西田氏は9・11発生当時、経済協力局長だった。外務省が総力を挙げて9・11対応に取り組むなか、西田氏も直後から連日、対策本部に缶詰めになった。西田氏ら幹部は在日米国大使館や在日米軍、米中央情報局(CIA)、米連邦捜査局(FBI)などから上がっている情報を分析し、情勢判断に追われた。
西田氏は当時の状況について「何が起きたのか、よくわからなかった。米国の情報機関も混乱していた」と語る。
西田氏は「米国は建国以来、ずっと戦争をしてきた国だが、米本土が『戦場』になったのは、独立戦争以来のことだった」と語る。米国内は騒然としていた。「次はロサンゼルスが狙われる」「テロが各地に拡大する」といった未確認の情報があふれていた。米国が困っているのは間違いなかった。西田氏は「9・11までの日米安保体制は、米国が困っている日本を助けるという構図で、こうした状況は初めての経験だった」と振り返る。
外務省は「米国に協力し助けるべきだ」という意見でまとまり、小泉純一郎首相の緊急訪米を首相官邸に提言した。官邸は慎重だった。「米国内で安全な場所はどこか」「米国はまだ、アンダーコントロールとは言えないだろう」といった意見も出た。訪米を決めたのは、小泉首相自身の判断だった。すでに、小泉首相とジョージ・W・ブッシュ大統領の関係は良好だった。西田氏も「小泉首相でなければ、官邸は訪米に反対したし、外務省も訪米を提案しなかっただろう」と語る。
西田氏は2005年11月16日午後、京都迎賓館でブッシュ大統領と対面する機会があった。同日の首脳会談を終えた小泉首相は一足先に京都を発っていた。西田氏はブッシュ氏に「大統領と総理はお互いに強い信頼関係で結ばれている。どうしてなのか」と尋ねた。ブッシュ氏は即座に「He is a strong man」と答えた。西田氏が「どういう意味か」と更に尋ねると、「小泉は自分の信じる改革をやり遂げようと一生懸命だ。改革は、自民党内でも人気がないのに、それでも頑張っている。そういう小泉が好きだ」と語ったという。
01年9月25日、小泉首相はブッシュ大統領と会談した。小泉氏は「米国とともに戦っていく。自衛隊の活動には制約があるが、武力行使でない分野で、できることがたくさんあるはずだ。医療、輸送、難民救済、情報収集だ」と語った。ブッシュ氏は「友情に感謝する。米国は小泉首相を頼りにできると思っている」と答えた。
西田氏は「当時、決まった政策は何もなかった。とにかく訪米するという一点だった。ワシントンに一番乗りしたインパクトは非常に大きかった」と語る。
西田氏は9・11から1年後の02年9月、総合政策局長に就任した。米国は03年3月、アフガニスタン派兵に続いてイラク戦争を始めた。海上自衛隊はすでにインド洋で給油支援活動を始めていたが、イラクでも日本の貢献が求められていた。
西田氏は当時、「日本の外交強化の一環として軍事力を適切・有効に使うべきだ」と考えた。「自衛隊をイラクに派遣すれば、同盟国と一緒にグローバルな政策目標を達成する訓練になる。日米安保も強化できる」と思ったという。
内閣法制局は「多国籍軍は武力行使のための部隊だ。武力行使につながる派遣は憲法違反の疑義がある」として、自衛隊のイラク派遣に反対した。西田氏は日本の国連代表部を通じて米国と協議し、加盟国に様々な協力を要請する国連安全保障理事会の決議を実現させた。
西田氏は法制局幹部と何度も協議し、「国連決議に基づく派遣だし、多国籍軍には様々な役割もある。自衛隊の多国籍軍派遣は、ただちに武力行使にはならない」と主張した。法制局も最終的に「個別具体的に考える」として了解した。
当時、自民党国防族も自衛隊のインド洋やイラクへの派遣にはむしろ反対だった。「行ったこともないのに、過酷な気温のインド洋に自衛艦を派遣するなど無責任だ」「自衛隊員に犠牲が出ないと保証できるのか」と、西田氏を批判する議員もいた。西田氏は「国防族は選挙で自衛隊の票をもらうことばかり考え、自衛隊の国際的な役割に関する理解に欠けていた」と語る。
それでも03年7月、イラク特措法が成立した。小泉首相は自衛隊派遣に先立つ同年12月の記者会見で「日米同盟と国際協調が日本外交の基本だ」「口先だけでない、その行動が試されている」と語った。自衛隊のイラク派遣は同年末から09年2月まで続いた。
9・11から20年。米国のバイデン政権は今、「中国と競争関係にある」と説明し、日本に同盟国としての更なる役割を果たすよう求めている。菅義偉首相は4月の日米首脳会談後の共同記者会見で「日米同盟の抑止力、対処力を強化していく必要がある」と語った。
しかし、政府与党はその後、この議論について沈黙を続けている。今年後半には、2度目の日米外務防衛閣僚級協議(2プラス2)が行われるが、どんな協議が続けられているのかも、伝わってこない。
西田氏は「国(民主主義)の仕組みを支えているのは、法と組織・機構、そして指導者の責任・倫理だ。今の政治家は皆、国民目線でやっていると主張するが、法制度にも組織にも何も手をつけていないように見える。長期的視野や戦略があるとは思えない」と語る。
日本外務省での「9・11を第2の湾岸戦争にするな」という合言葉のもと、西田氏らが日本の国際貢献に力を尽くしてから20年。今年8月15日、イスラム主義勢力タリバンがアフガニスタンの首都カブールを占拠し、全権を握った。ガニ大統領は国外に逃れ、米国人やアフガニスタン協力者らの緊急脱出が相次いだ。米国では世論が分裂。共和党と民主党との間で「Who lost Afghanistan」という、お決まりの党派的非難合戦も始まっている。
西田氏は「今まさに、恐れていた『第2のサイゴン陥落』が目の前で起きている。これが、20年間にわたる国際社会の一致した努力・協力と犠牲の結果であるとは信じたくない」と語る。「直接、間接を問わず、この問題に関わって来ただけに失望とやり場のない無力感に包まれている」
西田氏は「日本から遠く離れ、多くの日本人にとって見も知らぬ『failed country』であるアフガニスタンのために、日本は経済的な貢献に加えて人的・外交的・軍事的な協力に踏み切った。それができたのは、日米協力という以前からの要請だけではない」と語る。「衝撃的な9・11が起きた直後、国際社会は反テロリズムで結束して立ち上がった。日本も世界の平和と安全の為にこれまで以上の貢献をすべきだという真剣な思いが、日本人に広く受け入れられたからだ」
しかし、9・11から20年後の今、国際社会は当時の決意を忘れつつある。西田氏は今後、メディアを中心に当面、アフガニスタンからの脱出作戦に焦点が当たった後、「失敗」の原因と今後の対応を巡って山ほどの論評が行われると予測する。当時の事実が導いた歴史的意義を軽視し、「後付けの議論」が横行することを懸念する。
西田氏は「そもそも国際社会が失敗国家の再建に乗り出すのは不可能で、価値の押し付け、誤った行為だという主張が力を得てきかねない」と危惧する。実際、AFP通信によれば、ロシアのプーチン大統領は8月20日、ドイツのメルケル首相との会談後の記者会見で「他国から政治行動の規範を押し付けることはできない」と語った。中国メディアも、米国の信用とイメージが地に落ちたと痛烈に批判している。
西田氏はこうした風潮が、新型コロナウイルスの対応を巡るワクチン確保を巡る動きや、気候変動への対応で自国の利益を優先させようとする動きと相まって、「自国第一主義」が更に広がる可能性があると指摘する。
西田氏は「アフガニスタンの失敗を論じるなかで、これまで営々と築き上げて来た平和と安全、人権を世界的に推進するための国際的団結・努力への正当な評価が損なわれてはならない。民主主義を放棄するかのような無責任な議論は何としても回避するべきだ」と語る。
そして、西田氏は「世界がこうした根本的な視点を見失えば、世界は1945年以前の混乱と悲劇を繰り返すことになるかもしれない。そうなれば、後悔後に立たずだ」と語った。
にしだ・つねお 1947年生まれ。70年に外務省に入り、総合外交政策局長、外務審議官、カナダ大使、国連大使などを歴任した。広島大学平和センター名誉センター長、国際連合大学理事、神奈川大学学長特別顧問などを務める。