■「この道の向こうは別世界です」
エルサレムに勤務して2年近く、超正統派ユダヤ教徒の人たちは近寄りがたい存在だと思っていた。「超」と名が付くだけのことはある。真っ黒なスーツに身を包んだ姿は、別格のオーラを放つ。ユダヤ教徒の中でも最も忠実に聖書の教えを守って生きている人たちだ。
彼らは街中を普通に歩いているし、政党を持って選挙にも出馬する。イスラエルで超正統派は人口の1割超。なのに、イスラエル人でさえ、超正統派と接点があまりないという声をよく聞く。特定の地区にまとまって住み「パラレルワールド」と言われることもある。
20歳までこの世界で育ったモティ・バーレフ(38)に案内役を頼み、今年2月、超正統派の街へと取材に向かうことにした。
「この道の向こうは、別世界です」。モティはそう言うと、1本の静かな路地を曲がっていった。「この通りをまたぐことなく、一生を終える超正統派もいるんです」。つばをゴクリとのみ込み、一歩を踏み出す。
ここはメアシェアリーム地区という。エルサレムでも、特に信仰心の強い超正統派が集まって住むエリアだ。アジア人なんて珍しいのだろう。注目される視線を感じながら歩く。
男性は白シャツに黒いスーツ姿。黒い大きな帽子をかぶっている。ひげを伸ばしているか、長いもみあげをツイストさせているか、帽子の形や靴下の色は――。実は微妙な違いがあって、「一目見れば、どの宗派に属しているか分かる」という。と言われても、素人にはなかなか難しい。
一方の女性たちは、結婚するとスカーフなどで髪を隠すのが決まり。男性は妻以外の女性に誘惑されてはならない、という教えがあるためだ。
ん、そうは言っても、金髪の女性も多く見かけるけれど……。「あれはウィッグ。ルールは守るけど、超正統派だって女性はオシャレもしたいから」とモティ。そう言われると、なんだか少し身近に思えてくる。
地区の入り口にはこんな看板も掲げられていた。「女性の皆さん、露出度の高い服装でこの地区を通らないでください」。たとえ観光客でも、足を踏み入れるなら長袖やロングスカートの着用が望ましい。
■青春時代に恋愛もデートもNG
超正統派には色々な慣習があるが、特に性をめぐるルールは厳しい。
まず男女の「隔離」。幼稚園から男女に分かれる。モティによれば、青春時代には恋愛もデートもなし。男女が一緒に歩いていたら、ほぼ既婚者だと思っていい。祈りの場所も別々で、聖地「嘆きの壁」も左右にフェンスで仕切られている。
「そもそも、誰も恋愛結婚なんてしないのです」とモティは言う。20歳前後になると、マッチメーカーと呼ばれる仲介人にお金を払い、家柄や宗教学校での成績などを考慮して、お見合いがセッティングされる。
特にハシディームと呼ばれる宗派は厳格だ。男性は「女性を見てはいけない」「女性のことを考えてもいけない」と教わって育つ。自身もハシディームの文化で生まれ育ったモティは言う。「結婚するまで、8割の男はセックスの仕方を知らない。女性の裸がどんなものかも知らない」。2、3度のお見合いを経て、次に会うのは結婚当日となる。
超正統派が子だくさんなのは有名な話だ。イスラエル民主主義研究所(IDI)によると、女性1人がもうける子どもの数は平均6.6人。10人を超えることも珍しくない。旧約聖書の創世記にはこう書かれている。「子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」
「だけど、セックスを楽しんではいけない」とモティは続ける。「なぜなら、男性は神を愛することが一番とされるから」。なにやら禅問答のようだ。子孫を残すのは神聖な行為だが、欲に溺れてはいけない――というわけか。
ハシディームの中でも特に厳しい宗派では、「妻にキスをしてもいいか」といった振る舞いについて、電話で質問に答えてくれるガイド役までいるのだという。
■英語も算数も学ぶ必要なし?!
さて、そんな超正統派にとって最も大事とも言える場所がある。それが男性が通う宗教学校「イェシバ」だ。
ザワザワと声が漏れ聞こえるドアを開けると、教室内は白シャツ姿の少年たちで埋め尽くされ、互いに向き合って意見を戦わせていた。
少年たちの手元にある分厚い本はタルムードという、歴代の宗教家による聖書の解釈が記された聖典だ。1日1ページを学び、全2711ページを約7年半かけて終える。
男性の場合は、一生を宗教の学びに捧げるのが厳格な超正統派の生き方だ。つまり、就職もせずに宗教を学び続ける。英語も算数も学んだことのない大人たちが、この世界では珍しくない。
では、どうやって生活の糧を得るのか。それは女性の役割というわけだ。仕事で収入を得て家計を支えるため、女性は学校でも一般に近い教育を受けている。
「男性は宗教を学ぶ。女性はそれを支える。それが幸せになる道だというのが基本的な考えです」とモティが教えてくれた。
私たちが慣れ親しむ世界だったら、いったいどうなることか。女性は不満を持たないの? 当然そんな疑問が浮かぶが、男性が宗教界で成功すれば、妻や母の地位も上がるのだという。
いったん常識を脇に置く。そもそも伝統社会を前に、現代の「男女平等」を当てはめてよいか……。そんなことも考えさせられる。
■ハッピーエンドの「タイタニック」
街を歩いていると、壁のあちこちにポスターが貼られている。「パシュケビル」と呼ばれる壁新聞のようなものだ。
超正統派の世界では、テレビもインターネットも禁止。世俗の世界からの危険な情報を遮断して生きることが正しいとされている。
街中では携帯電話を手にした人も多いが、それらは特別仕様。ネットは使えず電話だけに機能が限られ、ラビ(宗教指導者)が使用を認めたものしか使えない。ユダヤの律法に即した食べ物「コーシャー」のように、携帯電話にも「コーシャー・フォン」の承認マークが貼られている。
本屋ではこんなものを見つけた。「タイタニック」の絵本なのだが、ストーリーを見ると男性しか出てこない。宗教を捨てた男性が海でおぼれ、改心して神に祈り、最後は命を助けてもらう――。切ないラブストーリーは、ハッピーエンドに改変されていた。そんな話で面白いのだろうかと疑問も浮かぶが、「だいたい、どの物語もそんな展開だからね」とモティは当然のように言った。
超正統派は「ハレディーム」とも呼ばれる。「(神を)おそれる人たち」という意味だ。変化を嫌い、かたくなに伝統を守って生きてきた。100年以上前にタイムスリップしたかのような世界を保ちながら、彼らはいまも現代を生き続けている。(つづく)