【前編を読む】 アメリカの「内側」に住んだら見えてきた 今もこの国に存在する「隔離」のリアル
ヨークの「内側の世界」に住んでいる私の人間関係は、郊外の白人よりも黒人コミュニティーの中に広がっていった。その中で知り合った一人が、ジャミール・アレクサンダーだ。
ジャミールは若者支援などに取り組む地域のリーダー格の一人。家庭内暴力を受け、少年時代をストリートで過ごし、当時は「38スペシャル」と呼ばれる弾が込められた銃を携行していた。知り合ったころは40歳になったばかりだったジャミールは、若者とも同じ目線で話ができ、世代を超えて人々をつないでいた。
ヨークでは銃犯罪が深刻な問題となっている。加害者、被害者ともに10代から20代の若者が非常に多い。ギャングのメンバーになる若者も多いという。
ジャミールは、ヨークのような非行に走る若者が多い環境を「貧困の集中」と呼んだ。
「プロジェクト(低所得者向け公共集合住宅)とかフッド(ネイバーフッド=隣近所の略)とか呼ばれる地域のことだ。ふつうの社会のシステムの外で生きているんだ。樽の底にいるようなものだと想像したらいい。そこで、どうやって生き延びたらいい?」
樽の底――。それは、はい上がる足がかりも、手をさしのべる人もいない世界を意味する。
ここでは、貧困、暴力、死はあまりに身近な存在だ。ある日、近所にある家の前に何本ものろうそくが置かれていた。少年の遺影が置かれ、写真やろうそくに追悼メッセージが書かれていた。後日、銃で撃たれて亡くなったのは16歳の少年で、加害者は15歳だったことを知った。さらに被害者の親族が報復をしようとして、誤って13歳の少年を銃撃する悲劇も起きていた。
ろうそくがあった家を改めて訪ねた。出てきた黒人青年によると、ろうそくは前の住人が残していったもので、たまに追悼に訪れる人がいるので、そのままにしておいたのだという。「事件のことは知っている……。狂ってるよ」。青年はそれ以上は語らず、私は重苦しい沈黙を断ち切るように礼を言うと、その場をあとにした。
■貧困は「努力しないから」なのか
「樽の底」の問題は、経済格差や人種差別だけではない。底から抜け出せない機会の格差を意味している。
市内に唯一の公立高校は、通常の4年間での卒業率が65%だ。つまり3人に1人は留年するか中退する。生徒の9割が、低所得世帯向けの無料給食制度の利用対象者だ。
ヨークでもほかの都市でも、インナーシティーの住民の多くは黒人やヒスパニックだ。アメリカ社会には「マイノリティーが成功できないのは彼ら自身の責任だ」という見方が根強い。
2020年の大統領選挙戦のさなか、大統領だったトランプの娘婿ジャレッド・クシュナーが口にした発言は典型例だ。「大統領の政策は、黒人が不満を口にしている問題からの脱却を助けるものだが、彼らが成功したいと思う以上に、彼らに成功を求めさせることはできない」。透けて見えるのは「黒人が成功しないのは彼ら自身が成功を求めて努力しないからだ」という考え方だ。
しかし私は、ヨークでの生活を通じて一つの確信を持つに至った。成功を阻む構造的な問題が、間違いなくここには存在する。
日本ではいま、「親ガチャ」という言葉が使われているが、米国では「郵便番号で人生が決まる」とも言われる。地域ごとの格差が拡大し、どこで生まれたかで、その後の人生の行方がおおかた決まってしまうという意味だ。
家庭でも、学校でも、地域社会でも機会に恵まれない若者たちに対し、「成功できないのはあなたの努力が足りないからだ」とはとても言えない。
■「本当は勉強がしたい」
機会の格差について考えさせられた、もう一つのきっかけがあった。同居人の一人、20歳の黒人青年アンドリュー・ジャクソンの存在だ。私には彼と同じ世代の娘と息子がいるので、その環境の違いを考えないわけにはいかなかった。
テキサスで育ったアンドリューは、「奨学金の条件が一番よかったから」とヨークの大学に入学した。親からの仕送りはなく、残りの学費や生活費は自分で稼いでいた。私が出会ったころは、休学してスーパーや自動車整備工場で働き大学に戻るための学費を稼ぐ生活をしていた。
アンドリューは消防士をめざしているが、アメリカでは消防士はいまも「白人の男」の世界だ。ボランティアをしているヨーク郊外の消防署でも、黒人は彼一人だった。
消防署がある郊外は市内より安全で豊かだが、アンドリューは「あっちでは、店に買い物に行っても僕は違う扱われ方をするんだ。この近所の人たちの方が、ずっと親切だよ」と話した。黒人に対する差別用語を投げつけられたこともあるという。
アンドリューと比べると、ふつうの境遇だと思っていた自分の子どもが、いかに恵まれているかがわかる。学費を親が払っている、ということに限らない。高校や大学への入学、就職など人生の節目で、親だけでなく周囲の人が助言や紹介をするなど、有形無形のサポートがある環境で子どもは育ってきた。それに比べてアンドリューは、18歳で見ず知らずの土地にきて、一人で人生を切り開こうともがいているようだ。
アンドリューは3月、ある理由で大家から契約更新を断られ、ボランティアをしている消防署の仮眠室に仮住まいをすることになった。同じ時期に、大切にしていた古いホンダ車も故障で廃車になり、「車も家もなくなってしまった」と落ち込んでいた。
出て行く前に、気分転換にでもなればと食事に誘った。自動車整備工場での仕事を終えてからやってきたアンドリューは、食事の合間にこうつぶやいた。「僕は本当は、大学で勉強するのは好きなんだ。働かなくてよければ、もっと勉強に時間を使えるんだけど」。両手の爪には、工場でついた黒い油汚れが残っていた。
■「内側の世界」の実情を知らない人
構造的な差別や格差の現実が、なぜ理解されないのか。ここに暮らして気づいたのは、アメリカ人ですら「内側の世界」の実情を知らない人が多くいることだ。
ヨーク市長のマイケル・ヘルフリックと、このことを話した。ヨークではマイノリティーの間に根強い警察不信がある。彼は、白人警察官による黒人暴行死事件への抗議デモに参加するなど、マイノリティーに寄り添う姿勢を明確にする。一方で、行政のトップとして警察を統括する立場でもあった。
ヘルフリックは、警察と市民の関係についてこんなことを言った。「警察と市民が互いのことをもっとよく知る必要があるが、残念ながら、警察官の大部分はヨーク市内には住んでいない。この地域のカルチャーを理解しているとは必ずしもいえないのです」。ヨークの警察官はほとんどが白人だ。
警察官はそれでも市内で働いているが、市外に住む人々は官公庁やレストランがある中心部を除けば、市内に足を踏み入れる機会はなさそうだった。
「ヨーク市内に住む貧しいマイノリティーの人たちは、政府の福祉に依存している」。郊外で知り合った人が、私にこう語ったことがあった。行政の食料や住宅補助制度に頼る人は確かに多い。しかし最低限のセーフティーネットはあっても、そこからはい上がるきっかけがない状況は、外部からは見えにくい。
分断の壁があまりに高く、壁の向こうに住む人たちが置かれた状況をそもそも知らない。それが、無理解や偏見につながっているようだ。
■抗議集会に白人が集まった
ヨークが抱える問題は根深いが、助け合う人々の姿、あきらめない人の強さに心を打たれることもあった。
希望が見えたのは、9月のヨークで起きた一つの事件だった。
ヨーク郊外の学区を管轄する教育委員会が、学校で使うことを禁じる、人種問題を扱う本や資料の「禁書リスト」をつくっていたことが分かった。前代未聞のことで、ただちに抗議の声が広がった。
背景には、保守派に広がる「教師が黒人差別について誤った教育をして、白人の生徒に罪悪感を抱かせている」という主張があった。
問題が燃えさかった9月中旬、教育委員会の建物前で開かれた集会を取材した。私がこの土地で見た中で最も強い印象を受けた光景だった。
声をあげるために集まったのは黒人やヒスパニックだけでなく、むしろ白人の姿が目立った。芝生の広場には「多様性は強さだ」「無知は恐怖や憎しみを引き起こす」など手書きのメッセージを持った人たちが100人以上いた。抗議の声が予想以上に広がったからだろう。夜には教育委員会は禁書リストを撤回した。
うねりをつくり出したのは間違いなく若者だった。この学区内にある高校で、差別反対や多様性に取り組む生徒のグループが最初に撤回を求める声をあげた。
その代表は高校4年生イーダ・グプタ。インド系のグプタは、生後間もないころ両親と共にアメリカに移住し、以来ヨークで育った。グプタは、きっぱりと言った。
「声をあげたのは、有色人種だけではなかった。たくさんの白人の姿もあった。これは、白人対黒人という問題ではありません。正しいか、間違っているかという問題なのです」
グプタに、大人たちと自分たちの世代の違いを聞くと、「禁書リストをつくった人たちは人種構成が違う環境で育ったのでしょう。私たちが住む今のヨークは、もっと多様なのです」と答えた。
グプタの言う通り、ヨークには変化がみられる。
都市計画の専門家がまとめた報告書によると、1960年代はヨーク郡内の黒人人口の約9割がヨーク市内に住んでいたが、この20年ほど「黒人の郊外化」が進んでいるという。豊かになり郊外に家を買う黒人住民が少しずつ増えたからだ。かつては白人がほとんどだったというグプタが通う高校も、いまは生徒の3割がマイノリティーだ。
禁書リストをめぐる出来事は、分断が残る「古いヨーク」と、分断を乗り越えようとする「新しいヨーク」の萌芽を象徴しているように思えた。
■未来をあきらめない
ヨークとワシントンを往来する生活はアメリカ社会を見る私の目を見開かせたが、同時に胸の底にどこか重苦しい気持ちが沈殿していた。
これは何だろうとずっと考えてきた。思い浮かんだのはヨークで知り合ったある男性がつぶやいた言葉だ。「外の人々は、あらゆる問題をこの町に押し込めて、見ないふりをしている」
格差や差別を固定化させる、二つの世界の断絶を放置すべきでない。しかし、「内側の世界」の過酷な現実を目の当たりにすると、問題の根深さに立ちすくんでしまう。何もできない自分に対する無力感ともいえる。
ヨークに住んでいるといっても、しょせんは帰る場所があることへの後ろめたい気持ち。そんな思いがないまぜになって、胸の底に沈殿する。見ないふりをする人の心理がぼんやりと分かってしまうのだ。
一方では、「ヨークの未来」をあきらめないジャミールや市長のヘルフリック、そしてアンドリューやグプタのような若者の顔も思い浮かぶ。
重苦しい気持ちを抱えつつも、私は、これからもヨークを訪れるだろう。出会った人たちの顔を思い浮かべながら。(おわり)