1. HOME
  2. World Now
  3. 次々と台風襲来の北朝鮮 国境閉鎖と災害、「苦難の行軍」再び起きるのか

次々と台風襲来の北朝鮮 国境閉鎖と災害、「苦難の行軍」再び起きるのか

北朝鮮インテリジェンス
台風8号で被害を受けた黄海南道の農地を視察する金正恩党委員長=朝鮮中央通信ホームページから

朝鮮中央通信は8月28日、朝鮮労働党の金正恩委員長が黄海南道の台風8号の被災地を視察したと伝え、事態を重視していることをうかがわせた。

北朝鮮は1月末の国境閉鎖などの影響で、全体の9割以上を占める中朝貿易量がすでに前年度よりも7割近く減少している。8月上旬には大雨被害が発生。朝鮮中央通信によれば、大雨被害で、農作物の被害面積が3万9296ヘクタールに及んだほか、住宅1万6680戸と公共建物630棟が破壊、浸水し、多くの道路、橋、鉄道が断絶されて発電所のダムが崩壊した。

金正恩氏は8月13日に開いた党中央委政治局会議で「今、わが国は(新型コロナウイルスなどに対する)防疫戦を展開するとともに、予想外の自然災害という二つの挑戦と闘わなければならない難関に直面している」と訴えた。

実際、北朝鮮各地では今年に入り、「第2の苦難の行軍がやってくる」という不安の声が聞かれている。苦難の行軍とは、1990年代半ばに北朝鮮を襲った配給システムの崩壊と食糧危機のことだ。脱北者たちは、あちこちで餓死した人々を目撃したと証言する。当時、亡くなった人は、100万とも200万とも言われる。

実際、国境閉鎖に伴い、中国産に頼る小麦粉や食糧油、砂糖などの物資が不足するのではないかという指摘が出ている。農作物の栽培に欠かせない肥料やビニールの輸入も滞っている。

ただ、当時は配給を前提とした社会体制が敷かれ、市民たちの移動や経済活動はかなり制限されていた。配給の再開を待つだけで何もせずに餓死した人も大勢いたとされる。北朝鮮は現在、全国に400カ所以上の公営の市場が設けられているほか、市民たちの副業も相当部分が黙認されている。

北朝鮮市民に「生き抜く力」が備わった現在、「第2の苦難の行軍」はあり得ないとする見方もある。それでも再び、食糧危機が北朝鮮に訪れることがあるのだろうか。

中朝国境の鴨緑江をわたる大動脈「中朝友誼橋」(写真左)。向こう側が北朝鮮=2020年7月、中国・遼寧省丹東から、平井良和撮影

北朝鮮の食糧事情は厚いベールで覆われ、各国はその分析に苦労してきた。

例えば、国際社会は最近20年間、北朝鮮の食糧は毎年100万トン前後不足すると指摘し続けてきた。国連食糧農業機関(FAO)などは昨年5月、2018年から19年にかけての北朝鮮の食糧生産量は490万トンで不足分は136万トンになり、住民の4割にあたる1010万人に食糧援助が必要だと訴えた。

だが、大量の餓死者が出ているという事実は、これまで確認されていない。

英国のヒューズ元駐北朝鮮大使は11年9月、ソウルでの記者会見で「NGOなどは、毎年、100万トンの慢性的食糧不足と結論づけるが、飢餓が迫っているとの証拠は発見できなかった」と語った。

なぜ、こうした現象が起きるのだろうか。

韓国政府関係者によれば、毎年、北朝鮮の食糧生産量の推計値を出している国連食糧農業機関(FAO)の場合、5~10人の職員が現地で調査する。初日に農業関係者からの聞き取り、2日目に北朝鮮が認めた地区を対象にした収穫量の計算、3日目に北朝鮮政府からの聞き取り――といった具合だ。

FAOも毎年、同じ地域を調査することで収穫量の変化をつかもうとするが、北朝鮮が全て認めるわけではない。韓国政府関係者は「正恩氏の農業改革を宣伝したいときは作柄の良い場所に、支援が欲しいときは悪い場所に案内するんだよ」と語る。

2019年秋に撮影された北朝鮮北東部・咸鏡北道の農村風景

■北朝鮮の食糧事情を推し量るのは難しい

では、米国はどうやって北朝鮮の食糧生産量を追いかけているのだろうか。

15年秋、ソウルで北朝鮮農業を巡る非公開のセミナーが開かれた。出席した米国大使館員が、北朝鮮の耕作地を撮影した2枚の衛星写真を見せた。「干ばつの影響で、今年の田植え面積が昨年よりも10%減っている。だから食糧生産量も10%減るはずだ」と語った。

だが、このセミナーの出席者によれば、当時、北朝鮮の食糧価格は安定し、急激な輸入量の増加も、食糧消費量の急減という情報もなかった。

北朝鮮を巡る食糧事情の奇妙な安定の背景には様々な誤解や情報の不足などがあるようだ。

まず、北朝鮮の人々が必要とする食糧の量をどう位置づけるのか。

韓国政府は、北朝鮮での食糧の年間必要量を550万トンとしている。600万トンと計算するNGOもある。こうした組織が頼るのは世界保健機関(WHO)が算出する1日あたりに必要なカロリーを根拠にしている。WHOは正常な生産活動に必要な数値として2130カロリーと定める。

ただ、韓国の北朝鮮専門家の1人は「北朝鮮では1600カロリーでも大丈夫だ。年間必要量は500万トンちょっとで足りるはずだ」と語る。確かに、食糧事情に恵まれた平壌でも、食糧事情が厳しい冬から春にかけては雑穀米と汁とキムチだけで食事を済ませることが日常になっている。

北朝鮮北東部・咸鏡北道清津の市場=2018年12月撮影の映像から

また、北朝鮮には耕地面積の比較や公式の農業政策だけでは推し量れない特殊な事情もある。

ひとつは、北朝鮮独自の農業政策だ。北朝鮮は従来、協同農場で集団生産を行ってきた。従来の一番小さい単位の「分組」でも10~25人程度で、個人の努力が報われないシステムだった。金正恩時代になり、この分組が細分化され、ほとんど家族単位になった。

生産物は国と軍が買い取り、残りを自由に処分できるため、人々の生産意欲が高まった。衛星写真で把握できる耕地面積だけでは、その違いまでは追究できない。韓国政府関係者は「金正恩時代になり、農民の生産意欲は高くなっているはずだ。同じ耕地面積でも収穫量は上がっているだろう」と語る。

また、北朝鮮には食糧不足に備えた様々な危機管理策がある。

韓国政府は、北朝鮮が危機に備え、約100万トンの備蓄米を保有していると推計している。実際、脱北した元韓国軍将校によれば、北朝鮮の全土には「2号倉庫」と呼ばれる、戦時の食糧備蓄庫がある。コメや味噌、醬油など、6日分の食糧が保存されているという。北朝鮮は食糧事情が厳しくなると、こうした備蓄米を放出し、危機を乗り切ってきたとされる。

■公式報道で見える危機感

ただ、今年は、少し事情が異なるかもしれない。それは、北朝鮮自身の緊張した反応に現れている。

金正恩氏自らが被災地に足を運んでいるほか、朝鮮中央テレビは台風8号が接近した26日から27日にかけ、24時間体制で台風情報を伝え続けた。通常、平日であれば午後3時から午後10時過ぎの放送体制をとる同テレビでは極めて異例の事態だ。

確かに今回の大雨被害により、北朝鮮の穀倉地帯とされる黄海道などが甚大な被害を受けた。

北朝鮮の農業事情に詳しい韓国・GS&Jインスティテュートの権泰進(クォン・テジン)北朝鮮・北東アジア研究院長は「大雨被害によって最大コメ10万トン以上の被害が出たとみられる。台風が直撃した黄海道はトウモロコシの生産地で、年間あたり、北朝鮮全体の3割程度を占める60~70万トンを生産している。このうち1割程度が被害を受けたのではないか」と語る。

米農務省傘下の経済研究所は8月10日に公開した報告書で、北朝鮮では今年、人口の6割にあたる1千530万人が国連が定めた2130カロリーを摂取できないだろうと指摘した。

それでも、金正恩氏はコロナ感染問題を考慮し、国際的な支援は求めない考えも示している。北朝鮮はコロナ感染を防ぐため、国内でも厳重な移動制限を実施しており、物流にも問題が生じているとの未確認情報もある。毎年のように起きる食糧不足の問題を解決してきた手段が、今年に限っては使えない可能性も高まっている。

権院長は、今回の事態は単純な災害ではなく、「金正恩体制はコロナや制裁、災害が重なったことによって政治的危機にひんしている」とも語る。

9月1日付の労働新聞は、台風8号の被災地の復旧活動を「指導」する労働党副委員長らの活動を1面で伝えた。同紙が最高指導者ではない幹部たちの活動を1面で伝えるのは異例のことだ。しかも、通常、最高指導者にしか使わない「指導」という言葉を使った。これは、復旧作業が簡単ではなく、金正恩氏に責任が及ぶことを避けるための措置だと言えるだろう。

台風被害を受けた黄海南道で復旧作業を指導する李炳哲党副委員長(左)。9月1日付の労働新聞が1面に掲載した=同紙ホームページから

朝鮮中央テレビは9月2日夕刻から、ほぼ1時間おきに台風9号の進路や各都市の被害状況などを、現地リポートなどを交えて伝え続けた。台風8号のときと同じ、24時間体制での異例の対応だ。放送では、東部の中心都市の江原道元山市の道路が冠水する様子を伝えており、日本海側を中心に大きな被害が出ている模様だ。