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「検閲はいや」政治に声上げ続け、歌う自由を失った「ベトナムのレディー・ガガ」

People
2018年、ノルウェーのオスロを訪れた時に撮影されたド・グエン・マイ・コイのポートレート(本人提供)

ベトナム人の女性歌手ド・グエン・マイ・コイ(36)が3月5日夜、ニューヨーク・マンハッタンにあるライブハウスのステージに立った。客席に訴えかけるようなベトナム語の歌声に合わせて、背後のスクリーンに英訳が浮かぶ。

♪お願いです/歌わせてください/芸術を発表させてください/(……)/お願いです/本を出版させてください/ニュースをシェアさせてください♪

共産党が一党支配する母国ベトナムでは表現の自由が制限されている。披露した曲は、自分の体験をきっかけにその現状に対する思いを表現した。初めてのプロテストソングとして4年前につくり、以来、海外での公演やベトナム国内でのシークレットライブで歌ってきた。

昨年11月に自身のドキュメンタリー映画の上映会に出席するために渡米した。ベトナムには帰らず、そのまま米国に残った。体制を批判する人権活動家とみなされており、当局に拘束される恐れを感じているからだ。芸術家を支援するNGOの協力で、今はニューヨークに滞在している。

ニューヨークのライブハウスで歌うマイ・コイ=2020年3月5日(本人提供)

ベトナム国営テレビで2010年に年間最優秀アルバム賞に選ばれ、メジャーデビューを果たした。歌手としてのキャリアをスタートさせた当初から政治的なメッセージを発信してきたわけではない。当時は若者に人気のポップスターだった。挑発的な歌唱スタイルから、欧米のメディアには「ベトナムのレディーガガ」と呼ばれた。

音楽の教師だった父親の影響で12歳から歌い始め、日の当たる場所に出るまで15年かかった。ようやく富と名声を手に入れても、心は満たされなかった。「いい生活をしていたけど、私には足りなかった。自由がないと感じていたから」

曲を作るたびに政府の検閲を受けることに嫌気が差していた。ライブも当局の許可が必要で、自由には開けない。制限を受け入れて自粛が当たり前になっている芸能界の空気にも我慢ができなくなった。アーティストにとって息が詰まるような状況を変えるために検閲制度をなくしたいと、16年2月に国会議員選挙への立候補を決意した。それがメジャーデビューに続く、人生二度目の転機になった。

ベトナムの国会議員の選挙は5年に一度行われる。21歳以上であれば法律上は誰でも立候補できるはずだが、実際は共産党の関連組織の審査を通らなければならない。共産党員以外の候補者が通るのはまれで、党や政府に批判的な意見を主張するのは難しい。

マイ・コイは結局、立候補を認められなかった。決定に抗議すると、テレビ出演に声がかからなくなり、公に告知せずにライブを開いても警察が踏み込んでくるようになった。ベトナムで歌える場所を失った。

そんな時に希望を託したのは、当時の米国大統領だったオバマだ。マイ・コイが立候補できなかった国会議員選挙の投票日と同じ16年5月22日の夜、オバマはハノイにやって来た。その1カ月前、オバマに向けて「会いたい」と訴えてユーチューブに投稿した動画が米国政府関係者の目に留まり、願いが実現した。面会ではベトナム政府に表現の自由や人権をめぐる状況を改善するように圧力をかけて欲しいと訴えるつもりだった。

面会当日は予定よりも早く家を出て、集合場所にたどり着いた。出かけようとしたところを公安当局に拘束された招待者もおり、オバマに会えたのはマイ・コイの他に5人だった。宗教家や環境保護に取り組む活動家らと車座になり、マイ・コイはオバマの隣の席についた。

「米国がベトナムとの結びつきを強めることで、人権問題を改善できる」。マイ・コイが語りかけると、オバマは自身が主導したTPP(環太平洋経済連携協定)が「助けになる」と答えた。当時のベトナムは貿易拡大を目指してTPPへの参加手続きを進めていた。経済関係が深まることで米国が変革を迫ってくれる。マイ・コイはそんな希望を抱いた。「話しやすくて、親しみやすい。言葉だけでなく態度も印象深かった」とオバマの様子を振り返る。

しかし、その希望はまもなく消えた。オバマは人権問題の改善を求めて強く圧力をかけることなく、ベトナムへの武器禁輸措置を解除した。翌年1月には、トランプが大統領に就任し、オバマが「助けになる」と語っていたTPPから離脱する大統領令に署名した。

「くそったれトランプ」。マイ・コイは17年11月、就任後初めてアジア歴訪のためにベトナムを訪れたトランプ大統領の車に向かって、ハノイの路上で抗議の横断幕を掲げた。

ハノイを訪れたトランプ米大統領への抗議メッセージを路上で掲げるマイ・コイ。横断幕の「PEACE」の言葉は×印で消され、「Piss」と書かれている=2017年11月11日(本人提供)

その前日、中部ダナンで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、トランプ氏は貿易不均衡の是正を訴えるだけで、ベトナムの民主主義や人権の問題についてひと言も発言することはなかった。

ベトナムでは街頭デモは認められていない。それでもマイ・コイが行動を起こしたのは、自国の利益しか頭になく、人権どころか女性蔑視や移民への差別的な態度を見せるトランプへの怒りが抑えられなかったからだ。

帰宅すると、アパートの大家に雇われたという男女2人組が待っていた。部屋に入るのを妨害され、荷物も持ち出せないまま友人らの家を数日間転々とすることになった。「同じ街でトランプは心地良いベッドに寝ているのに、私は家にも帰れないことがとても悲しかった」

その後は、警察とみられる人物にも追われ、アパートは引き払わざるを得なかった。「外国の大統領に失礼だ」「やり過ぎだ」。友人や他の活動家からも批判の声が聞こえてくるようになり、孤立した。制限もさらに厳しくなり、18年に2カ月間の欧州ライブツアーを終えてベトナムに戻ってきた時には、ハノイのノイバイ国際空港で当局に8時間拘束されたという。

「他国への介入の口実」「価値観の押しつけ」との批判がつきまとうものの、1970年代のカーター政権から、米国が世界に民主主義の価値観を広めようと展開してきた人権外交は、抑圧と向き合う活動家にとって強権的な政府に対する頼みの綱になってきた。

トランプ政権の4年間で、ベトナムでは政府に批判的な活動に対する締め付けが強くなった。マイ・コイはそう感じている。市民グループ「88プロジェクト」のまとめでは、ベトナムで17~19年に逮捕された人権活動家は234人で、13~16年の40人を大幅に上回っている。「外国の指導者を当てにはできない」。それを分かったうえでも、逮捕者の増加は米国の大統領が人権問題を気にしなくなり、圧力を弱めたことが原因の一つだと感じている。

米国に来て間もなく1年。新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大や黒人差別に抗議する「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」を目撃し、一時は希望を託していた米国の中にある不平等や不正義を肌で感じた。一方で、自分を助けてくれるNGOのメンバーらを通して、米国への希望も捨てきれずにいる。「ベトナムに早く戻れるように願っている。でも、それがいつなのか。今はまだ分からない」