沖縄の高校生のメンターになる
制服を着た高校生たちがちらほら混じる熱気溢れた教室。その片隅に顔を紅潮させた女子高校生3名が緊張した面持ちで立っていました。彼女たちの周りには、雑談をする外国人大学院生と高校生のグループ。ここでの会話は全てが英語です。彼女たちは、お目当の大学院生に話しかけたいけれど、どうやって話しかけていいのかきっかけをつかめず、戸惑っている様子でした。
彼女たちには、できる限りたくさんの人に話しかけて、相手の情報をシートにまとめるという課題が与えられていました。これは、とあるイベントのアイスブレイク。初めて会った者同士が相手を知り、多くの人と出会えるようにという主催者の気配りでした。
イベントを主催しているのは沖縄科学技術大学院大学(OIST)博士課程の学生たち。今日は、彼らが企画・運営する「沖縄サイエンス・メンター・プログラム」の第1日目。その最初の活動が、このアイスブレイクです。
「沖縄サイエンス・メンター・プログラム」は、沖縄県内の高校生が、夏休みの間の5週間、OISTの学生やボランティアの研究スタッフたちによる1対1の個別メンターシップを受けられるという機会です。第4回となる2019年は、計7校から21名の高校生が参加してくれました。週に一度OISTを訪れて、自分のメンターと午後いっぱいを過ごし、興味のある科学研究に助言をもらったり、OISTのラボ見学をしたり、研究者が実際に職場で何をしているのかを見せてもらったり、簡単な実験を一緒にしたり、または将来の進路について相談したり。英語でのコミュニケーションそのものも、高校生にとってはよい経験になります。
一方、ボランティアとしてメンターになるOIST学生・スタッフにとっても、地元の高校生と触れ合う機会は貴重なもの。片言の日本語を試す機会としたい、自分の大好きな科学を教える経験をしたい、など、参加の理由は様々です。
最終日には高校生が、1ヶ月の体験を踏まえて英語で発表するプレゼン会もあり、参加者の著しい成長を見ることができます。
PDプロジェクト
時は遡って2015年11月。その年の9月にOISTに入学したコリンは、「PDプロジェクト」の授業で、クラスメートにこう提案しました。地元高校生のメンターをしないかと。
PDは、プロフェッショナル・ディベロップメント(Professional Development) 科目の略で、OISTで唯一の必修科目です。以前もご紹介しましたが、OISTにやってくるのは少数精鋭かつ、それぞれ異なる専門分野を極めたい学生たち。3-40名の学生たちが共通して学べる科学科目はなく、それぞれが自分の専門分野での授業を受け、自分の研究プロジェクトに邁進します。その中でPDだけは、1年生と2年生が全員履修を義務付けられた授業です。この授業の目的は、OISTの学生に、大学院プログラムの修了に不可欠な知識、経験、能力をもたらし、また、世界トップレベルの研究機関などへの就職に向けた準備を促す、というもの。プロジェクトには制限はほとんどありません。科学という分野にとらわれることなく、将来、プロフェッショナル人材として活躍するために役立つような経験を積めるグループプロジェクトであればなんでもOKという、なんとも自由度の高いプロジェクトとなっています。
これまで行われたPDプロジェクトには、以下のようなものがあります。
● 沖縄サイエンス・メンター・プログラム
● KUROSHIO Magazine - 学生雑誌の編集・発行をし、近くの図書館やカフェなどで配布
● TEDxOIST- 数名のスピーカーを集めた講演会を開催・録画してビデオ配信
2017年 https://www.ted.com/tedx/events/22952
2018年 https://www.ted.com/tedx/events/31418
● 3MT - 博士研究について3分間で発表する世界的コンテストの開催
● OldISTプロジェクト- 地域の高齢者に話を聞き、沖縄の歴史を理解し映像化
● 沖縄の子どもをインスパイア - 貧困家庭の子どもたちに科学実験を見せたり、焼き菓子を作って販売した売り上げ金でバスをチャーターし、子どもたちをOISTでの科学イベントに参加させた
● 大学・マリン・イニシアティブ – 学内外において海洋科学の知識を伝える
などなど、ここにご紹介したのはほんの一部です。もちろん自分たちが楽しめ、将来のためになるようなプロジェクトをしようという気持ちはあると思いますが、自発的に地域社会への貢献や交流を大切にしていることがわかります。
高校生がOISTから受け取るもの、OISTが高校生から受け取るもの
さきに紹介したコリンは、このPDプロジェクトで、先輩が去年行った地元高校生に対する科学のアウトリーチ活動を、参加者の規模を広げて行うことを提案し、協力してくれる仲間を募りました。それまで日本で留学生として名古屋で、そしてJETプログラムの国際交流員として岐阜で生活したことのあるコリンは日本語が得意なこともあり、県内の全ての高校に出向いてプログラムを説明し、参加者を募ることとしました。
高校生を対象としたかったのは、多感な時期の様々な経験は、将来を形作る上で必ず役に立つから。せっかく世界トップレベルの研究機関が沖縄にあるのだから、それを地元の若者に還元したい、という思いがありました。
コリンが忘れられないのは、科学の大好きな女の子がプログラムに参加した時のこと。それは、コリンが2年連続で同メンター・プログラムを主宰するきっかけにもなりました。2年連続で参加してくれたその子は、OISTでメンターと過ごし、OISTの研究環境を体験することで、自分も科学を本格的に研究することを決めました。コリンは頼まれて、アメリカのトップ大学への推薦状を書き、今現在彼女はその大学で留学生活を送っているとのことです。
今年の参加高校生の中にも、自他共に認める科学好きの女の子がいました。
洲鎌未空さんは、宮古島の高校2年生。高校生になってから科学が好きになり、将来は科学者になりたいと思うようになりました。なんと300キロ以上も離れた宮古島からOISTのある恩納村までわざわざ毎回飛行機に乗って通ってくれました。そこまでして参加したのは、科学者になるためには英語が必須と考えていたことと、将来OISTに入学したいという希望があるからです。
そんな未空さんのメンター役となったのが、イタリア出身の学生、ステファノ。未空さんは副作用の少ないガンの薬の開発につながるような研究がしたいという希望がありました。プロテイン工学が専門のステファノは、まずは未空さんを自分の研究ラボのメンバーに引き合わせました。イラン出身ですが米国で研究をしてきた研究員、インド出身のフィンランドで学位をとった研究員、イタリア出身でイスラエルと日本で研究してきた研究員・・・出身国も異なりますが、経歴も様々。同じラボで働いていてもそれぞれ専門も微妙に異なります。未空さんと彼らの話が思いもよらずに弾み、ステファノは予定していたプログラムをどんどん変更していったと言います。
ラボメンバーと交流する中で、シャイだった未空さんのコミュニケーション力もみるみる高まっていったとステファノは言います。「未空さんのメンターになって、教えるとはどういうことかについてわかった気がする。よい教育方法というは、道具を渡してあげることなんだ。僕らが家を作ってあげる必要はないんだよ」
一方、未空さんはこう言います。「視野が広がりました」。科学者が一箇所に止まらず世界各国を股にかけて研究を続けることや、論文の書き方、科学論文をどう探すかなどが勉強になったそうです。そしてさらにOISTで一番気に入ったのは、「つながっているところ」と表現してくれました。OISTの研究者は、同じラボのメンバーだけとか、研究者同士だけと交わっているのでなく、事務スタッフやさらに広い世界と密につながっている、と感じたそうです。
来年の夏休みはドイツへの留学を目指すという未空さん。将来に向けて無限大の可能性を持つ未空さんのような高校生が、OISTを通過地点として、ここでなにか学び取ってくれたのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
(OIST メディアセクション 大久保知美)