【前の記事を読む】68年間、獄中にいた黒人男性 仮釈放を拒み「完全なる自由」を求めたわけ
2010年代、未成年に対する終身刑の見直しを促した一連の最高裁判決により、終身刑に服す未成年の数は、全体の少年収監人口とともに減少した。一方で、この流れに逆らうかのように改善されていないものがある。それは人種格差だ。黒人にとって不利な状況は米国の司法制度のあらゆるところに潜在するといわれるが、終身刑も例外ではない。
米国の刑事司法における人種格差や少年法の厳罰化問題などを研究する非営利団体「センテンシング・プロジェクト」のリポート(2021年2月)によれば、全米の終身刑人口の3分の2以上を占めるのは黒人だ。さらに、黒人の若者が投獄される確率は、同年代の白人に比べ約5倍高い。黒人の人口が米国全体の13%であることを考えれば、これらの数字がいかに不均衡かは明白だ。少年犯罪を犯した若者の人権保護団体「キャンペーン・フォア・ザ・フェア・センテンシング・オブ・ユース」の研究によると、未成年に対する「強制的に科される仮釈放の可能性がない終身刑」を違憲とした2012年の「ミラー判決」の前、仮釈放の可能性がない終身刑を受けた未成年の黒人は全体の61%だったが、「ミラー判決」後はその割合が増加している。
リゴンさんの弁護士、ブラッドリー・ブリッジ氏(67歳)は未成年犯罪の終身刑受刑者の黒人の割合が圧倒的に多いことに違和感をおぼえた。「少年犯罪において人種格差がさらに顕著なのは間違いない」と確信したブリッジ弁護士は、2008年、終身刑受刑者の数を自ら集計し人種別の比較をした。結果、ペンシルベニア州の収監人口全体の51%が黒人である一方で、未成年犯罪で終身刑に服す人は70%が黒人ということが判明した。「明らかに人種差別が作用していた」。これを踏まえ、ブリッジ弁護士は同年9月、米上院司法委員会で証言し「人種格差を許容する量刑システム」の見直しを訴えた。
リゴンさんは1953年の強盗殺傷事件で、2つの第一級殺人罪の有罪判決を受けた。「(人を殺していないのに)『意図的な殺人』で実刑としたこの量刑が公平なものだったとは思えない」。リゴンさんが受けた終身刑について、ブリッジ弁護士はいう。「加重暴行か、重くとも殺人未遂として、実際に自分が犯した罪のみで問われるべきだった。今もし同じようなことが起これば、恐らく5年か10年の収監で済むはずだ」。
「ホワイト・アメリカ」
その背景にあるもの―――それはシステミック・レイシズムだ。「(米国には)2つの異なる司法制度が存在する。一つは白人の司法制度。もう一つは黒人の司法制度だ。肌の色で、白人と同様の『正義』を手に入れることができるかが決まる」。ペンシルバニア州フィラデルフィアのラサール大学で社会学と司法制度を研究するチャールス・ギャラガー教授は説明する。「システミック・レイシズムとは、同じ犯罪を犯しても黒人と白人では扱いが異なるということだ。黒人が白人を殺害した場合、黒人の被告が終身刑を受ける確率は、白人が黒人を殺害した時に比べ極めて高い」。
高収入の仕事、安全な住居区、いい学校は全て白人によって占領され、黒人は一定の区域に封じ込められる。これをギャラガー教授は「ホワイト・アメリカ」と呼ぶ。この「ホワイト・アメリカ」に黒人が足を踏み入れようとすれば警察の出番だ。フィラデルフィアでも、警察は黒人の抗議運動や市民として平等な権利を求める運動を鎮圧するために出動していたという歴史がある。教育、雇用、融資、住環境、医療保険、司法制度といったあらゆる面で、黒人を封じ込める目的でデザインされた制度が「システミック・レイシズム」だ。
司法制度においては、「黒人を投獄することで社会問題を解決できると考えられてきた。この考えが問題の原因追求を回避させた。問題の根っこにあるのは、貧困とシステミック・レイシズムだ」。ギャラガー教授は、リゴンさんの裁判について語る。「もしリゴンさんを含む5人の被告が裕福な白人少年だったら、いい弁護士を雇うことで終身刑は免れていたはずだ」。
「1950年代、黒人の少年が被告として裁判に臨むということは、白人陪審員からの差別や偏見に基づいて裁かれることを意味した」。このような背景から、ミシガン大学でアフリカ系アメリカ人の歴史を研究するヘザー・アン・トンプソン教授は、「人種差別がリゴンさんの有罪判決に関係していたということは間違いない」という。
犯罪の背景にあるもの
少年犯罪による終身刑受刑者が犯罪に至る背景には、経済的格差や家庭環境が密接に関係している。終身刑を受け、32年間収監生活を送ったジョン・ペイスさん(52歳)は、17歳で犯罪を犯した理由を「服を買うお金が欲しかったから」と話す。被害者男性からお金を取ろうとし揉みあいになり、怪我を負わせてしまう。それから10日後、男性が亡くなった。殺人の意図は全くなかったというペイスさんは「人の命を奪ったという責任に打ちのめされそうになった」。ペイスさんはこの日を「人生で一番悲惨な日」と呼ぶ。
弁護士から「第二級殺人の有罪を認めれば10年か15年で出られる」と言われ、従った。「それが『強制的に科せられる仮釈放の可能性がない終身刑』の宣告に直結するなんて、当時17歳の自分は知る由もなかった」と振り返る。ペンシルベニア州では、意図的な殺人の第一級殺人罪と、意図的ではない第2級殺人の両方に、仮釈放なしの終身刑が「自動的に」適用される。
「センテンシング・プロジェクト」の調査によると、未成年犯罪で終身刑を受けた人の79%が「家庭内で断続的に暴力を目撃している」、32%が「公共住宅で育った」、47%が「身体的虐待を受けている」などという結果が明らかになった。
「大人が犯すような重罪を犯したのだから、大人と同様の刑罰を与えられて当然」とする理論により、犯罪の背景や年齢的な要因が考慮されることはなかったというペイスさんは、これこそが一番困難な問題だと訴える。「多くの検察官は、少年は成長して変わるという認識すら持っていない。一人一人の人間性が考慮され、貧困などの問題が議論されなければならない。生まれてくる環境は選べない」。
70年ぶりに取り戻した自由
リゴンさんが「自由」の形にこだわったことで、他の受刑者が釈放され始めた2017年からさらに3年が経過した。2020年11月、リゴンさんが切望した形での釈放が遂に決定した。「これ以上に嬉しいことはなかった。このために15年間を費やした。それがやっと、やっと実現する!」とブリッジ弁護士は思った。この知らせを直接伝えるためにブリッジ氏はリゴンさんのいる刑務所へ向かった。
リゴンさんはいつものように感情をあらわにすることはなかったが、15年間付き合ったブリッジ弁護士には、リゴンさんがどれほど喜びを噛み締めているか、手に取るようにわかった。ブリッジ氏はこれまで多くの人を弁護してきたが、リゴンさんのケースは「完全に特別だ」という。その理由は2つ。「リゴンさんが特別に素晴らしい人間であるということ。そして、釈放までの長く困難な道のりを一緒に歩いてきたから」。「ミスター・ブリッジがいなかったら今自分はここにいない」とリゴンさんが言うと、ブリッジ弁護士の顔がほころんだ。
失われたもの
「投獄により失うものは自由だけではない。威厳をはぎ取られ、自尊心を失う。人間として扱われなくなる。自由を得る価値が自分にはないと叩き込まれる」。ペイスさんは自らの収監生活を振り返る。それでも人は自分を守るため、置かれた環境に順応しようとする。釈放後の試練は、免許証を取得することでも住居を見つけることでもない。長年の収監で「威厳を失った自分がどうやって本来の自分を取り戻していくかだ」。
多くの未成年犯罪の受刑者を弁護してきたブリッジ氏は「刑務所での経験がトラウマになる人はたくさんいる」という。特に幼い歳で投獄されると、大人たちに自分が立ち向かうことは到底無理だと思い知らされる」からだ。
出所後、ペイスさんは嬉しさを噛み締める一方、体の不調を感じた。薬を飲んでも効かず、吐き気の症状が数日続いたある日、姪が言った言葉にはっとする。「オーバー・スティミュレーション(過度の刺激)ではないか?」 外に出る度、「どう振る舞えばいいのか?」、「周囲の人は自分をどう見ているのか?」など、様々なことを意識した。今まで小さく限られた世界にいた自分が、社会にどう溶け込むべきか、人とどうコミュニケーションをとるべきか、少しずつ調整していく必要があった。
リゴンさんは釈放されてから数日間、食べ物を口にしようとしなかった。「ナーバスになっているんだろう」と見かねたペイスさんは、チキンを買ってきて食べさせた。ペイスさんは、「常に感情を抑え、あれだけストイックに獄中生活を生き抜いたリゴンさんも人間なんだ」と実感した。
「出所後に待つ一番大きな壁は、手に入れた自由の意味を理解すること。変わってしまった世界を受け入れなければならない。新しい環境、新しい世界で、これまでの経験を持たないリゴンさんが、どのように生きていくか。それはとても複雑なことだ」とブリッジ弁護士は語る。
刑務所では朝6時に必ず点呼が行われる。リゴンさんは今でも毎朝6時に目が覚めるという。現在フォスター・ファミリー(高齢者用の里親家族)と暮らすリゴンさんは、家族のみんなが「好きな時間に食べたいものを食べる」ということに衝撃を受けた。リゴンさんは「決まった時間以外にお腹が空くことはない」
ある日、ブリッジ弁護士は雪用ブーツが必要になったリゴンさんと買い物に出かけた。ショッピングモールの1階にある靴屋に行こうと、下りのエスカレーターに差しかかった時だった。リゴンさんの足が止まった。「どうしたんだろう?」と思った次の瞬間、ブリッジ弁護士は、リゴンさんが人生で一度もエスカレーターに乗ったことがないということに気づく。手を貸し、やっと2歩進んだが、怖がってすぐ後ろに戻ってしまう。手すりを使うよう説明すると「でもこの手すりは動いている!」と困惑した表情を見せた。背後にはエスカレーターに乗ろうとする人の列ができていた。ブリッジ氏は、「普通の人にとっては当たり前のものを、リゴンさんはこれから学び、生活していかなければならない」と話す。
適切な処罰とは
ブリッジ弁護士は、リゴンさんのケースが、処罰が適正になされることがいかに重要かを世に知らしめる教訓になってくれればと願う。「社会の脅威ではないことがすでに証明されたリゴンさんを68年間も投獄する必要はなかった。何が『適切な刑期』なのか問われなければならない。それ以上に刑務所に閉じ込めることは、社会にとってお金の無駄だけではなく、我々から人間としての思いやりを奪うことになる」
公平な司法制度を求め、大量投獄や収監環境などについて研究する団体「ベラ・インスティテュート・オブ・ジャスティス」のリポートによれば、ペンシルベニア州立刑務所では、受刑者1名につき年間約43000ドル(約467万円)の経費がかかる。癌の治療費を除いても、単純計算でリゴンさんには合計で約300万ドル(3億円以上)が費やされたことになる。
自由であり続けた心
「私の体は68年間拘束されたが、心が拘束されることはなかった。私の心はいつも自由だった。心まで収監されてしまったら、全てを諦めていたことだろう」。リゴンさんは「長かったが早かったとも感じる」刑務所生活をこう振り返る。自由を取り戻したリゴンさんにはできるだけ早く実現させたいプランがある。
1つは、亡くなった家族のお墓参りに行くこと。収監中は家族のお葬式に行くこともできなかった。母親は亡くなる直前に無理を押してリゴンさんのいる刑務所を訪れた。「最後に見た母は変わり果て、自分の知る母親とはまるで違う姿になっていた」。それでも母はいつものように「ギブ・ミー・マイ・シュガー」(ハグやキスを求める時に言うフレーズ)と言い、リゴンさんを抱きしめた。「母のことを考えない日はない」というリゴンさん。「私は今でもママっ子です」と微笑んだ。
2つ目は、健康に気をつけ長生きをすること。リゴンさんは獄中で前立腺がんをわずらい約40回の治療を経験した。自分よりも若い人が亡くなっていくのを見て自分の年齢や健康というものに真剣に向き合うことにした。「今は自由に運動したり、(刑務所にはなかった)健康的な食べ物を食べることもできる!」
3つ目は、自分の体験や考えをできるだけ多くの人に伝えること。「私は今も獄中にいる受刑者たちのことを決して忘れてはいない。その中には助けを必要としている人がたくさんいる。私の経験を世に伝えることで、不当な扱いを受ける他の人たちが自分のストーリーを話す勇気を持つかもしれない」。リゴンさんには、そんな仲間に心から伝えたいメッセージがある。「絶対に諦めてはいけない。諦めたら全ては終わる。プランを作ればそれに向かって頑張れる。与えられた人生、命がある限りベストを尽くそう」。
ペイスさんはキリスト教徒のリゴンさんを近所の教会に連れて行き、牧師さんを紹介した。でも「リゴンさんが礼拝に参加することはないだろう」とペイスさんはいう。少年時代、集団で事件に巻き込まれた体験から、リゴンさんは「『集団に入ればトラブルが起きる』と今でも強く思っている」。
「一匹狼」リゴンさんの第2の人生は、83歳で始まったばかりだ。