――謎めいた事件です。この事件はフランスの人々にとって、どのように受け止められているのでしょうか。
遺体が発見されていないため、“ミステリー要素が強いゴシップ記事"として書かれることの多い事件でした。「夫が被害者である妻を殺した」。10年間、ひたすらそう書かれていましたし、私自身も第一審の裁判を傍聴するまでは、それを信じて疑いませんでした。子どもたちにとっても、辛い時間だったと思います。私は若かったこともあり、謙虚な姿勢で彼らに接していたので、「これまでのジャーナリストたちとは違う」と感じて、心を開いてくれたようです。「映画」は、ゴシップ記事とは違う役割を果たしてくれるのではないか、という期待もあったのかもしれません。
弁護士を推薦したのは監督自身
――なぜこの題材を映画にしようと思ったのですか。
前提として、この事件そのものに興味を持ちました。2009年に第一審の裁判があり、そこで初めて被害者の夫ジャック、そして彼の子どもたちに出会いました。証拠もないのにジャックはずっと容疑者扱いをされている。疑問の多い事件だと思っていたので、彼らには「もしかしたら映画にするかもしれないし、映画にならないかもしれない。でも話を聞かせて欲しい」と伝え、子どもたちとも親交を深めるようになりました。そして知れば知るほど、何かに取り憑かれたかのようにこの事件を調べるようになりました。「真実を見つけることはできなくても、証拠もないのに罰せられようとしているジャックを助けたい。彼のために何かできるならしたい」と。私はこの事件について調べ続け、家族を支え、ひたすら事件のことを考え毎日を過ごしていました。
第一審は無罪ではありましたが、子どもたちは「弁護士を替えたい」と言っていました。そこで、弁護士としての能力を高く評価されていたデュポン=モレッティに依頼してみてはどうか、と提案しました。弁護士にそのことを伝えに行ったのも、私なんです。デュポン=モレッティ氏は私のことを信頼してくれるようになり、そこから友情を育み、短編映画にまで出演してくれるようになったのです。
フランス法相は「自由」な人
――デュポン=モレッティ弁護士は監督の短編映画にも出演されています。昨年フランスの法務大臣に就任しました。素顔はどんな方ですか。
とても“自由"を感じさせる人です。心が開けていて、まさに自由という言葉を体現しているかのような人。だからこそ、法務大臣の職を引き受けたと聞いたときは彼を知る人はみな驚き、意外に思っていたようです。「権威あるポストに興味はない」と言っていましたし、弁護士として多くの人の役に立ちたいと考えるような人でしたから。ですが、最終的には法務大臣の地位に就くことで、物ごとを新しい角度から見て、これまでとは違う形で人々の役に立つことができるかもしれない、と考えたようです。
デュポン=モレッティ氏は、フランスで最も優秀な弁護士だったと私は思います。弁護士は精神的にもなかなかハードな仕事なので、息抜きをするような感覚で短編映画への出演を楽しんでくれました。普段とは違う役を演じることは、彼にとっても喜びだったのだと思います。「弁護士の仕事とはこういうものだ」と公の場でも積極的に話す人でしたから、国民の人気も高かった。デュポン=モレッティ氏との出会いは、私の人生のなかでも大きなものとなりました。
――本作のなかでは、証拠もないのに印象や感情に流されていくことの怖さ、仮説に翻弄されることの恐ろしさが描かれています。
司法だけの問題ではなく、メディアの機能不全、警察の機能不全、そのすべてが絡み合っていくことから問題が生まれるのだと思います。私自身、誤審の記録をたくさん読んだのですが、そこからわかったのは「司法は自らがジャッジされることを嫌う」ということ。自分たちが間違っている、ということを認められない。だからこそ、「間違いを認めるくらいなら、冤罪の方のまま突き進むほうがまだマシだ」という極端な考えに走ってしまうケースが生まれるのだと思います。
映画が世論を変えた
――映画を観た人から何か印象的なコメントはありましたか。デュポン=モレッティ氏やジャックの子どもたちはどんな感想を口にしていましたか。
マクロン大統領の妻であるブリジット・マクロンが映画をとても気に入ってくれました。「法務大臣の座をエリック=モレッティに打診したらどうか」と大統領にアドバイスしたのはブリジットなのではないか、という噂もあるほどです(笑)。デュポン=モレッティ氏に作品を観てもらうのは怖くもありましたが、彼はずっと「君を信頼しているから」と言ってくれた。映画には満足してくれたようです。裁判での答弁は100%彼の言葉です。実際には一時間あったので、短くはしましたけれど。
ジャックの子どもたちは、何度も映画を観ています。裁判を思い出すのは辛いことだけれど、この作品によって事件に対する見方、そして世論も変わった。長い間、「お父さんがお母さんを殺した」と言われ続けてきたけれど、「いや、映画を観てくれたらわかるよ」と言えるようになった。この映画が自分たちの言葉を代弁するツールになったんです。過ぎた時間を取り戻すことはできないけれど、少しずつ前に進むことができるようになったのだと思います。
2月12日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開