1. HOME
  2. World Now
  3. 似ても似つかぬ日本料理に、こみ上げる怒り 敬意なき「食文化の盗用」に一言いいたい

似ても似つかぬ日本料理に、こみ上げる怒り 敬意なき「食文化の盗用」に一言いいたい

マイケル・ブースの世界を食べる 更新日: 公開日:
北村玲奈撮影

すしにキムチにカレー。食には必ず起源となった民族や国がある。それを侮辱する行為がいま問題となっている。食文化の盗用だ。

食の世界でも、文化の盗用という考え方が主要な論点となっている。ある民族や国のバックグラウンドを持つ料理人やフードライターが、別の食文化の食ベ物を扱う時に問題は起きる。一番問題に見えるのは、ソーシャルメディアのご意見番がたが懸念する限り、ある国が歴史的に搾取したり抑圧したりした国の文化から食べ物を横取りする場合である。米国人シェフがメキシコ料理を、フランス人シェフがモロッコ風料理をつくるというような。

国家単位で他国の料理を盗用していることもある。たとえば英国がインド料理に対してそうであるように。チキンティッカマサラ(カレーの一種)は明らかに英国統治下のインドにルーツがあるにもかかわらず、おそらくほとんどの人が典型的な英国料理として受け入れるだろう。そのプロセスの発端が何百年も前で、多くがインド亜大陸系の人々によるものだからか、今では誰も問題にしていないようにみえる。

もちろん日本のカレーライスもその一形態にあたる。19世紀後半、日本は英国海軍を通してカレーを知り、自分たちの味覚に合うよう適合させた。だからある意味では、間接的な文化の盗用になる。インド料理は英国経由で日本にたどり着いた。

何カ月か前、キムチを盗んだとして韓国が中国を批判する小さな騒動があった。事実であれば、少し深刻な話になったはずだ。実際には、中国版キムチがISO(国際標準化機構)認証を受けたと中国が主張したという報告も、キムチは中国でつくられたと主張したという報告も間違い。ISO認証を受けたのは、中国の塩漬け発酵野菜、泡菜(パオツァイ)だった。ただ、韓国人がキムチを守ろうとすることは理解できる。

■配慮と敬意が不可欠

より深刻だと思うのは、ユダヤ系米国人のカップルが中華料理店として2019年に始めた店だ。「清潔な」中華料理を提供すると主張する2人はこうも言ったという。「米国の中華料理店で、私たちほど食材の品質に心を配る店はほとんどありません」。彼らは中華料理を文化的に盗用するばかりか、それを生み出した中国の人たちを侮辱している。米国では中国のみならず、ベトナムやメキシコ、他の国の料理についても、こういうことがたびたび起こる。さらに米国人シェフたちはたいてい、横取りした料理の劣化版しかつくれないから罪が重い。

これは日本食にも起こる。最近、デンマーク人のフードライターが「お好み焼き」と称した何かのレシピを紹介するのをみたが、それはもう醜いパンケーキの類いだった。私が日本人なら怒り心頭だっただろう。実のところ、日本人ではないのに、かなり頭に血が上った。そして、世界中のスーパーでまかり通るうさんくさい「スシ」について話し出すと長くなるからやめておく……。

昨今、怒りの矛先を探すのに余念がないような人がまあ多い。しかしプロフェッショナルには、他の文化の食べ物を扱うにあたって正しいやり方、間違ったやり方があると思う。もちろん、どう料理して何を食べようと誰もが自由に選び、組み合わせていい。チキンティッカをファヒータにするも、ピザにケバブの肉をのせるも、どうぞどうぞ(私はどちらもやらないが、何を言いたいかはおわかりだろう)。

だがレストランで料理を出したり、プロとしてレシピを書いたりするなら、文化的、民族的な起源や着想源を正しく敬わないとならない。もしあなたが白人で、たとえばタイ料理をつくるなら、相当の配慮と敬意をもって扱う必要がある。特に本物だと主張するならなおさらだ。本物とは事実上、食に関して言えば達成するのは不可能だし、ただでさえネット上のコメントやソーシャルメディアという素晴らしき世界には、あなたの考える本物を否定する人が常にいる。そうならば、文化の盗用をとがめる声も確実に巡ってくるだろう。(訳・菴原みなと)