党大会も中央委も、会議が進んでいる途中、メモを取らない参加者はほとんどいなかった。国営メディアによれば、金正恩氏は党大会で9時間以上、演説した。その間、ひたすらメモを取っていたというのだろうか。映像を拾ってみると、出席者はみな同じ装丁のメモ帳を使い、真っ白いページに、ひたすら文字を書き込んでいた。ただ、正恩氏の言葉をそっくりそのままメモすることは不可能だろう。
欧米と北朝鮮を往来する専門家によれば、「1号行事」と呼ばれる最高指導者が出席する催しでは、参加者は余計な品物を持ち込めない。スパイ行為だと疑われるため、携帯電話など録音機能があるものも持ち込みが禁じられる。ペンや手帳は会場で準備されたものが支給されるという。専門家は「かつて北朝鮮の経済が好調だった時代は、ペンやノートが収められた立派なカバンが会場で配られていた」と語る。
党大会や中央委の議題は極秘事項になる。何が議論されるのか、事前に知っているのは、演説や討論を行う政治局員クラスとその草案を作る党本部3階の書記室に勤務する一部のエリートに限られる。ただ、会議が終われば、演説文の要旨などは配布されるという。それでも参加者が一生懸命、メモをとり続ける理由は何なのか。
最大の理由は、最高指導者に忠誠心を示すためだと、取材した関係者らは口をそろえる。2015年春、玄永哲人民武力相(国防相)が処刑された理由の一つは、正恩氏が出席した会議での居眠りだったという。確かに、正恩氏が現地視察をする際、随行者らは皆、小型の手帳を持ってメモを取り続けている。
ただ、メモはそれだけの意味ではないようだ。
脱北した元党幹部は「手書きのメモは、自分が率いる部署の統率に役立つ」と語る。この元幹部によれば、一から十まですべてメモする必要はなく、自分の担当部署に関係する内容だけをメモするのが通常だという。
そして、出席者は会議終了後、自分の部署に戻ると、メモをいちいち部下たちに見せながら、会議の結果について指導するという。メモ帳が立派な装丁である理由も納得がいく。元党幹部は「メモは、最高指導者のお言葉を直接書き取る立場にある人物だという事実を証明してくれる」と語る。金正恩氏が大きな行事の後、出席者らと記念写真を撮るのも同じ理由からだという。
また、会議では公式の資料には掲載されない「ここだけの話」が伝えられることもある。かつて金日成主席のフランス語通訳を務めた高英煥・元韓国国家安保戦略研究院副院長の父親は、党中央委員候補だった。高氏はある時、父親の会議メモを見つけた。そこには、1968年に米海軍の情報収集艦プエブロ号が北朝鮮に拿捕された事件について、金主席が語った内容が記されていた。
当時、北朝鮮はプエブロ号が北朝鮮の領海を侵犯してスパイ活動を行っていたと主張。高氏によれば、金主席は当時、公式の席では「我々が(日本海側の)元山沖で強硬に対応したので、米軍はプエブロ号を助けることができずに逃走した」と説明。一切の妥協を許さない姿勢が、米国を屈服させる結果につながったと説明していた。
しかし、高氏の父親が記した会議メモを見ると、米国務長官の依頼で仲介役になったソ連軍大佐らと北朝鮮が、水面下で協議していた事実などを紹介した金主席の言葉が書き留められていたという。
ただ、唯一、かならずきちんと書き留めるべき言葉がある。「敬愛する金正恩同志」という、最高指導者に関する表記だ。金日成総合大学の教員だった脱北者はある日、大学の党委員会の主催で、金日成主席の言葉を書き取る勉強会に出席した。元教員は、担当者の話すスピードについていけず、「金日成同志」と書くべきところを「金」などと省略して書いた。いつもは、集会後にメモを清書しておくが、忙しさにかまけて忘れたことがあった。
ところが、運悪く、たまたま検閲が入り、省略したメモが大問題になったという。この元教員は自己批判させられ、さらに政治学習を何十時間も課せられる苦痛を味わった。
関係者らの証言を総合すると、最高指導者が出席する会議での居眠りやおしゃべりこそ厳禁だが、最高指導者の表記など決められたルールさえ守れば、会議での発言を全てメモする必要はないようだ。出席者は、自分の担当部門と関係する案件や、決して公式記録には出ないだろうと思われる話についてのみメモをしていると思われる。
では、なぜ、北朝鮮の国営メディアが配信する写真や映像には、メモをしている参加者ばかりが登場するのだろうか。
専門家の1人は「すべてが宣伝扇動の手段として使われるからだ」と語る。会議では、金正恩氏が演説する際、ちょうど良い区切りごとに拍手が起きる。正恩氏が会場に入退場したり、演説を終えたりしたときは、拍手とともに「万歳(マンセー)」と叫ぶ声が何度も繰り返される。拍手や歓声のタイミングは、全て事前に打ち合わせがされている。うまく行かない時は、すべて映像を撮り直すという。
メモも同じだ。カメラが向けられた先の出席者らは皆、ペンを持って一生懸命メモを取る。この風景こそ、最高指導者の言葉を絶対視する北朝鮮の政治体制の揺るぎのない姿をアピールする重要な宣伝扇動の手段になる。
北朝鮮は2月の党中央委総会で「全社会的に反社会主義、非社会主義との闘いをより強度に繰り広げることについて」という決定書を全会一致で採択した。正恩氏は「反社会主義、非社会主義的行為を無慈悲に掃滅すべきだ」と強調した。
北朝鮮では今後、最高指導者の言葉を書き写すメモ書きが、さらに一層過熱することになるだろう。