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新大久保駅事故で亡くなった韓国人留学生、その遺志を継ぐ奨学生が1000人超え

揺れる世界 日本の針路
辛潤賛さん(右)と奨学生。李秀賢さんの遺影とともに=牧野愛博撮影

辛さんは事故発生後、命日の1月と奨学金授与式がある10月には必ず訪日してきた。だが、新型コロナの影響で昨年10月の授与式はオンラインでの参加になっていた。今年も10月18日に開催予定だったが、コロナの感染拡大が収まらないとみて、開催を1カ月延期していた。

辛さんの訪日準備は11月5日から動き出した。政府がこの日、海外のビジネス関係者や留学生、技能実習生の新規入国を8日から認めると発表したからだ。ワクチンを接種済みなら待機は3日間で済むことになった。

今回、LSHアジア奨学会と李秀賢さんが日本で通った赤門会日本語学校がすぐに辛さんに訪日を打診した。釜山の日本総領事館も全面的に協力し、訪日のビザを発給したという。辛さんは14日に来日。3日間の待機期間を経て、18日の授与式に出席し、19日には韓国に戻る。

辛さんは「(自宅から近い)釜山の空港からは便がなく、(ソウル近郊の)仁川空港まで移動して出発しました。仁川も成田も空港内はがらんとしていました。コロナ感染には注意するのが当然ですが、こんな時にも日本に招いてくださった日本の方々には、感謝の言葉もありません」と語る。

事故が起きたJR新大久保駅のホームへの階段に設置された顕彰碑=朝日新聞社撮影

赤門会日本語学校の新井時賛理事長によれば、奨学会や支援者の人々らの間で、1月の追悼式に訪日できなかった辛さんをどうしても招いてあげたい、という強い声が上がったという。新井さんは「(李秀賢さんへのお見舞金を奨学金に充てた)辛さんは奨学会の名誉理事長です。飛行機の手配や空港からの送り迎え、PCR検査など、みんなで分担して訪日を支えました」と語る。

18日の授与式では中国やベトナム、台湾などからの奨学生61人に奨学金が授与された。新井理事長によると、20年で奨学生の総数は、1059人を数える。授与式で鹿取克章LSHアジア奨学会長は「1000人を超えるのが悲願だった。困難な時代に、他人への思いやりと寛容性が求められる」と語った。

辛さんと2019年3月に病気で亡くなった夫の李盛大(イ・ソンデ)さんは20年前、奨学会が20年も続くとは予想していなかったという。辛さんは「たくさんの日本人が少しずつお金を出し合って作った貴重な会です。それが20年も続いたのは、奨学会をつくった私たちの気持ちを、日本の皆さんが十分に受け止めてくださったからです。言葉にならないほどうれしいです」と話す。

辛潤賛さん(右)と奨学生=牧野愛博撮影

辛さんは20年前、息子の死を「天が崩れる思い」で聞いた。仏教徒の辛さんは「仏の教えには欲を捨てよというものがあります。20年前まで、私の心の大きな部分を息子が占めていました。それが失われ、本当に何もなくなったのです」と語る。

当初は泣き暮らしたが、李秀賢さんの知人の「スヒョンはお母さんが泣く姿を望まない」という言葉を聞いて、少しずつ前向きに生きてきた。「心に何もなくなったからこそ、目の前にいる子どもが、全部自分の子どものように思えるようになりました」。奨学生たちにも、自分の子どもに接するように、心の底から「頑張って」と言えるのだという。

李秀賢さんの死後、日韓両国には色々なことが起きた。小渕恵三首相と金大中大統領が関わった日韓共同宣言(1998年)、サッカーのワールドカップ日韓大会(2002年)、韓流文化の流行などで、日韓関係は好転するかに見えたが、2011年12月、京都で行われた日韓首脳会談が慰安婦問題などで決裂。以降、15年に日韓慰安婦合意があったものの、李明博大統領の竹島上陸(12年)、文在寅政権による慰安婦合意の事実上の破棄や徴用工判決などで、坂道を転げ落ちるように関係が悪化し、それは今も続いている。

辛さんは「韓国語にはヨクチサジ(易地思之)という言葉があります。立場を変えて考える、相手の立場になってみるということです。それができる人が成熟した人間ということではないでしょうか」と話す。

奨学金授与式で、李秀賢さんの遺影の横で語る辛潤賛さん=牧野愛博撮影

辛さんは2020年2月、大分県の温泉地を訪ねた。かつて、韓国からの観光客でにぎわった場所には閑古鳥が鳴いていた。辛さんは「政治家はこの悲しい姿を知らないのではないか。国民のために努力するのが政治家ではないか」と思ったという。

「友だち同士でも、ケンカをしたまま口を利かない時間が長くなれば、それだけ仲直りは難しくなります。過去に傷を負った韓国の人も、まだまだ多く存命しています。韓国の人は政治家などの心ない発言にすぐに怒りもしますが、韓国にも私がみても心の温かい人が多いと思います。韓国にも反日団体が、日本にも嫌韓派が、それぞれいますが、それは一部のこと。相手の全てがそうだとは思わないで欲しいのです」

「夫と私は事故の後、韓日のかけ橋になりたいと思いました。こんな時期だからこそ、20年で終わらせず、まだまだ続けていかなければなりません。日本と韓国の間には本当にたくさんの関係があるのですから」

奨学金授与式での記念撮影=牧野愛博撮影

授与式で辛さんはこう語りかけた。

「花はお互いに争わずに咲く、という言葉があります。息子のスヒョンが残した言葉のように、後で人生を振り返ったときに後悔がないよう、一日を精一杯生きてほしい。この20年変わらず支援してくださったことに感謝します。皆様の夢が叶うようお祈りします」

今回、新型コロナのため、辛さんはJR新大久保駅の事故現場を訪れることなく、韓国に戻る。「でも、スヒョンはいつも高いところで私たちを見てくれています。すべてわかってくれている。私がくじけそうになったり、つまらないことを言ったりすれば、スヒョンがいつも私を諭してくれますから」。辛さんは17日の電話インタビューの間、最後まで朗らかにそう語った。20年間、最初の時期だけを除き、辛さんはいつも他人を励ます役だった。でも、李秀賢さんのことを語るときだけは、ほんの少し、声が震えた気がした。