■欧米が人権外交に熱心な理由
キング氏は欧米諸国が人権問題に熱心に取り組む背景について「民主主義と人権との間にはつながりがある。人権に深く注目している国は、開かれた民主的な選挙を通じて指導者を選ぶ国だ。自由な報道、言論の自由、独立した司法など、人権尊重に関連する価値観は、民主主義が機能するために不可欠だ」と語る。
米国は人権を侵害する国などへの制裁を科すマグニツキー法を持つ。キング氏は「マグニツキー法が米議会で採択されたとき、経済に対する潜在的なマイナス影響を懸念する人もいたが、強く支持された。この決定は、重要な人権原則はお金よりも重要であるというものだった。時には、基本的な価値のために経済的な代償を払わなければならないことがある」と指摘する。
中谷氏も「日本版マグニツキー法」制定の必要性を訴えている。だが、日本政府関係者の1人は「日本でマグニツキー法を作ることは難しい」と語る。
日本は従来、制裁に踏み切る根拠として国連制裁決議などを挙げてきた。欧州連合(EU)と米、英、カナダは今年3月、相次いで、ウイグル族への人権侵害を理由に中国の当局者らへの制裁を決めたが、日本は制裁にまで踏み込んでいない。
日本は中国だけではなく、ミャンマーやカンボジアなどで軍部や当局による人権侵害が起きた際も、欧米諸国のような強い批判を避け、政府の途上国援助を含む外交を展開してきた。
■問われる日本の人権問題
別の政府関係者は二つの理由を挙げる。「まず、日本は欧米のような人種差別や民族紛争の歴史が少ないため、人権への関心が比較的薄かった」。最近、自民党などで香港や新疆ウイグル自治区の問題で中国を非難する声が高まっているが、この関係者は「この政治家たちが、中東やアフリカの人権問題に関心があったわけではない。中国をたたく材料として人権を利用しているだけだ」と語る。
さらに、二つめの理由として「中韓などから慰安婦や徴用工の問題などで突っ込まれるのを避けるため、人権問題にあまり関わってこなかった」と語る。別の政府高官は「もし、日本が中国の人権問題を取り上げたら、中国の裁判所は慰安婦や徴用工問題を巡る訴訟を積極的に受理するようになるかもしれない」と危ぶむ。
事実、戦時中に日本に強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人元労働者らが日本企業に損害賠償を求めた裁判で、北京市第1中級人民法院(地裁に相当)が2014年3月、原告らの提訴を正式に受理したことがあった。中国の裁判所が強制連行被害者の訴訟を受け入れるのは初めてだった。当時、12年の尖閣諸島国有化などによる日中関係の悪化や、安倍晋三政権の歴史認識問題に対する反発が背景にあるとされた。
キング氏によれば、中国やロシア、中東諸国など、自国の人権問題を抱える多くの国は、北朝鮮の人権問題に取り組むことを支持していないという。
政府は10月に行われた国連拷問禁止委員会を構成する人権専門家の選挙で、日本人の当選に向けて世界各国で選挙運動を行った。同委は、拷問等禁止条約の締約国が負う義務の履行状況を監視する条約機関で、2015年12月の日韓慰安婦合意を巡り、元慰安婦の名誉回復などが十分ではないとして韓国側に見直しを求める勧告を行ったこともある。日本政府内には、国連拷問禁止委員会が歴史認識問題で日本を批判する場に使われることへの警戒感が残っているという。
李政勲氏は「日本は戦後の国際社会で平和主義を掲げて活躍してきた。すでに戦後から80年近くになる。日本が人権問題に取り組むことは、歴史認識問題の解決にも役立つのではないか」と語る。
李氏は2013年に北韓人権国際協力大使に就任したが、17年5月に発足した文在寅政権は李氏の後任者を任命しなかった。昨年には、北朝鮮に向けたビラ散布を禁止する法律を制定。現在は、与党がメディア規制を強化する法案を推進している。李氏は「人権は普遍的な問題だから、政権交代で態度が変わってはいけない。文氏は人権弁護士だが、人権を軽く扱っている」と語る。
李氏や日本の政府関係者らは「人権問題には本音と建前がある」と語る。欧米諸国も人権を重視するが、自国の利益を最優先で考えていることも否めない。
トランプ米政権は当初、脱北者をホワイトハウスに招くなど、北朝鮮の人権問題を激しく批判した。第2次安倍政権も北朝鮮人権問題を重視。北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)の設置には、日本の在外公館による働きかけが大きな役割を果たした。
李氏によれば、北朝鮮は2014年、COI報告が発表される際、激しく動揺した。李氏と面会した北朝鮮人権状況国連特別報告者(当時)のマルズキ・ダルスマン氏は、北朝鮮が「報告書が責任を追及すべきだと明記した北朝鮮高官の名前を削除してくれたら、北朝鮮に招待する」と持ちかけたことを明らかにした。当時、北朝鮮はケネス・ベー氏ら抑留していた3人の米国人の解放にも応じた。李氏は「国際社会が一致して対応した結果だった」と評価する。
ところが、2018年6月、シンガポールで行われた米朝首脳共同声明は北朝鮮の人権問題に触れなかった。安倍政権も同年、「無条件での日朝首脳会談開催」を掲げると、欧州連合(EU)と共に続けてきた国連人権理事会への北朝鮮非難決議の共同提案国から降りてしまった。
キング氏は「トランプ政権は、北朝鮮から欲しいものを手に入れるために人権問題を扱ったが、トランプ氏は人権の価値を気に留めていなかった」と語る。
同氏はまた、日本の拉致問題に対する姿勢について「日本人が拉致問題に焦点を当てている事情は理解できる。国民を拉致するのは本当に言語道断だ。私は北朝鮮による完全な解決を求める日本政府の努力を尊重し、支持する」と語る。
■「人権は普遍的な問題」
同時に、キング氏は「人権は、すべての国が支持すべき原則または価値だ」とも主張する。「人権政策に対する批判を、その国の別の問題に対する圧力に利用することには強く反対する。北朝鮮に核兵器開発に圧力をかけるために、北朝鮮の人権問題を批判してはならない。これらの問題は別々に扱う必要がある。核兵器に関する政策を変更させるために、人権侵害を批判すべきではない」
李氏は「岸田首相が人権外交に取り組む背景にはもちろん、習近平中国国家主席を批判できるという政治的な事情があるだろう」と理解を示す一方、「人権は普遍的な問題だから、一貫した態度が求められる。政権交代しても態度が変わらないよう、首相補佐官の創設など、制度を整えることが重要。中国の人権問題に限らず、中東・アフリカの人権、あるいは難民問題にも広く取り組むべきだろう」と語る。
また、中国は北朝鮮とは比べものにならないほどの巨大な経済力を持つ。2017年、韓国のロッテが所有していた土地に米国が高高度防衛ミサイルシステム(THAAD)を配備したことから、中国は自国に進出したロッテグループの営業を様々な理由をつけて妨害した。韓国を訪れる中国人観光客も一時、激減した。
■人権外交、コストの覚悟を
中国は今、豪州産の石炭やワインの輸入などに対して経済的な圧力をかけている。2010年には、尖閣諸島沖の東シナ海での中国漁船衝突事件が起きた直後、中国の軍事管理区域でビデオ撮影をしたなどとして、日本の準大手ゼネコン、フジタの社員ら日本人4人が中国当局に拘束される事件も起きた。
李氏は「日本が中国に人権外交を展開するのであれば、韓国やオーストラリアのように、相当な経済コストを払うことを甘受する姿勢が必要だ。日本も韓国も共産主義の中国とは理念、価値観が違う。中国が望む世界が良いなら譲歩すればいいが、そういうわけにはいかないだろう」と語る。
キング氏は「岸田首相の人権に関する発言や、内閣府に人権補佐官を置くという発言は、優れた提案だと思う。しかし、人権を中国や他の国々を批判する手段としてのみ見ることは賢明な政策ではないだろう。人権は、貿易や安全保障の問題とは無関係に支援され、奨励されるべき重要な価値なのだ」と語った。
RobertR.King トム・ラントス米下院議員の首席補佐官や民主党の米下院外交委員会スタッフなどを経て、2009年から17年まで米国務省北朝鮮人権担当特使を務めた。
イ・ジョンフン 韓国・延世大学国際学大学院教授。慶応義塾大客員教授やハーバード・ケネディ・スクールのシニア・フェローなども務めた。