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世界遺産・屋久島が模索する「経済と環境のバランス」の着地点

World Now
屋久島では、世界自然遺産に登録される前までは、長く林業が主要産業だった。そのため、樹齢1000年を超える屋久杉の多くが伐採され、今でも巨大な切り株があちこちに残る

初めての屋久島で待っていたのは、予想を超える急峻な登山道だった。周囲約130キロのほぼ円形をした島中央に、九州最高峰の宮之浦岳(標高1936メートル)などの山々がそびえ立つ。

県境をまたぐ移動の自粛要請が6月19日に解除されたのを受けて島を訪れると、コロナが暮らしに影を落としていた。屋久島町公認ガイドで「グリーンメッセンジャー屋久島」代表の河部真也(33)との登山はマスクを着用。息苦しくて、きつい。「夏は熱中症が心配。どう対応すればいいか」と河部。4~6月は島全体で客の受け入れを自粛し、ガイドの依頼は実質ゼロになった。「これからどうなるか分からない」と心配していた。

屋久島にとって、観光は経済の約7割を占める大黒柱。樹齢1000年を超す屋久杉や、映画「もののけ姫」の舞台のモデルの一つになったとされる白谷雲水峡を見ようと、普段なら登山道は全国からの観光客でにぎわう。暖流の黒潮が流れる海から、産卵にやってくるアカウミガメの数も日本一だ。

屋久島はウミガメの島としても知られており、特にアカウミガメの産卵上陸は日本一となっている。写真はアオウミガメ(大沢成二氏撮影・提供)

そんな島が1990年代前半、全国に先駆けて導入したのがエコツーリズム。恵まれた自然環境を保護しながら学びや体験もできる観光のあり方を目指した。

「最初は植林やごみ拾いツアーと思われていた」。屋久島野外活動総合センター(YNAC)代表の松本毅(63)は、当時をそう振り返る。少人数ツアーを心がけ、成り立ちや歴史など自然の本質を知ってもらおうと努めた。今では団体の研修や講演依頼も入る。「それを知ることでおのずと守りたくなる。そんな気持ちを芽生えさせて帰ってもらうのが屋久島のツアーです」

全国でも珍しいツアーガイドの「公認制度」も町の条例でつくった。ボランティアのガイドが案内する観光地も少なくないが、研修で育て、職業としての社会的な地位を確かなものにし、地元の雇用にも貢献した。屋久島はエコツーリズムの成功例と言われるようになった。

ただ、島は自然保護と観光振興のはざまで揺れてきた面もある。

93年、世界遺産に登録されると、「縄文杉ツアー」が人気を集め、人口約1万2000人の町への観光客は増え続けた。2007年度には「入り込み客数」が40万人を超えて過去最高となったが、トイレ不足などで自然への悪影響が問題になった。08年のリーマン・ショック後の景気後退や世界遺産ブームの落ち着きで客数も減少に転じた。近年は30万人前後で推移する。

一方、町が16年に策定した観光基本計画では、20年度に35万人に回復させる目標を掲げ、オフシーズンでも楽しめる施設の充実などでリピーターを増やすといった案が盛り込まれた。また、ジェット機を就航させて、プロペラ機専用の空港滑走路を延伸し、利便性の向上をめざす。

客数の減少は地元の経済に打撃を与えたが、いったん立ち止まり「環境と経済のバランス」を考え直すことにもつながった。観光協会理事の渡辺太郎(43)は、「環境保全を考えると、40万人は多すぎたという意見も多い」と話す。

観光協会理事で町公認ガイドの渡辺太郎。6月の取材時、コロナの影響で観光客は激減し、貸し出している登山用具は山積み状態だった

そんな矢先、コロナ危機が直撃した。観光客の受け入れ自粛で「感染者ゼロ」は維持したが、7月から全面解除に踏みきり、いまは経済の立て直しを急ぐ。

町が新たに検討しているのがワーケーションの誘致。テレワークを活用し、自然が豊かな観光地で、仕事(ワーク)をしながら休暇(バケーション)も楽しむ新しい働き方だ。光ケーブルの整備を進め、弱みだった通信環境を改善。長期滞在型の宿泊施設を活用するといったアイデアも出ている。

屋久島で増えすぎたヤクシカは一部捕獲され、食肉としても提供されている

貸しコテージなど宿泊施設「森のこかげ」を営む中島亮作(49)は「月単位など長期滞在なら割引もできるので企業に働きかけたい」と話す。「飲食店や土産店など観光業は一蓮托生。コロナによる打撃は深刻だが、コロナ前の状態は戻らない。前を見て、生きのびるしかない」

コロナ後の新しい日常でも、環境と経済のバランスにこだわる屋久島の理想は捨てない。持続可能な開発目標(SDGs)は、世界のトレンドにもなってきた。

YNACの松本は「都会が発展する中で屋久島は置いていかれると言っていたら、都会の人たちが屋久島はすばらしいと言うようになった。日本の原風景が残る島の自然にこそ、価値があると思われる時代になった」と言う。

「屋久島は、1周遅れの先頭ランナーになったんです」(山本大輔)