■私のON
内戦を経て独立した南スーダンは、世界で最も若い国。政府軍と反政府勢力間の衝突は近年、沈静化してきたものの、内戦中に自動小銃AK47(カラシニコフ)などの小型武器が大量に流入したこともあり、まだまだ法の支配より力が勝ります。家畜や遊牧地、利権をめぐって部族間の小競り合いも絶えず、時には何百人もの若者が動員された大規模な部族間衝突にエスカレートすることもあります。UNMISSはこれらの衝突がそもそも起きないよう、あるいは対立が激化しないように対話を促したり、予防的に軍を展開したりするなど様々な取り組みを行っています。
国連機関で働く醍醐(だいご)味はなんといっても多様性に富んだ世界中の人と働けることです。自分の常識が通じず、お互いを認め合うことからしか始まりません。軍と警察、文民という属性の違いもありますが、同じ文民職員でも、人権と政務の担当では考え方や言葉遣いがまったく違い、同じ英語を話しているとは思えないほどです。
育った文化も組織の意思決定の仕方も違う各部門の担当者と粘り強く折衝し、彼らが主体性を持って執行できる計画や透明性のある予算を作れるかが腕の見せどころです。難しい案件はメールや電話で済ませず、直接会いに行くことを心がけています。各部からむちゃな要求が出なくなり、ミッション全体が同じ方向を向いて回り始めると、やりがいを感じます。
国連機関の予算は加盟各国の分担金で成り立っています。日本の予算分担率は直近で約8.5%ですから、UNMISSにも単純計算で年間100億円くらいの日本のお金が使われているわけです。それだけのお金を使い、どんな効果が得られているのか説明責任を果たす必要があります。活動の効果をどう測って説明していくか考えることが、最近の私の最大の課題です。
紛争を逃れてUNMISSが直接保護する約16万人の国内避難民が、不自由なく暮らしているだけでも活動の効果だと言うこともできます。他方で、これは国内避難民全体の1割にしか過ぎません。また、難民キャンプで日々生まれるたくさんの子どもたちは、キャンプの外の世界を知りません。本来は遊牧民や農耕民である彼らは、自分たちの文化に触れられず、キャンプの外で生きる技術を持たずに育ちます。そうすると10代や20代になったとき、武装勢力に絡め取られてギャングになるしか道がないかもしれません。中長期的には、和平プロセスを軌道に乗せ、国内避難民や難民のふるさとへの帰還を進め、UNMISSが撤退することが、UNMISSが目指す南スーダンという国の未来だと思います。
南スーダンでは今年2月に、それまで衝突を繰り返してきた政府と反政府勢力による暫定の統一政府が発足しました。これを受けて、UNMISSの文民保護地区の政府移管も始まりました。まだまだ出口戦略を練る状況にはありませんが、今の段階から人道や開発を担当する国連のほかの機関と協調し、中長期的な復興と開発につなげる議論をすべきですし、それらを反映した戦略を立てていくことも私の仕事です。
PKOは国連のとてもユニークな機能です。非効率な面もあるけれど、193カ国の加盟国を持つ正統性を基礎に、国連にしかできないこともたくさんあります。大国間の紛争に必ずしも介入できるわけではありませんが、その周辺の紛争に対処することができます。南スーダンが破綻(はたん)国家になってしまうとテロ組織の温床になったり、難民の流出を通じて、その不安定さが周辺国に波及したりする恐れがあります。不安定な地域の脆弱(ぜいじゃく)な平和を維持していく上でPKOは有効な手段で、間接的に日本の平和にも貢献していると考えます。
■私のOFF
仕事柄、基地内での会議が多く、現地の人々とふれあう機会があまり持てないため、週末にジュバ市内をドライブするのがたまの息抜き。治安状況は日々変わりますが、運転しながら東京よりずっと青くて広い空を見上げ、国境を越えて同じ空の下で奮闘する人々や日本にいる家族に思いをはせ、元気をもらっています。ただ遊牧民の多い南スーダンでは牛の価値がとても高く、うっかりはねたり傷つけたりすると大問題になるので、運転には神経を使っています。
料理も好きで、基本は自炊。市場で買った現地の食材と2カ月に1度の休暇で帰国中に入手した日本の材料ですしやお好み焼きを作り同僚にふるまうこともあります。南スーダンではオクラがたくさん採れるので、だしの煮こごりを作り、ロシア人の同僚に分けてもらったイクラを載せたら、とてもぜいたくな一品になりました。
新型コロナの外出自粛期間中はパン作りに精を出し、日本的なふわふわの柔らかいパンが同僚に「ジュバで一番おいしい」と喜ばれました。
(構成・渡辺志帆、写真は石川さん提供)