――旅する意味とは何でしょうか。
基本はよりいい暮らしとカネもうけだったのでしょう。移動して何かを得るというのは貿易の始まりでしょうけど、それが大きな原動力となっていたように思います。
大航海時代は、国家の威信を背景に世界の富を求めて略奪していった、わかりやすい旅の原点だと思います。ただそれは結局、侵略ですからね、される側から見ると、あれほど威圧的で恐ろしいものはない。
ほかに旅の目的は何かといったら、突き詰めれば男と女の世界ですかね。歌謡曲とか演歌によくあるけれど、恋にやぶれたら北に行くとか、心を癒やすために遠くの街に行くとか。
30代のときでしたか、パプアニューギニアのトロブリアンド諸島に行きました。「クラの儀式」という壮大な海の祭典があって、ロマンを感じて行ったんです。危なっかしい小舟で、男たちが何百キロも離れた島から島へリレーして渡っていく。時計回りと反時計回りでバトンになるものが違っていて、白い貝でつくった腕輪と、赤い貝でつくった首飾りを手渡してつないでいく。わかりやすくいえば海の駅伝です。でも命がけですね。現地に行ってわかったのは、男と女の世界なんですね。男たちが目標の島に着くと、島の娘たちが熱い思いで待っている。男たちは命をかけて海峡も渡っていく。そこに胸を打たれるわけです。
つまり、人間の巨大な欲求の二つが旅の原点だというわけです。カネ、男と女というね。あと一つ加えるならば、ひもじさですかね。
――旅には思考を深めるという面もあるように思います。
世界の幸せな国ランキングというのがあって、どの調査でもベストテンに入っている国の一つがアイスランドでした。どういう国だろうと、数年前に行きました。数字ではなく、実際にそこで暮らしている人たちにふれると、見えてくるものがある。そういう確認の旅みたいなものもありますね。
――行くと気づくことがあると。
「人が死ぬとどうなるのか」に興味があって、そういうテーマの本を書いたことがあるんです。北極はツンドラですから、土の中に埋めても何百年もそのままの状態になっちゃう。火葬しようとしても木がほとんど生えていません。そうすると、海に流すとか曖昧なおくられ方をしているんです。世界をそんなふうに眺めてみると、いろいろ見えてくるものがある。それが旅をしていておもしろいところです。
――世界中さまざまなところに行っていますが、移動手段は何が多いですか。
馬の旅が多いです。馬というのは一番頼りになる旅の友です。南米パタゴニアやモンゴルでは、馬が主力です。ガソリンスタンドなんてやたらにないから、車で行くとガス欠で終わり。馬だったら、そこら中に草が生えていますからね。
ブラジルのパンタナールで、カウボーイの体験をしたことがあります。馬に乗って、480頭の牛を2泊3日で運びました。重労働でしたよ。毒ヘビもいるし、川にはピラニアがいっぱいいる。
マイナス40度超のシベリアを黒い毛の馬に乗って1時間ぐらい移動したら、その馬が白馬になっている。びっくりしてね。寒くても馬を走らせると汗をかく。毛についた汗が瞬時に凍って白くなってしまったわけです。
――椎名さんの本を読むと、旅したような気分になります。
ぼくもそうですよ。昔の人の旅の本は好きで、ずっと読んでいます。小学生のときに読んだ本が、人生の骨格をなしているような気がします。本に影響されて「いつかそういう旅に出るんだ!」と少年ながらに思ったわけです。
ジュール・ベルヌの『十五少年漂流記』のモデルといわれているのは、マゼラン海峡にあるハノーバー島という無人島で、近年になってニュージーランドから800キロぐらい離れたチャタム島ではないかという説が出てきました。その両方に行きました。
スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンの『さまよえる湖』は、シルクロードのタクラマカン砂漠にある湖ロプノルを書いた本です。興味を持ったときには中国と日本は国交がなかったので、行きようがなかった。それで挫折感を味わうのですが、やがて田中角栄が現れて、日中国交正常化となって、日中共同探検隊に参加せよと誘いがあったのです。これは天恵だと思いました。あれが我が旅の頂点だったと思いますね。ずーっと求めてきた旅についに行けたんだ、とね。
――コロナ禍でなかなか旅に行けない状況が続きました。
あちこち行きたいという思いがある人は、精神的な閉塞感があるはずです。今年の夏にぼくもコロナに感染し入院しましたが、つらかったですね。人に会えないし、ずっと閉塞感がありました。嫌でしたよ、自由に生きてきましたから。
◇
しいな・まこと 1944年、東京都生まれ。79年より、小説、エッセー、ルポなどの作家活動に入る。旅の本も数多く、モンゴルやパタゴニア、シベリアなどへの探検、冒険ものなどを書いている。