■コロナ問題で報告遅れ?
朝鮮中央通信によれば、党政治局拡大会議が6月29日に開かれた。正恩氏は、責任幹部が国家非常防疫戦に関する党の重要決定の執行を怠ったと追及。「国家と人民の安全に大きな危機をもたらす重大事件を発生させた」と批判した。会議では、党政治局常務委員、委員、委員候補の解任と補選などが行われた。人事の詳細は明らかにされなかった。
北朝鮮は現在、新型コロナ防疫対策や思想統制強化のため、許可のない往来や通信を厳しく禁じている。情報収集に限界があるが、中国に駐在する中朝関係筋らによれば、経済難から中朝間で一部密貿易が横行している。この過程で、平安北道新義州や両江道恵山などでコロナ感染が疑われる患者が発生しているという。
ここで気になるのが、正恩氏の「責任幹部が国家非常防疫戦に関する党の重要決定の執行を怠った」という点だ。北朝鮮は昨年から、党政治局会議や政治局拡大会議などを何度も開き、コロナの防疫対策を協議したと発表していた。会議には正恩氏も出席していた。高級幹部の解任に至るような重大事件について、正恩氏が知らなかったという事態は考えにくい。
これについて、元党幹部の1人は「正恩氏の体重減少と関係があるかもしれない」と語る。この幹部によれば、1月の党大会をテレビで視聴した市民などから、金正恩氏の健康状態を心配する声や、党幹部らが正恩氏の健康により配慮すべきではないかという声が上がったという。
このため、正恩氏は5月から6月にかけ、食事制限などを柱にした「安息治療」と呼ばれるリハビリを受けたとされる。韓国政府の分析によれば、正恩氏の肥満は元々、独裁を維持するための過度なストレスから逃れるための暴飲暴食が原因だった。治療の結果、140キロだった体重を10キロ以上減らすことに成功した。
元党幹部は「幹部たちは安息治療の期間中、正恩氏にストレスがかからないよう、面倒な報告は控えていたのではないか。それが、コロナ問題の報告の遅れにつながったのかもしれない」と語る。
元幹部によれば、北朝鮮では独裁者の怒りを買わないよう、こうした現象がたびたび起きる。金日成主席が1994年7月に妙香山の別荘で死亡したときも同じ現象が起きた。金日成氏は昼過ぎに心臓発作に見舞われたが、幹部たちが金正日総書記を気遣ったため、報告が午後9時ごろになった。金日成氏は翌日未明に死亡したため、金正日総書記は「幹部が首領様を殺した」と激怒したという。
詳しい原因は不明だが、事態が党政治局常務委員の解任にまで至った以上、正恩氏の怒りは相当なものだったに違いない。
■更迭されたのは誰か
次に、更迭された党政治局常務委員は誰なのか。常務委員は党の最上位に位置するポストで、正恩氏を含めて5人しかいない。現在、可能性があるとされるのは、新型コロナ対策の司令塔役にあたる中央非常防疫指揮部を統括する立場にある金徳訓首相か、党を総括する立場にある趙甬元氏の可能性が高いとみられている。元党幹部は「安息治療の間、正恩氏に代わって党務や政務を裁いていたのは趙甬元だ」と語る。
別の元党幹部によれば、趙氏は、金与正氏が労働党に入党する際の保証人になった人物。保証人は入党者が問題を起こしたときの連帯保証人であり、入党者にとっての「ゴッドファーザー」とも言える存在にあたる。趙氏は正恩氏と与正氏兄妹と家族ぐるみの付き合いがあったという。
朝鮮中央テレビは6月30日、党政治局拡大会議の模様を報道した。映像からは、人事の場面で演壇に着席した幹部18人のうち、2人だけが挙手しなかった様子が確認できた。政治局常務委員の李炳哲・党中央軍事委員会副委員長と、政治局員の朴正天軍総参謀長だ。元党幹部は「解任動議が出る場合、該当者は挙手できない決まりになっている。2人が解任されたということだろう」と語った。
朴氏は軍を指揮する立場にある。軍の現場から新型コロナウイルスの感染が疑われる事態が発生した可能性がある。コロナ感染が疑われる事例が発生したとされる新義州は平安北道に司令部がある第8軍団が管轄している。恵山には第12軍団の司令部がある。いずれの軍団も、相当規模の中朝密貿易を行い、軍の資金を調達していたという。
また、李氏は中央軍事委員会副委員長として、軍関連の全ての報告を受ける立場にあった。李氏の解任が事実であれば、李氏の金正恩総書記に対する報告が遅れたのかもしれない。
一方、2人の幹部が解任されても北朝鮮の軍事分野に影響はないとみられる。元党幹部は「影響が出る人事を公表するわけがない。2人の代わりはいくらでもいる」と語る。李氏は北朝鮮の軍需工業分野の総責任者だが、テクノクラート出身ではない。軍需分野への影響はほとんどないという。
また、2019年夏に総参謀長に就任した朴氏は金正恩氏が権力を継承した11年末以降、7人目の総参謀長。7人の平均在任期間は2年未満に過ぎない。北朝鮮軍の将軍職の人事権は最高司令官にあり、総参謀長に強い権限はない。軍内部には幹部更迭を自身の昇進の機会と考える軍人も多いという。
朝鮮中央通信は「党政治局常務委員の解任」は伝えたが、新しい常務委員の名前は伝えていない。最上位ポストのため、人選が間に合わなかった可能性がある。北朝鮮では解任が直ちに政治生命の終わりを意味するわけではないが、今後の人事に注目が集まりそうだ。
一方、今回の事態について、専門家の間では「金正恩氏の訪中の予兆ではないか」と分析する声も上がっている。北朝鮮メディアは最近、中朝関係を重視する報道を続けている。労働新聞は6月21日、中国の習近平国家主席の訪朝2周年を記念し、中朝協力の拡大を訴える李進軍駐朝中国大使の寄稿文を掲載した。
情報関係筋の一人は「北朝鮮の食糧事情は相当深刻だ。夏から秋にかけ、正恩氏が訪中し、習近平氏に支援を要請するという未確認情報もある。今回の事態は、新型コロナを取り巻く厳しい状況をアピールする狙いがあるかもしれない」と語る。
そして、29日の政治局拡大会議の開催を伝える北朝鮮メディアは、討論する金与正党副部長の写真を掲載した。与正氏は党宣伝扇動部の副部長。新型コロナ対策や党組織・人事とは関係のないポジションにある。現在の役職は党中央委員に過ぎない。政治局拡大会議に参加して討論する権利はあるが、議決権は持っていない。北朝鮮が国営メディアを通じ、討論する与正氏の姿を公開した意図はどこにあるのか。
1月の党大会で政治局員候補から党中央委員に降格された与正氏の復権を予告している可能性もある。最側近ともいえる政治局常務委員の解任に至り、「やはり信頼できるのは、肉親の与正氏しかいない」というアピールかもしれない。
だが、どのような理由があるにせよ、誰が解任されたにせよ、部下に責任を押しつけ、妹の与正氏の力にすがるという、金正恩氏の政治手法は全く変わっていない。高級幹部と共生せざるをえない「弱い独裁者」である以上、いつかこの手法は限界を迎えるだろう。