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移住したタイで磨かれた感性 人の心に希望が灯る絵を描きたい

アジアで働く
自宅の敷地内にあるアトリエで。ここから数々の絵が生み出されていく=2020年10月7日、バンコク、貝瀬秋彦撮影

バンコクの静かな住宅街にある一軒家。その敷地の一角にあるアトリエで、阿部恭子さんの絵は生み出されていく。ここで寝泊まりすることも多い。「絵を描いている途中で、離れるのが嫌なんですよね」

この数カ月間は、10月にバンコクで開いた個展に出す絵に集中していた。個展は当初、7月に予定されていたが、タイでも3月から新型コロナウイルスの感染が広がり始め、10月に延期することになった。

個展に出したのは114点。そのほとんどが、3月以降の作品だ。コロナの影響でそれまでのようには自由に外を出歩けない日々が続くなか、庭に咲く花の美しさや家族の安寧、飼っているウサギやネコたちの元気そうな姿など、家の中から見いだせる小さな幸せや喜びを絵にしていった。「小さな幸せをかき集めることで、自分を元気にしていた。そして、それを見てもらう人にも元気になってほしいと思って」。個展のタイトルは「私の小さな庭」。コロナによる経済の悪化で困窮する人も増えるなか、絵の売り上げの一部は寄付に回すことにした。

10月にバンコクで開いた個展で、自分の作品について説明する阿部恭子さん=2020年10月11日、バンコク、貝瀬秋彦撮影

物心ついたころから、身の回りにある紙に絵を描いていた。母親からは「3歳の時にはペンだこがあった」と聞かされた。大分市内の高校を卒業して福岡のデザイン学校に進み、デザイン事務所に就職。デパートのポスターづくりなど、商業デザインを手がけていたが、家にいるときはいつも絵を描いていた。数年で独立し、フリーのイラストレーターになった。

タイに初めて来たのは、デザイン事務所に勤めていた22、3歳のころ。日本で食べたタイ料理の「トムヤムクン」の味に魅せられ、「これは本場で食べないと」と旅することにした。それまで台湾やベトナムなども訪れていたが、「タイが一番しっくりきた」。食べる物はもちろん、カラフルな果物が並ぶ市場やお寺の美しいたたずまいなど、目に入るものすべてが魅力的に映り、「最初の旅行でもう、絶対にここで暮らそうと思ったんです」と振り返る。日本に戻ると、不思議とタイ政府観光庁から仕事の依頼が舞い込み、タイの観光を記事や絵で紹介するためにその後もたびたびタイを訪問。ますます、タイのとりこになっていった。 「わくわく感、どきどき感ですね。掘っても掘っても面白いものが出てくるようなところが、すごく好きになりました」

さらに、運命的な出会いも待っていた。当時、タイから福岡の大学に留学していた現在の夫と知り合って結婚することになり、1996年からバンコクで暮らし始めた。

実際に生活してみると、タイと日本の家庭のしきたりの違いに戸惑うことも多かった。仕事では、やろうと思っていたイラストレーターという仕事が、当時のタイにはなかった。デザインか漫画かに区分けされていて、困ったなと思っていたところ、日本人の知人から「絵を売ってみたら」と提案された。それまで考えたこともなかったが、バンコクのギャラリーを訪ねて描きためていた絵を見せたところ、「個展をやってみましょう」と背中を押され、そこから画家としての生活が始まった。自宅で絵画教室を開き、子どもたちにも絵を教え始めた。

タイで描く絵の題材の多くはタイの風景や人だが、「題材に困ったことはない」という。「対象はたくさんあるし、毎日、新たな発見がある」。絵のタッチは、日本にいた時と少し変わった。人物の目や鼻が大きくなり、色づかいもよりカラフルになった。

絵を描き始めると、途中でアトリエを離れるのが嫌になるという=2020年10月7日、バンコク、貝瀬秋彦撮影

描き続けてきた作品で、何度も個展を開催。画材などを手がける日系の文具メーカー「ぺんてる(タイランド)」の依頼で、バンコク中心部を走る高架鉄道「BTS」の車体をラッピングする絵も描いた。国民の尊敬を集めたプミポン前国王が2016年10月に亡くなり、国全体が喪に服していたが、それが明けるころに「タイを元気にしたい、明るい絵を走らせたい」と依頼された。タイに来て何が最もタイらしくて好きだったのかを考え、王宮や水上マーケット、市場、そして夜空に無数のランタンを放つ行事「コムロイ」を題材にした4つの絵を、半年ほどかけて描き上げた。絵に包まれたBTSが走る際にみんなに手を振ってもらいたくて、絵の中には笑顔で手を振るタイ人の姿をたくさん描いた。これらの車両は2018年、バンコクの街を走り抜けた。

活動の場はタイだけではない。東日本大震災で被災した岩手県釜石市でも、巨大な壁画に挑んだ。きっかけをつくってくれたのは、タイの国連機関で勤務していた知人の日本人女性。震災の時に、支援のために釜石に入っていた。被災地の工場の大きなトタンの壁の色が暗く、津波のように見え、怖がる子どももいて何とかしたいという話をこの知人から聞き、「なにかいい絵が描けたら」という話になった。すでに震災から2年ほど経っていたが、それからほぼ1年間、釜石に通い詰めることになった。

被災地にはまだつらい話が多かったが、若者たちが描いた「僕たちは負けない」というポスターを見て、とにかく希望が持てる、明るい絵にしようと決めた。「もっともっといい街にしようという、希望があふれる絵柄や色にしようと」。太陽や鳥、コスモスなどを描くことにし、友人やボランティア、そして通りすがりの人たちにも声をかけて、延べ約500人に参加してもらった。費用は日本各地やタイからの支援金でまかなった。

14年4月、幅43メートル、高さ8メートルの壁画が完成。その制作の過程は、絵本「あしたがすき 釜石『こすもす公園』きぼうの壁画ものがたり」(ポプラ社)として16年に出版された。壁画は今年、修復する予定だったが、コロナの影響で来年に持ち越された。再び現地を訪れることができる日を、心待ちにしているという。

釜石市に完成した巨大な壁画の前に立つ阿部恭子さん(左から2人目)=2014年4月、山浦正敬撮影

そしていま、最も力を注いでいることの一つが「ホワイトキャンバス」というプロジェクトへの支援だ。アジア諸国で優れた才能を持ちながら、まだ世に出ていないアーティストを発掘し、仕事として食べていけるよう支援していく。日本の財団などの支援で今年から始まり、最初はタイ、カンボジア、スリランカの3カ国が対象。自らはタイでの応募作品の審査などにかかわってきた。

タイでは伝統的な文化を大切にしながら、そこに新しい文化をうまくミックスした芸術がどんどんどん出てきているという。絵画も西洋画などの影響を受けつつも、タイ文化の要素がきちんと入っているものが多い。「応募作にも完成度が高い作品が多く、ぜひ世界に売り出したい。私にはタイで自分の感性が磨かれた、タイに育てられたという思いがある。だからこそ、ホワイトキャンバスのようなタイに役に立つことをして、お礼をしていきたいんです」

スリランカのストリートチルドレンの支援プロジェクトにもかかわっており、今後は障害者によるアートの後押しもしていくつもりだ。

画家としては「次々に描いていかないと、まだ描きたいものがいっぱいある。だから、旅先にも道具を持っていきます」。創作意欲は尽きない。