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北朝鮮ベテラン外交官が去り、「謎の通訳」が台頭 ミサイル撃てど、見えぬ外交の狙い

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
平壌国際空港で子どもたちの歓迎に応える中国の習近平国家主席(中央)と金正恩朝鮮労働党委員長
平壌国際空港で子どもたちの歓迎に応える中国の習近平国家主席(中央)と金正恩朝鮮労働党委員長。朝鮮中央通信が配信した=2019年6月、朝鮮通信

■続くミサイル発射

2022年に北朝鮮がどのような外交姿勢で臨むのか、金正恩氏はまだ明らかにしていない。

朝鮮中央通信は1日、正恩氏が党中央委員会総会で「多事にわたる変化の多い国際政治情勢と周辺環境に対処し、北南関係と対外活動部門で堅持すべき原則的問題と一連の戦術的方向を示した」と伝えた。ただ、詳細な内容は明らかにしなかった。

米朝対話に展望が見られないことや新型コロナウイルスの影響などから、外交攻勢をかける時期ではないと判断したようだ。南北関係に長く携わった韓国政府元高官は「北朝鮮は弱い国だ。報道の通り、米ロや米中など国際情勢が激変しているため、自分たちの外交方針を明らかにするのは時期尚早だと考えたのだろう」と語る。

朝鮮労働党中央委員会総会で演説する金正恩氏
朝鮮労働党中央委員会総会で演説する金正恩氏。右後方は金英哲党統一戦線部長=北朝鮮ウェブサイト「わが民族同士」から

また、5日に北朝鮮が日本海に向けて1発発射した短距離弾道ミサイルについて、朝鮮中央通信は6日、極超音速ミサイルの試射だったと伝えた。岸信夫防衛相は5日、「通常の軌道なら500キロ飛翔」と語ったが、同通信は「極超音速滑空飛行弾頭部の飛行区間で、初期発射方位角から目標方位角へ120キロメートル側面機動し、700キロメートル先の標的に命中した」と伝えた。北朝鮮が命中まで確認できたか不明だが、計算通りであれば、最終段階で軌道を変更するミサイルだったようだ。

北朝鮮の国防科学院が5日に行った極超音速ミサイルの試射
北朝鮮の国防科学院が5日に行った極超音速ミサイルの試射=労働新聞ホームページから

ただ、報道によれば、国防科学院が試射を行い、党や軍幹部の視察は報じられていない。外交上の牽制や軍事的な挑発を目的としていないという暗示的なメッセージとみられる。かつて金日成主席のフランス語通訳を務めた韓国国家安保戦略研究院の高英煥元副院長は「コロナ対応の必要から、北朝鮮は当面は農村改革など、内政に重点を置く方針なのだろう」と語る。

■中国の主張をなぞり続ける

積極的な外交姿勢を示さないなか、朝鮮中央通信は1日、中国やロシア、ベトナムなどの首脳らから正恩氏に年賀状が届いたと伝え、伝統的な友好国との関係を強調した。

韓国統一省などによれば、正恩氏は2018、19年に米中韓など7カ国と計15回の首脳会談に臨んでいる。特に、最近目立つのが中国への接近だ。

北朝鮮外務省ホームページは昨年12月10日、米国が主催した民主主義サミットを非難し、「中国とロシアなど米国の覇権維持に障害となる国に大々的な政治攻勢を掛けようとする下心を露骨にさらけ出した」と主張した。北朝鮮は、香港や新疆ウイグル自治区での人権問題、台湾海峡、北京五輪の外交的ボイコットなどでも、露骨に中国の主張をなぞり続けている。米外交筋は「自分より強い国(米国)を相手にするときは、別の強い国(中国)との関係を強化するという、北朝鮮の伝統的な外交手法に回帰している」と語る。

中朝国境を流れる川の中国側の河畔に掲げられた両国の国旗=2019年10月、遼寧省丹東、平井良和撮影

権力継承直後、金正恩氏と習近平中国国家主席との犬猿の仲は際立っていた。発端は、副主席時代の習氏の呼びかけを無視し、12年12月に長距離弾道ミサイル発射、13年2月に核実験をそれぞれ強行したことだった。怒った習氏が14年、北朝鮮より先に韓国を訪問すると、正恩氏は国内で中国ドラマや映画を放映することを禁じるまでに関係が悪化した。

正恩氏の中国に対する強硬な態度の背景には、経済面では中朝貿易が順調に伸びていた事情と、自身のスイスでの留学経験に基づいた祖父や父への対抗心があったとみられる。金日成主席は非同盟路線を掲げ、中ソ対立をうまく利用し、両国から支援を引き出した。金正日総書記も中国を嫌いつつ、経済改革などを中国から学ぼうとした。

これに対し、正恩氏は当初、中国式ではなく西洋式の国づくりを意識していた。例えば最重要政策の一つに掲げた、中朝国境に近い三池淵の開発事業。北朝鮮政策を担当する韓国政府高官は当時、「金正恩はスイスのような環境にやさしい都市を目指している」と証言した。高官によれば、正恩氏は当初、三池淵で開発する新しい建物はすべて電気を使うように指示した。結局、電力供給の問題を解決できず、各戸1部屋だけは火を使って暖房や調理ができるように修正したという。

北朝鮮の貿易総額の8割以上を占め、好調だった中朝貿易は、国連制裁が強化された2017年ごろから下降に転じた。中国は国連制裁の強化をある程度黙認した。韓国統一省の資料によれば、17年に49.8億ドル(約5700億円)だった中朝貿易額は18年には24.1億ドル(約2700億円)に半減。新型コロナウイルスの感染防止のために中朝国境が閉鎖された20年には5.4億ドル(約600億円)にまで減った。

結局、金正恩氏は18年3月、初めての外遊先として中国を訪問した。その後も同年6月の米朝首脳会談の前後と、19年2月の第2回米朝会談を控えた同年1月にもそれぞれ訪中し、中朝首脳会談は計5回にのぼった。中朝関係筋によれば、正恩氏は数回にわたり、習主席に対して「米朝会談がどういう結果になろうとも、中国は北朝鮮を支持してほしい」という考えを伝えたという。

米外交筋は「金正恩は外交について学び、北朝鮮がどういう国なのかを理解したのではないか」と語る。北朝鮮は現時点で、自力更生路線を維持しているが、韓国などの経済専門家は、北朝鮮独力での国家経済5カ年計画(2021~25年)の成功は難しいとの見方で一致している。

北朝鮮は2月の北京冬季五輪開幕式に高位関係者が出席する可能性がある。更に追い込まれれば、中国が主導する上海協力機構への加盟や、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」への参画も視野に入ってくるかもしれない。

■どんどん内向きになる外交

1日、金日成主席と金正日総書記の遺体が安置されている平壌の錦繡山太陽宮殿を訪問した金正恩氏ら
1日、金日成主席と金正日総書記の遺体が安置されている平壌の錦繡山太陽宮殿を訪問した金正恩氏ら。朝鮮中央通信は「党中央指導機関メンバーは金正恩総書記の思想と指導に忠実に従う決意を固めた」などと伝えた=北朝鮮ウェブサイト「わが民族同士」から

金正恩氏の治世が10年に及ぶなか、閉鎖国家の唯一の窓口だった北朝鮮外交が更に内向きになっている。

朝鮮戦争後、米国が再び北朝鮮との協議を始めたのは1992年1月。ニューヨークでのアーノルド・カンター国務次官と金容淳朝鮮労働党書記による会談からだった。寧辺にある原子炉稼働による「第1次朝鮮半島核危機」の到来が懸念され始めた時期にあたった。

当時の米側出席者だったカートマン元朝鮮半島和平協議担当特使によれば、金容淳氏はひたすら米国の敵視政策を批判し続けた。カートマン氏は「北朝鮮は我々ではなく、平壌に向けてしゃべっていた」と話す。北朝鮮の外交官は常に監視されていた。

そんな北朝鮮外交を率いていたのが、姜錫柱副首相だった。

姜錫柱氏は1994年10月に結ばれた、北朝鮮の核開発をめぐる「米朝枠組み合意」の立役者で、合意を聞いた金正日総書記に「生まれてから一番うれしい日だ」と言わしめた人物だった。姜錫柱氏は北朝鮮外交官を輩出する平壌外語大の第1回卒業生。第1次朝鮮半島核危機の際、金正日氏に「積極的に対応しないと大変なことになる」と強く交渉を勧めたという。

2002年10月、ケリー米国務次官補らが訪朝し、ウラン濃縮疑惑が表面化した際も、姜錫柱氏は濃縮の事実を認め、強硬な姿勢を取った。一方、同席した米国務省のストラウブ朝鮮部長(当時)によれば、姜氏は米朝協議の最後に「この問題を解決するために、我々と米国の最高指導者が話し合う必要がある」と述べ、外交による解決を望んだという。

2002年9月17日、首脳会談を終え握手する金正日総書記(左)と小泉純一郎首相(右)を見守る北朝鮮の姜錫柱第一外務次官(中央)
2002年9月17日、首脳会談を終え握手する金正日総書記(左)と小泉純一郎首相(右)を見守る北朝鮮の姜錫柱第一外務次官(中央)=平壌の百花園迎賓館で(代表撮影)

米外交筋は「北朝鮮の外交官はプロパガンダのウソを見破っている」と語る。交渉の合間に行う散歩や、会食の際に同行者が席を外したわずかな時間などの際に、本音を漏らすこともあった。

姜錫柱氏が金正日総書記に頼んで外務次官に抜擢し、北朝鮮の核問題を話し合う「6者協議」代表を務めた金桂寛氏は、米側に核施設の査察を強く求められた際、「そんなことに応じれば、軍人が黙っていない」と本音を漏らした。韓国の元6者協議代表は「金桂寛はウソが言えない性格。すぐ顔に出るので、ウソを言うときは他の人間に任せていた」と語る。

そして、2007年から10年までの期間と、13年から18年までの計2度にわたり、北朝鮮大使として活躍したドイツのトマス・シェーファー氏は、米朝対話などを率いた姜錫柱副首相が16年5月に死去したことで、北朝鮮の強硬路線がほぼ固まったと指摘する。

■「謎の通訳」の台頭

姜錫柱氏の死亡と入れ替わるように北朝鮮外交の指揮を執るようになったのが、崔善姫外務次官だった。長く米朝協議や6者協議の英語通訳を務めながら、北朝鮮代表の言葉を勝手に意訳するなどして、「謎の通訳」「マダム・チェ」と呼ばれた人物だった。通訳として参加した米朝協議の場で「私は副代表の資格がある」と豪語したこともあった。

北朝鮮の崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官(左)。米朝首脳会談が行われたシンガポールで=2018年6月10日、ランハム裕子撮影

崔氏は16年、北米局長に昇進。18年には外務次官になり、米朝協議に携わった。金桂寛氏も崔氏の外務次官就任と入れ替わるように表舞台から姿を消した。

トランプ政権下で始まった米朝協議で、米政府を困惑させたのが、崔善姫氏の強硬な姿勢だった。18年6月の第1回米朝首脳会談の事前協議では、具体的な非核化交渉に応じないばかりか、当初は共同首脳声明に核問題という言葉を入れることすら拒んだ。余りの強硬姿勢に怒った米側の担当者は、交渉の席で怒鳴り声を上げたという。

第2回米朝首脳会談前の事前協議では、崔氏は「寧辺核施設の放棄以外には応じられない」と主張し続けた。米側も「寧辺+αでなければ合意はできない」と伝えたが、金正恩氏は首脳会談で、崔氏と同じ主張を繰り返した。米政府内では「崔氏が正恩氏に、米側の要求を正確に報告しなかった」と疑う声が出たが、崔氏は粛清されなかった。

米外交筋は「崔善姫は当初、北朝鮮の核心権力層から外務省を監視するよう命じられた人物だった。北朝鮮外務省にいた、少なからず、我々の考えを理解しようとする人物はいなくなってしまった」と語る。

米外交筋は「北朝鮮は閉鎖国家だから、国際関係をかなり無視できる。北朝鮮は外交を、最大限まで体制維持や国内に向けたメッセージとして利用している。金正恩体制になって、その傾向が更に強まった」と語る。

米政府は、金正恩氏と崔善姫氏らの北朝鮮高位層が共生関係にあると分析した結果、首脳会談で正恩氏と合意するだけでは不十分だと判断。バイデン政権は、トランプ前政権のような首脳会談によるトップダウン形式での対応を採用しなかった。実務協議を積み上げるため、北朝鮮に無条件での対話再開を呼びかけているが、北朝鮮は昨年12月末の党中央委総会でも反応しなかった。

外交を展開する姿勢が見えない北朝鮮。その責任は誰が取るのか。

朝鮮中央通信が昨年12月30日に伝えた朝鮮労働党中央委員会総会分科会の様子
朝鮮中央通信が昨年12月30日に伝えた朝鮮労働党中央委員会総会分科会の様子=北朝鮮のウェブサイト「わが民族同士」から

朝鮮中央通信が昨年12月30日に報じた中央委総会分科会の模様を伝える写真には、金英哲党統一戦線部長や李善権外相とみられる人物の姿も映っていた。脱北した元党幹部は「朝鮮で行われる会議は、意思決定を伝達する場でしかなく、議論などありえない」と語る。北朝鮮当局が、外交方針を議論しているかのように見える写真を公開した背景には「外交の責任は金正恩氏ではなく、幹部全員にある」と国民に釈明する計算が透けて見える。