓請求権協定を説明した。日本は韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの計5億ドルを支援した。北朝鮮との国交正常化の際に日本が支払う金額を明示することはなかったが、北朝鮮側の姿勢は前向きになった。遺骨だけではなく、日本人拉致被害者の再調査実施にも応じた。

日朝は12年11月、モンゴルで政府間協議を行った。交渉合意に至る仕上げの作業のはずだった。

ところが、北朝鮮は12年12月に長距離ミサイルを発射し、13年2月には3度目の核実験を行った。日本側は繰り返し、「実験に踏み切れば、交渉に影響が出る」と警告したが、北朝鮮側は「国内の事情」として取り合わなかった。12年12月には安倍晋三氏が首相に就任した。

一度は停滞した日朝関係だったが、14年3月、拉致被害者の横田めぐみさんの両親と、めぐみさんの娘キム・ウンギョンさんがモンゴルで面会し、再び動き出した。北朝鮮側はウンギョンさんらの旅費も全額負担し、交渉への意欲を示そうとした。

横田めぐみさんの夫とされる金英男さんの会見に同席した、めぐみさんの娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さん
横田めぐみさんの夫とされる金英男さんの会見に同席した、めぐみさんの娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さん(左)=2006年7月6日、平壌で、朝日新聞社撮影

14年5月、拉致被害者らの再調査を北朝鮮が約束した日朝ストックホルム合意が実現した。日本側は交渉で、再び不十分な調査にならないよう、様々な要求を行った。合意には、調査の進展に合わせて「日本側関係者による北朝鮮滞在、関係者との面談、関係場所の訪問を実現させ、関連資料を日本側と共有し、適切な措置を取る」という文言が盛り込まれた。14年10月には平壌で日本側と北朝鮮特別調査委員会との協議も行われた。

これで、拉致問題は進展するかにみえた。

だが、北朝鮮側の通報によって状況が変わった。北朝鮮は水面下で、日本が05年4月に被害者に認定した田中実さん(失踪当時、28)と「拉致の可能性を排除できない」とされている金田龍光さん(同26)が生存しているとの情報を伝えてきた。

拉致問題対策本部のホームページによれば、田中さんは兵庫県在住で、1978年6月頃に拉致された。関係者の証言などから、田中さんは、北朝鮮からの指示を受けた在日朝鮮人にだまされて海外に連れ出された後、北朝鮮に送り込まれた。北朝鮮は田中さんの入国した事実を否定していた。兵庫県警のホームページによれば、金田さんは79年11月ごろ、家族に「これから東京に行く」と電話をした後に行方不明になっていた。

田中さんを北朝鮮に送り込む工作に関係した在日朝鮮人(故人)が20年ほど前、政府関係者に対し、田中さんが働いていた飲食店主が北朝鮮工作員で、ウィーンに連れて行き、そこで北朝鮮側の担当者に引き渡した後にモスクワ経由で北朝鮮に連れて行ったと告白した。

この在日朝鮮人は、北朝鮮の拉致担当者から聞いた話として「田中さんは、同じ日本から連れてこられた女性と結婚し、通訳の仕事をして元気で暮らしている」という情報も伝えたという。金田さんは田中さんと同じ店で働いていた。

ストックホルム市内のホテルで日朝政府間協議に臨む日本側の伊原純一・外務省アジア大洋州局長(右手前から3番目)と、北朝鮮側の宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使(左手前から3番目)=2014年5月、朝日新聞社撮影

日本政府はこの通報について検討した。北朝鮮はこの2人の生存情報を最後に拉致問題の完全解決を求めていた。日本側は、2人の生存だけでは世論が納得しないと判断し、北朝鮮との交渉は難航した。日本側は、2人の生存情報だけで再調査を終了させず、引き続き調査を行う余地を残すよう交渉したが、北朝鮮はストックホルム合意の翌年、再調査中止を宣言し、最終的に決裂した。

日朝両政府とも、2人の生存情報について公表しなかった。2人の生存情報については共同通信などが既に報じたが、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)や北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)から、拉致問題対策本部に対して問い合わせや要請はない。同本部によれば、田中さんには親族がいないという。

18年6月19日、金正恩氏は北京で中国の習近平国家主席と会談した。習主席は「これから日本人拉致問題が、必ず解決しなければならない問題として浮上する。日本との関係も避けて通れないだろう」と述べ、日朝関係の展望について尋ねた。金正恩氏は「ご指摘の問題は理解している。ただ、今はまだその時期ではない」と答えたという。

安倍晋三首相(当時)は2019年、「無条件での日朝首脳会談の開催」を訴えた。金丸信・元副総理の次男、金丸信吾氏は同年9月、平壌で宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使と面会した。金丸氏によれば、宋氏は「ストックホルム合意で、日本は『北朝鮮は調査もしていない』と言うが、我々は中間報告を渡そうとしたのに、日本が受け取りを拒否した。死亡を認めることになるという心配があるからだろう」と語った。

1月19日に開かれた朝鮮労働党中央委員会政治局会議
1月19日に開かれた朝鮮労働党中央委員会政治局会議。金正恩総書記らが出席した=労働新聞ホームページから

北朝鮮は今、国営メディアを通じて「拉致問題は解決済みだ」と繰り返している。朝鮮中央通信によれば、北朝鮮は19日、金正恩氏らが参加した党中央委員会政治局会議を開き、対米問題について討議し、米朝関係の信頼構築のために、暫定的に中止した全ての活動を再開する問題を迅速に検討することを決めた。北朝鮮は18年4月、核実験とICBM試射の中止や、核実験場の廃棄を決めていた。

この動きは、2018年6月の米朝首脳共同声明を白紙に戻すことになりかねない。共同声明を元に実務的に対応するとしたバイデン米政権の対北朝鮮政策は見直しを迫られるだろう。米国と共同歩調を取る日本は、「無条件での日朝首脳会談の開催」を掲げている余裕がなくなりそうだ。

安倍氏も、「無条件での首脳会談」方針を引き継いだ菅義偉前首相も拉致問題を解決できなかった。21年12月18日、家族会の前代表、飯塚繁雄さんが亡くなった。岸田文雄首相は記者団に「心から申し訳ない思いでいっぱいだ。拉致問題は一刻の猶予も許されない」と語った。

岸田首相は1月17日の施政方針演説で「最重要課題である拉致問題について、各国と連携しながら、全ての拉致被害者の一日も早い帰国を実現すべく、あらゆるチャンスを逃すことなく、全力で取り組みます」と約束したが、早くも危機を迎えている。