ポスドクとは?
「ポスドク」と聞いて、すぐにそれがポストドクター、またはポストドクトラルスカラーの略であることがわかる読者の皆さんは、かなり大学やアカデミックな世界に詳しいと言えるのではないでしょうか。恥ずかしい話ですが、筆者は大学時代を文学部でのんびり過ごしたせいか、OISTで働くようになるまでこの言葉に触れたことはありませんでした。
ポストドクトラルスカラーとは、博士研究員のことで、博士号を取得した後に大学や研究機関において、教員の指導のもと、任期付きポストで研究に従事している研究者のことです。
沖縄科学技術大学院大学(OIST)には現在、200名程度のポスドクが働いています。ポスドクは全員が任期付きの職員となっており、今後のキャリアを見据えながら研究活動を行い、数年後には違う大学や研究機関、またはその他の道を目指すこととなります。
皆さんも想像してみるとお分かりになると思いますが、2、3年後に違う就職先を見つけなければいけない、そのために少しでも良い研究をしなければいけない、というプレッシャーがのしかかる大変な立場にあるのがポスドクの皆さんです。
さらにOISTではポスドクの8割が外国人です。文化の違う見知らぬ土地で、多くは日本語でのコミュニケーションができない中、早く生活に慣れて研究で成果を出すことが求められます。
ポスドクのキャリアサポートプログラム
そんなプレッシャーの多いポスドクの皆さんの環境を充実させ、彼らに成功を収めてもらうことは、OISTにとっても重要なことです。そこでOISTには、ポスドクキャリア開発プログラムが用意され、ポスドクのためのワークショップやイベント、セミナー、マンツーマンのアドバイスなどを提供しています。そこで活躍しているのが今日ご紹介するイリナ・フィロノヴァ博士です。
ポスドク・ディベロップメント・スペシャリストとして働いているイリナはロシア出身。米国で脳科学の博士号を取得した後、テキサス州の大学でポスドクの職を得て、脳の研究を行い、自閉症治療につなげようとをしていました。
彼女に、なぜ研究者としてではなく、研究者のサポート側にキャリア転換したのか聞いてみました。
「研究をやっていて、孤独を感じていました。いつも実験室に閉じこもっているからです。こんな人たちを助けられたら、と思いました」
そして、大学院時代は人前で発表することが苦手だったという話もしてくれました。今では国内外でのワークショップの講師として話をしたり、2020年のアメリカ科学振興協会AAAS年次大会でワークショップを企画・運営し自らスピーカーと司会も務め、人前で堂々と話すイリナがポスドク時代はプレゼンが苦手だったと聞いて、耳を疑ってしまいました。
そんな時期に、大学でキャリアディベロップペントのメンタリングを受け、メンターという仕事に興味を持ちました。
イリナは言います。「一般的に女性は自分のことをよく知らないと思うんです。“インポスター症候群”という言葉を調べてみてください。自分を過小評価してしまう心理的傾向のことですが、圧倒的に女性に多いんです。科学の世界でも女性がこのような傾向にあるのではないかと、周りの女性たちの話を聞いて思いました。もちろん私も全く同じだったんです」
「そんなとき、ポジティブ心理学のことを知って、目の前が開けました。自分の短所を治そうとするのでなく、良いところに集中するという考え方です」
イリナはメンターの影響を受けて、ポスドクをしていた大学で女性研究者が定期的に集まって話せる場を作りました。参加した女性たち同士が友情を育んだり、どんどん自信をつけていく様子を見るのが、イリナにとっての人生の転換点になりました。
イリナは、「科学、特に生物医学の世界でよく知られているのが“水漏れパイプ現象”です。博士号を取得する時点では男女ほぼ半々なのに、その後キャリアが進んでいくにつれて女性の数がどんどん減っていく現象のことです。教授になる人は男性が圧倒的に多いですね」と説明します。
さらに、「研究者は、自分が賢くスマートでなくてはいけない、そのように振舞わなくてはいけないという思いが強かったり、長時間の実験や研究を精力的に進めて、より良く、より多くの論文を出さなければならないというプレッシャーがあります。学術界で働く女性は、家庭を持つか、科学に専念するか、という非常に難しい選択を迫られることがよくあります。両方を行うために、彼女たちには十分なサポートが必要で、どちらかひとつだけを選ぶという選択肢は受け入れられません。さらにこうした現実は社会的にあまり知られていないですし、女性に対する支援体制も整っていないと感じています」
同じような立場にいる女性たちによるピアサポートの有効性を実感したイリナは、OISTに来てから早速女性のポスドクのグループを作りました。今では、研究職だけでなく、アドミニストレーターの女性グループも発足させています。
OIST特有の課題があるかどうか聞いてみたところ、イリナは、「OISTはダイバーシティを大切にしているので、出身地や文化、性別や性的指向・性自認、研究における専門分野など、それぞれ異なる背景を持つ人たちが一緒に仕事をしています。そういう意味でOISTで力を入れたいのは、CQとも言われている文化的知性(カルチュラル・インテリジェンス)への理解をさらに高めることです」
日本には初めて来たものの、3年暮らして日本が大好きだというイリナの今後の夢は、日本人女性研究者ともっと関わって、日本の科学界全体のCQを上げることに貢献することだそうです。「日本の国立大学のダイバーシティー推進室に招かれて、女性研究者のためのリーダーシップ育成セミナー講師をした時でした。参加者からの話を聞いて、日本が文化的に特に女性が乗り越えなければならない壁がたくさんあると感じました。」
イリナは日本語を話さないものの、日本の研究現場でグローバルなアプローチで関わることにも意義があると考えているようです。そして、日本から学ぶべきこともたくさんあると話していました。
(OIST メディア連携セクション 大久保知美)