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震災の壮絶体験を漫画化 15歳で家族失い、ホームレス…謎の投稿主あぶくま君に会う

People 更新日: 公開日:
あぶくま君が投稿し続ける震災体験を描いた漫画=@abukumakum/Twitter
あぶくま君が投稿し続ける震災体験を描いた漫画=@abukumakum/Twitter

ずっと気になっているTwitterのアカウントがあった。名前は「あぶくま君」。15歳のときに東日本大震災に遭遇、家族や親戚をすべて失い、東京でホームレスに――。プロフィール欄にはそんな自己紹介文が載っている。

あぶくま君は自らの体験をもとにしたという漫画を日々投稿し、10月15日現在で73話にまでなっている。

あぶくま君のTwitterアイコン=@abukumakum/Twitter
あぶくま君のTwitterアイコン=@abukumakum/Twitter

現在までのストーリーはこんな感じだ。

2011年3月11日午後2時46分。中学の卒業式当日、突然強い揺れが襲う。主人公のあぶくま君は福島県南相馬市の中学3年生の男子。ほかの生徒たちは親たちが迎えに来る中、あぶくま君は家族と連絡がつかない。

一緒に暮らしていたのは母親と2歳の弟、姉と姉の息子(4)の4人。母親と姉に何度も電話したが応答がない。

仕方なく、一部の生徒や教諭らと避難所に身を寄せることに。数日後、自宅を見に行ったが津波に流され、跡形もなくなっていた。

避難所には連日遺体が運び込まれた。泣き崩れる遺族たち。そんな姿を見続けるうち、感情が失われていった。

家族が見つからないまま、ほかの被災者たちと県外の避難施設に移ることになったが、情報が錯綜し、向かった埼玉や東京では目当ての施設はなかった。

東京・新宿でみんなと別れ、そのままホームレス生活を送ることに。最新話では、親しくなったホームレスの男性から仕事を紹介してもらい、住み込みで働きながらお金を稼ぐことになる…。

あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter
あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter

投稿は注目を集め、今では約6万人のフォロワーを抱えている。

アカウントの開設は今年2月。震災から10年を迎える1カ月前のことだ。

折しも当時、私は震災10年をテーマにしたデジタルコンテンツの制作に関わり、震災による孤児・遺児のデータをまとめていた。

震災孤児(震災によって両親を亡くしたか、一人親を亡くした子ども)は約240人、震災遺児(震災によって両親のうちどちらかを亡くした子ども)は約1550人。

彼らはいったいどんな思いで生きてきたのだろうかと、データの先にいるリアルな人たちに思いをはせていた。

あぶくま君のアカウントを知ったのは震災の企画が終わり、GLOBE+編集部に異動してからだったが、本人に会って話を聞いてみたくなり、Twitterのダイレクトメッセージを送って取材を申し込んだ。

4月中旬。友人に付き添われてあぶくま君は現れた。当初はこちらも遠慮しながら質問していった。

漫画の中で、最も感情を揺さぶられたのは、あぶくま君は被災地で行方不明の家族を捜すものの、家族が亡くなっていることを悟り、「悲しいとか寂しいという感情」はなくなっていたと話すシーンだ。

あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter
あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter

このときの心境をおそるおそる聞いてみた。あぶくま君は自問自答するように語った。

「避難所に次々と遺体が運び込まれ、数が増えるにつれて私たち避難者の生活スペースからも見えるところに安置されるようになりました。身元を確認する遺族の姿を見て、感情がプツンと切れたようになくなりました。今から思えば、防衛本能だったのかもしれません」

その後も少しずつではあるが、この10年の人生の話を聞くことができた。もちろん、限られた取材時間の中で網羅的にとはいかなかったが、想像を絶するような経験をしてきたことは伝わった。

今後の漫画の「ネタバレ」につながる可能性があるので、これ以上は私からも明かすことはできない。

漫画をTwitterで投稿しようと思ったのは昨年。震災から10年近くたち、気持ちの整理もつきつつある中、新型コロナウイルスの感染が拡大したのがきっかけだったという。あぶくま君はこう話した。

「被災体験も新型コロナも、人類が経験したことのない危機という意味では同じで、伝えることで皆さんの教訓になるのではないかと思ったからです」

それでも当初、ストーリーの構成を考えるときにかつてのつらい気持ちがよみがえるため、酒の力を借りて友人らとアイデアを出し合ったそうだ。

あぶくま君を名乗り、被災体験を描く漫画を投稿し続ける男性。複数回にわたって取材に応じた=4月、東京、関根和弘撮影
あぶくま君を名乗り、被災体験を描く漫画を投稿し続ける男性。複数回にわたって取材に応じた=4月、東京、関根和弘撮影

一方で、あぶくま君が困っていることがあるという。根拠もなしに漫画で描かれている話はデマだと言ってくる人が何人かいるというのだ。

ひどいものになると正体を暴こうとしたり、勝手に推測でデマだと決めつけ、ネットで「拡散」しようとしたりする人もいる。

私自身、そういった苦い経験はある。当時官房長官だった菅義偉氏の定例会見をめぐり、首相官邸側が特定の記者の質問を「制限」している状況に心を痛めた中学2年生が、ネット上で支援を求める署名運動を始めた。

それを記事にしたところ、ソーシャルメディアで「そんな中学生はいない。デマだ」「母親の操り人形だ」などといった根拠のない主張や、中には私や中学生を誹謗中傷する投稿も出回った。

中学生や家族の個人情報を探ろうとする人たちも現れ、中学生側は一時、法的措置も検討せざるを得なくなった。

このときは中学生の行動が当時の安倍政権を相手にするような形になったため、激烈な反応になったのだろうと感じていたが、あぶくま君のケースを聞くと、被災体験をめぐっても容赦ない誹謗中傷が起きるのかと、悪意あるネットユーザー問題の深刻さを改めて感じた。

とはいえ、もちろん取材においてはあぶくま君が漫画にしたり、私に話してくれたりしたことが事実かどうかの「裏付け」は欠かせない。

「疑うわけではないのですが…」と恐縮しつつ、個人的な話を「根掘り葉掘り」聞いたり、裏付けになるような公的証明書などを見せてもらったりした。あぶくま君には嫌な思いをさせたかもしれない。

漫画はまだまだこの先、続くという。最後はどんな形で終わるのか、私自身、注目している。

あぶくま君とのやり取りは次の通り。

――漫画に描かれているストーリーは本当なのでしょうか。

本当です。漫画にあるとおり、私は福島県南相馬市で被災しました。あの日はちょうど中学の卒業式でした。式には保護者も出席していたので、多くの生徒が震災直後、待機していた家族と合流できたのですが、私の場合、家族は来ていなかったので、朝自宅を出たのを最後に連絡が取れなくなっていました。

家族構成も漫画の通りです。うちは父が事故で亡くなり、母子家庭でした。2歳の弟のほかに離婚した姉と4歳の息子も同居していました。

震災直後から携帯電話で母と姉に連絡を取ろうとしたのですが、つながりませんでした。親類もだめでした。

あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter
あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter

――ご家族は今も行方不明のままなのですか。

そうです。震災から約3年後に役所を通じて警察に相談しました。漫画でも描かれていますが、携帯電話に何度かけてもつながらず、自宅周辺を探しても手がかりはありませんでした。

そもそも自宅周辺は津波で破壊された家屋などのがれきが散乱し、立ち入ったり、歩いたりすることさえ困難でした。消防関係者たちが救助にあたっていました。知り合いには不思議と会いませんでした。

あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter
あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter

――避難所を出て県外に向かいましたね。家族のことは心配ではなかったのですか。

心配という気持ちも含めて、あのときは感情がなくなっていたんですね。避難所は極限状態でした。次々と遺体が運び込まれ、安置された遺体は私たちの生活スペースからも見えるようになっていきました。警察官だけでなく、民間の避難者が検視を手伝うような状況で...。それを見ていたら、感情の起伏がなくなっていったんですね。

今から考えると防衛本能だったのかなと思います。そうすることでかろうじて自分の精神を保つことができるというか。

避難所に滞在したのは約3週間でした。その間、家族を捜し続けたのですが見つかりませんでした。最悪のケースを考えた方がいいだろう、と思うようになりました。漠然とですが、生きていくためには仕事もしなくてはならないんだろうなとも思いました。

そもそも避難所から出たかったというのもあります。食事が足りず、プライバシーもなく、原発も心配でした。

あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter
あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter

――中学の卒業式に被災した、と。卒業後はどうする予定だったのですか。

いわき市内の高校に入学する予定でしたが、しませんでした。高校には連絡せずじまいでした。

――新宿でホームレスをしていましたと漫画にありますね。にわかに信じがたいのですが…。

ほかの被災者と福島を出て、最初に向かったのは埼玉県です。ところが、事前に言われていた避難施設がなく、仕方がないので板橋区に回ったんです。でもそこでも施設がなくて。結局、新宿にやってきて、そこでみんなと別れました。

ほかの避難者は知人の家など行く当てがあったようなのですが、私にはそれがなくて。ある夫婦が心配してくれたんですが、私はとっさに「大丈夫です」と。今から振り返ると、色んなことに疲れ、解放されたいという思いが強かったんです。

その日の夜は、JR新宿駅のガード下で座った状態で休みました。まだ寒かったので、そのあたりに落ちていた毛布のようなものをかけました。翌朝、親切なホームレスの人たちが何人か心配して寄ってきてくれて、彼らが生活の拠点としている新宿御苑に連れて行ってくれました。

あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter
あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter

――新宿御苑は有料施設だからホームレスが入れるわけがない、という指摘がTwitterでありました。

はい、確かに施設内はそうなのですが、当時は施設の入り口前はホームレスの方々が暮らしていたんですね。私もそこに身を寄せました。段ボールやブルーシートなどはほかの方にもらいました。

――食事はどうしたのですか。

都庁前の公園で炊き出しなどがあって、それでしのぎました。あとは、ホームレスの方の紹介でアルバイトをしてお金を稼ぎました。消費者金融の看板を持って路上で立っているという仕事です。

――役所に助けを求めなかったのですか。

ホームレスの人たちから「役所に行っても、また被災地に帰されるだけだ」って言われたんですね。それだと県外に逃げてきた意味もないので、相談しませんでした。

それに、ホームレス生活から半年後、自立の見通しが出てきたので。

――というと。

あるホームレスの男性が仕事を紹介してくれたんです。元運送会社を経営していたという方で一番親身に世話をしてくれた人でした。漫画にも登場するのですが、銭湯に一緒に行った時、「君はここにいるべきじゃない。普通の生活に戻るべきだ」って言ってくれたんです。

それで紹介されたのが、漫画でも強烈なキャラとなっているこわもての男性でした。彼のもとで住み込みながら、債権の取り立てのような仕事や、パソコンでバナーを作ることなどをやっていました。それで私も少しずつお金を稼ぐことができるようになりました。

あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter
あぶくま君が投稿し続ける漫画=@abukumakum/Twitter

――その後、どんな生活を送ったのですか。

ここから先は漫画でも発表していないのでお話しできません。ただ、その後も自分でも信じられないような出来事が起きたので、作品の中で紹介していきたいと思います。連載はまだまだ続きます。

――連載が始まったのは今年2月です。なぜご自身の体験を発表しようと思ったのですか。

自分だけではないんですが、あの被災体験というのは、世界的にもまれなことだったと思うんです。伝えることで人々の教訓になるのではないかと思いました。きっかけは昨年から拡大した新型コロナウイルスです。人類が経験したことのない危機という意味では同じだと思い、決断しました。Twitterを選んだのは、一番拡散するだろうと思ったからです。