去年3月から4月にかけて、日本中を新型コロナウイルスの感染第4波が襲いました。私が取材活動をする徳島県も例外ではありませんでした。
感染力を増した変異株が、県内にある精神科病院に襲い掛かりました。感染者は、患者や医療従事者合わせて96人に上りました。
毎日のように飯泉嘉門知事が記者会見を開き、感染者数や詳細を発表していました。感染者数はどんどん増えていきました。どこまで広がっていくのだろうかと心配はしましたが、病院の特性上、感染を抑えるのは難しいのだろうなとも感じていました。
一方で、会見では「80代の人がお亡くなりになりました」といったように性別すら公開されず、新型コロナウイルスの感染によって亡くなった年齢層と人数だけが発表されることが多くなりました。
もちろん、プライバシー保護などの配慮は分かりますが、同時に、まるで記号のように扱われている匿名発表の向こうで、いったいどんな人が亡くなっていったのか――。社会に伝えるべきものがあるのではなかという思いが募ってきました。
精神科病院でのクラスターが終息し、ワクチン接種も進んだ去年7月。この病院に取材に入りました。
そこで初めて、亡くなったのは23人だったことがわかりました。新型コロナウイルスで亡くなった県内の人は66人。実に3分の1近くがこの病院のクラスターで犠牲になったのです。
これほどまで多くの犠牲者が出た原因として、主に二つ考えられます。一つは、当時の徳島県内の医療がひっ迫していたことです。アルファ株が猛威を振るった感染第4波では、徳島県内のコロナ専用病床に空きがなくなり、自宅待機を余儀なくされる感染者が増えたほか、一般の医療さえ脅かされていました。
そんな中、精神疾患を抱えた患者をコロナ病床に受け入れることが難しくなりました。県はこの病院にDMATを派遣、病院内の4人用の部屋二つをコロナ専用病床として感染者の治療を行いますが、ECMO(エクモ=体外式膜型人工肺)もなく、人工呼吸器を取り付けて長時間管理ができる医療スタッフもいない中、できる治療は限られていました。
ある看護師は取材に対し、「目の前で苦しむ人を助けてあげられない悔しさ…」と無念さをあらわにしました。別の看護師も「毎日のように患者さんが亡くなっていくのを見るのを僕はつらかった」と明かしました。
取材で明らかになったのは、亡くなった人の約半数にあたる11人が外部の専門病床に搬送されず、この病院内で亡くなっていたという事実でした。
二つ目の原因は、多くの入院患者が高齢者であったことです。感染した70代の男性は、幸いにも外部のコロナ専用病床に搬送されて一命を取り留めました。
男性は精神疾患のほか糖尿病も患っており、一時は重症となっていました。厚生労働省によると全国の精神科病院で入院する患者は27万人います。その6割にあたる16万7千人が1年以上の長期入院中で、高齢化も進んでいます。取材した精神科病院でも長期入院の患者は多くが高齢者です。
ある70代の男性は45年も入院しています。人生の大半を病棟で過ごしているというのです。
男性が入院したのは30代。統合失調症を発症し、家族に連れられて病院に入ったのが入院生活の始まりでした。
男性は当時をこう振り返ります。
「病院に来た時、家の人は『いつでも戻れる』と言ってたんやけど」
統合失調症はかつて、有効な治療法がありませんでした。自身や他人を傷つける可能性がある場合には隔離されて入院しました。全国の多くの精神科病院は山奥や海辺といった、少し人里からは離れた場所に建てられています。
病院の理事長はその理由について「精神疾患に対する偏見があったから」と言います。患者家族は、手に負えなくなった患者を病院に預けます。最初は両親が面会に、段々と入院が長引くうちに両親が他界、そして兄弟へと変わっていきます。
そのうち、家族の中で患者は「いない存在」となっていき、身寄りを失った患者にとって、精神病棟が唯一の「よりどころ」となります。
この男性は長年、症状も安定し本来ならば十分地域で暮らすことができたかもしれません。しかし45年の歳月をへて、この病棟が「終(つい)の棲家(すみか)」になっていったのです。
統合失調症などの精神疾患の治療薬は近年、その効果は劇的によくなり、症状をかなり抑えることが出来るようになりました。
忘れる危険のある飲み薬ではなく、通院で薬剤の注射を打つことで効果を持続させることも可能となり、入院しても1年未満で退院し、社会復帰を果たす人も多くなりました。
しかし、男性のように、今も長期入院する患者は、こうした効果的な治療薬ができる前に入院しているのです。医療の発達の影で取り残された存在と言えます。
精神科病院における新型コロナウイルスの感染問題はこの病院に限ったことではありません。
精神科病院協会のまとめでは、全国711の精神科病院の44%に当たる310の病院で新型コロナウイルスへの感染が確認されています。
自殺防止のため、大きくは開かない精神病棟の窓といった構造は、換気が十分にできません。また疾患の特性故の感染防止の難しさもあります。
今後も新型コロナウイルスの感染が収束しない限り、精神科病院での感染対策は大きな課題の一つです。
そして、私たちの取材で明らかになったのは、コロナの問題だけではありませんでした。長期間、社会から「隔離」する手法が根強く残る日本の精神科治療のあり方です。
精神科病院を取材するということは、プライバシーの配慮や疾患の特性などから難しいとイメージしていたため、私たちマスコミも日常ではあまり意識していませんでした。
しかし今回の取材を通じて知ることとなった長期に入院している患者の存在はショックでした。家族の間だけではなく、社会の中でも「いない存在」となっていた人々が顕在化されたように思います。
前述した45年にわたって入院している男性は正月を控えた年末、こうつぶやきました。
「家のお雑煮が食べたい。熱いお餅の入った…」
高齢化の進む病院では、患者の誤飲を防ぐため、正月に餅を出すことはありません。45年以上前に食べた家のお雑煮の味をいつまでも忘れない男性を見て、私はやるせない気持ちになりました。
日本医師会総合政策研究機構が去年3月に発表した資料によると、G7各国の中で精神科病院の病床数は、最も多いのが日本で、32万9千床あまりで、2番目に多いドイツの約3倍です。
人口千人あたりの病床数も2.6人とトップで、やはり2番目のドイツと比べて2倍となっています。日本の精神科病院の病床数は国際的にも突出して多くなっています。これはそれだけ精神疾患の患者の社会復帰が進んでいないことを表しているのではないでしょうか?
一方で、精神疾患の患者数は国内には約420万人いると言われています。30人に1人が精神疾患を抱えており、身近な疾患と言えます。
45年といった長期入院の患者が、これから社会や自宅に戻るというのは現実的には難しい問題です。しかし、医療の発達で症状が抑えられる患者が多くいる今、彼らを社会がどう受け入れていくかは、試行錯誤しながらも考えていかなくてはならないと思います。