1968年のメキシコ五輪。陸上男子200mの表彰式に、2人の米黒人選手が臨んだ。
金のトミー・スミスと銅のジョン・カーロスが、台に上がった。靴は、はいていなかった。黒い靴下は、貧困を表していた。黒い手袋は、ブラックパワーと差別からの解放を意味していた。
そして、2人とも(訳注=米国歌が演奏され、国旗が揚がると、下を向いて)こぶしを突き上げた。
無言の抗議。「それは、自由を求める叫びだった」と76歳になったスミスは顧みる。
2人の陸上競技人生はその後、(訳注=米オリンピック委員会の処分などで)事実上閉ざされた。しかし、こぶしを突き上げる姿は、最も象徴的な歴史の一場面としてスポーツ史に残った。
それは、今も生きている。ミネアポリスの警察に拘束されて死んだジョージ・フロイドの事件(訳注=2020年5月25日発生)と、これに続く米黒人への人種差別と暴力に抗議するうねりは、あのときの訴えと共鳴し合っているからだ。
こうして抗議するスポーツ選手は、耐えきれぬほどの罵声を浴びることが多い。2016年のシーズンに、警察官による黒人への残虐行為に抗議し、試合前の国歌斉唱時に片ひざをついて起立を拒んだ米プロフットボールリーグ(NFL)のQBコリン・キャパニックもその一人だ。(訳注=なお、スミス、カーロスともに、五輪後にプロフットボールのチームに入団している)
しかし、今回は違った。全米屈指のスター選手の何人かとその所属チーム、リーグが、人種差別に終止符を打ち、警察改革に乗り出すように呼びかけたのだった。
スミスは、南カリフォルニアのサンタモニカカレッジとオハイオ州のオーバリン大学で長らく学生を指導し、現在はジョージア州に住んでいる。公の場で話すことはこのところ、ほとんどなかった。しかし、2020年6月にこのインタビューに応じ、一連の抗議活動への考えや、なかなか進まぬ変革の動きについて語った。
問:ジョージ・フロイドの死を個人的にはどう受けとめたのか。
ものごとは、いろいろと変わるものだ。少し早くなるときがある。遅くなり、凍りついてしまうときもある。片ひざをつく選手たちが出るようになった。サッカー選手にも、そうする者が出てきた。
でも、(訳注=その後も警察官によって)いくつもの命が奪われた。私の場合は、そのたびに同じ記憶が即座によみがえる。メキシコのあの表彰台だ。当時、私が抱いていたのと同じ心情が、呼び起こされるからだ。
今も、それは消えない。あのときと同じ心情が、いまだに噴き出すなんて、本当に恐ろしいことだ。
問:4年前にコリン・キャパニックが片ひざをついて抗議したときは驚いたか。
初めて見たときは、思わずこう叫んだ。「なんてこった。この若者は、遅かれ早かれ、ありとあらゆるテレビカメラに顔が出る」って。その通りになった。
片ひざをつく権利があるのに、やめろといわれる。「あいつは国旗を敬っていない。フィールドでするべき務めを果たしていない」と。でも、彼は、私が何年も前にいったことを、ただ訴えようとしただけなんだ。
「神様、同じことがまた起きている」とため息が出た。同じことが、延々と繰り返される。でも、われわれは、闘い続けねばならない。やめるわけにはいかないんだ。
問:キャパニックと話したことはあるのか。
個人的に直接話したのは、1回だけだ。メールでのやりとりも、ほんの数回。ともかく忙しいやつだ。あちこち動き回って状況を説明し、いろいろ計画を立てようとしている。すごく大切なことだ。
NFLコミッショナーのロジャー・グッデルが、(訳注=2020年6月上旬に「NFLがこれまで選手の言葉に耳を傾けなかったのは間違っていた」という謝罪の)声明を出すのを見て、とてもうれしかった。何年も前に、そうすべきだった。あの子のプロとしてのキャリアは、台なしになってしまったのだから。(訳注=キャパニックは翌2017年のシーズンから所属先のチームが決まらず、プレーできなくなった)
問:試合に戻らねばならなくなったときに、選手は抗議活動をどう続けるべきなのか。
車の中でも何でも、自分なりに動き続けることだ。一番大変なのは、動き始めること。そう、活動し始めることだ。一度始めたら、続けてほしい。
場所は、街頭でなくてもよい。もう行動基盤はできたのだから、次は法の世界だ。そして、ホワイトハウスまで行こう。手順を踏まねばならない。街頭にとどまっているだけではダメだ。道路があるところまでで終わってしまう。だから、書類作りもせねばならない。
問:そうやって手順を踏むだけの忍耐力がない人にいいたいことは何か。
それが、最も大きな問題の一つだ。市があり、州があり、それぞれに議会がある。求めているものを通し、法制化しようと思っても、そんなところで立ち往生してしまう。そこで、また街頭行動が一つの方法になる。
かつては、自分もしばしば街頭に出たので、よく分かる。だから、今、街頭で若者たちが感じていることも分かる。そう、事態は前に進んでいる。でも、ものすごくゆっくりとしか進まない。
問:これまでとは違うという希望は、どうすれば見いだすことができるのだろうか。
若者を巻き込み、投票に行かせることだ。それが、この国の進路を変える。街頭に出た人に発砲するなど、警察力の残忍な行使で犠牲者が出れば、(訳注=「黒人の命も大切だ」という)命の重さが今以上に強調されることになるだろう。
問:なぜ、あなた自身は公の場であまり声を上げていないのか。
今回の事態については、自分なりに考えているし、記事も読んでいる。話すべきだと思う世界中の人とも話している。
ただ、テレビの番組やインタビューに出ていないだけだ。そんなことをしなくても、誰にもできることがある。自分の地域社会を信じ、粘り強く働きかけよう。
前に進む力を奮い起こすには、献身的な取り組みが必要だ。ゴールに向かう競争は、単純に一歩を踏み出し、歩き始めることでもスタートを切れる。ジョギングでもよい。マラソンもあれば、短距離走もある。どれを選ぶかだ。
問:NFLは(訳注=北米の4大プロスポーツリーグの中で)最も人気が高い。その選手の多くが今回の抗議に支持を表明したことで、勇気づけられたか。
よいことであるのは、間違いない。それをさらに前に進めよう。コミッショナーのグッデルがどういおうとも、困難はまだ出てくるだろう。
ただし、その謝罪声明で、行動する自由が与えられた。キャパニックのときは、同じように行動することをみんなに禁じた。今は、選手側が行動を選択できる。
昨年までは、できなかった。とくに、4年ほど前のキャパニックのときは、縛りがきつかった。理解できない規則に縛られた。それでも、プレーしたのは、報酬が高額だからだ。心から楽しんでいたわけではない。
問:ドリュー・ブリーズ(訳注=白人のベテランQB。フロイド事件を受けて再びNFLでひざつき抗議が起きても、「米国や米国旗に敬意を示さない人には決して賛同しない」と発言。翌日に撤回し、謝罪した)がすぐに批判されたが、その反応の早さは意外だったか。
彼は、黒人が置かれている最悪の状況を分かっていなかった。でも、他のほとんどの人たちが、彼より前に理解していたことを理解できたので、発言を撤回した。問題は、国旗そのものではないということだ。
私は、国旗に対してこぶしを上げたのではない。国旗は、国なんだ。国旗は、私の家族がいるところを示している。私の親類も、この旗のために戦争で戦っている。
問:メキシコ五輪で示した自分の抗議の意志が、今に至るまで共感され続けていることに驚きはあるか。
当時、私の抗議を見た人には、なぜそうしなければならなかったかということについて、それぞれの解釈があり、意見が割れた。今は、なぜそうしたのかということは、誰にでも分かる。あの表彰台に立ったトミー・スミスだけの問題ではなかったということだ。私自身は、そこに立ってこぶしを掲げただけだった。
でも、それは、自由を求めての叫びだった。今はみんな、さまざまな事情でこぶしを上げるようになった。こぶしを上げる自由を、この間に獲得したんだ。
自分がこぶしを突き上げて、小さな割れ目ができた。その後のすべての世代が、心の中で感謝しながら、そこを通り抜けていった。私は、そう感じている。だって、これほど多くの人が犠牲になり、これほど多くの人が心の中でこぶしを上げ、あるいは魂を込めて片ひざをついてきたのだから。(訳注=フロイド事件のように)ひざで首を押さえつけるような行為を根絶しようとして。
問:今後、個人として抗議活動にもっと深く関与するつもりは。
私なりに、すでに関わっている。ただ、見えにくいだけだ。「なぜ、みんなと一緒に街頭に出ないのか」という質問には、答えもある。街頭に人は繰り出しているが、76歳ではない。若者たちが、どんどん先に進めばよい。
私は大学で36年間教えてきた。何千人もの選手や学生たちに。2005年に引退したけれど、年間600人の子供たちに教えてきた。だから、関わり続けてきたし、今も関わり続けている。ただ、1960年代と同じ関わり方ではないだけだ。
今でも、教え子の選手たちと話している。みんなもう50代、60代になっている。「トミー・スミス青年イニシアチブ」という組織も運営し、スポーツの催しや宗教行事で年間3千人を超える子供たちの面倒を見ている。ただ、体は一つしかない。だから、できることは限られている。
でも、最後の日までやり続けるよ。自分が生まれてきたのは、一つには同胞の兄弟たちを助けるためなのだから。(抄訳)
(Ken Belson)©2020 The New York Times
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