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菅義偉首相が東南アジアで訴えた、対中外交のメッセージ

揺れる世界 日本の針路
首脳会談の前に握手を交わすベトナムのフック首相(右)と菅義偉首相=2020年10月19日、ハノイの首相府、恵原弘太郎撮影

――菅首相は歴訪中、「自由で開かれたアジア太平洋(FOIP)」構想をアピールしました。

FOIPやQUAD(日米豪印4カ国による安全保障対話)が、海洋進出を続ける中国への対抗策であることは明らかだ。

中国はアジアやアフリカ諸国に働きかけ、「真珠の首飾り」と言われる海のシルクロード構想を実現しようとしてきた。これ自体は批判されるべきものではない。

だが、中国は太平洋とインド洋をつなぐ南シナ海で、ゲームチェンジャーを目指す動きを続けている。中国は1980年代末頃から、海洋を「支配する空間」「海洋国土」と位置づけてきた。これは、「自由な空間」と位置づける海洋法の概念に反する行動だ。FOIPはこの伝統的な海洋法の概念を守るための構想であり、国際社会として当然の反応だと思う。

高橋孝途教授

――菅首相は今回、中国を名指しで批判することはありませんでした。

「自由な空間」と位置づける以上、特定の国を排除するのは論理的に矛盾する。安倍晋三首相(当時)も2016年8月にケニアで開いたアフリカ開発会議(TICAD)でFOIPを披露した際、特定の国を排除する概念ではないという考えを示した。

中国が「開かれた海洋」に賛同するなら歓迎するが、本気で挑戦する場合は対抗する。その意思を示したのがQUADだ。

中国を名指しで批判しないという菅首相の判断には、外交上の配慮もあっただろうが、論理的に正しい展開だった。

――菅首相は記者会見で、「インド太平洋版のNATO(北大西洋条約機構)を作る考えは全くない」とも語りました。

そもそも論だが、日本は同盟の枠組みを構築する国家ではない。終戦から75年の間、日本は軍事に対する独特の概念を作り上げた。国際紛争を解決する手段として軍事力は使わないと決めたし、自衛隊も狭い意味での自衛戦争でしか使わない。過去、自衛隊を国際派遣する際には必ず、歯止め論が起きた。

日本は政策論として、軍事同盟を構築するための旗振り役となる戦略を選ばない。中国に単発的な外交的メッセージを送るしか手立てがないのが現状だ。

日米豪印外相会談を前に記念撮影に応じる(左から)ジャイシャンカル・インド外相、茂木敏充外相、ペイン豪外相、ポンペオ米国務長官=2020年10月6日、東京都港区の飯倉公館、代表撮影

――QUADでは日米豪印の共同訓練が実現することになりました。

会議の定期開催や共同訓練の実施が、現状で出来る精いっぱいの方策だ。私は1996年、環太平洋合同演習(リムパック)の企画立案に携わったが、多国籍演習には参加しないのが原則だった当時と比べれば、隔世の感がある。

中国は南シナ海で人工島をつくり、軍事拠点化している。中国が実際に軍事拠点を使った行動を取る場合、対抗する意思と力があることを示すのがQUADの枠組みと共同訓練だ。平時でやれる最高水準の対抗手段だと思う。

非同盟主義を掲げてきたインドが日米豪と一緒に訓練をやること自体、中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)に強いメッセージになる。ASEAN諸国は中国との関係に濃淡がある。周辺の大国が「中国が一線を越えることは許さない」というメッセージを発することは、ASEANに安心感を与えるだろう。

――「中国が越えてはならない一線」とは何でしょうか。

東シナ海や南シナ海で他の国・地域が実効支配している島を奪う行為だろう。特に台湾は、中国にとっては国内問題だと主張できるから、行動する誘惑に駆られやすい。

中国がレッドラインを越えた時こそ、QUADは真価を問われる。米国が正面に立たざるを得なくなるが、日本はそのときにしっかりと米国の側に立てるかどうかが試されることになる。

――日越首脳会談では、防衛装備品や技術の移転を促進していくことで実質合意したそうです。

何を移転するかが重要だ。ASEAN諸国の水準では、中国海軍艦艇に対抗するのは難しい。最も効果的なのは、海上監視のために哨戒機の移転だろう。

だが、日本の防衛装備品は国際基準では割高で競争力が低い。海上自衛隊のP1哨戒機は国産エンジンなので、機体やエンジンなどを民間機から転用した飛行機と比べて、メンテナンスに必要なパーツや整備ノウハウなど、ユーザーが既に保有している能力をそのまま利用できないデメリットがある。アデン湾の海賊対処でP1ではなくP3C哨戒機が派遣されているのも、米軍などとの間で部品の融通が利くからだ。

自衛隊の装備予算だけでメーカーに発注するのは限界がある。日本の防衛産業を生き残らせるためには、国策として開発段階から企業を支援する独自の予算を組んで、価格を抑え、国際的な競争力をつけないとダメだろう。

――米大統領選が迫っていますが、菅政権は日米安全保障体制でどのような課題に直面するのでしょうか。

トランプ大統領とバイデン前副大統領のどちらが勝っても、米中新冷戦は続くだろう。

トランプ氏の場合、どこまで日米同盟の重要性を理解しているのか疑問だ。コストにばかり目が向き、相手の国民感情などを無視してきた。日本では安倍晋三前首相との関係が良かったから、比較的むちゃな要求が目立たなかったが、菅政権になり、自身も2期目となればどうなるかわからない。

トランプ氏が安全保障分野で日本に圧力をかけてきた場合、菅政権に対する国民の支持が弱ければ、国内の反発を抑えきれず、日米関係を維持できなくなるかもしれない。

逆にバイデン政権になれば、日米関係は比較的やりやすくなるだろう。ただ、バイデン氏は中国との当面の争いを避けて、腰折れする可能性がある。かつて、ミュンヘン会談でヒトラーに譲歩した英国のチェンバレン首相のような行動を取れば、中国が誤解してレッドラインを越えてしまうかもしれない。

そうなれば、米中関係が極度に緊張し、日本は厳しい局面に置かれることになる。

たかはし・たかみち  1982年防衛大学校卒。海上自衛隊海上幕僚監部防衛課、自衛艦隊司令部などに勤務したほか、ペルシャ湾掃海派遣や防衛計画の大綱の策定などに関与した。共著に、スタンフォード大学出版の「Coalition Challenge in Afganistan」がある。