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脱北者の宣伝ビラに「爆破」で応じた北朝鮮 「特大型の犯罪」とまで嫌悪する理由

北朝鮮インテリジェンス
軍事境界線に近い臨津閣の前で、北朝鮮政権を批判するビラを結びつけた風船を飛ばす人たち =2010年11月、越田省吾撮影

国連の北朝鮮人権特別報告者を務めるトマス・オヘア・キンタナ氏は7月30日、統一省当局者とのビデオ会談で、脱北者団体による北朝鮮の人権改善運動が萎縮することへの懸念を示した。国際的人権団体、ヒューマン・ライツ・ウォッチは7月31日付の声明で、事務検査が明白な政治弾圧だとし、検査などの中断を求めた。

そもそも、韓国政府の措置は、北朝鮮による激しい反発を受けたものだった。北朝鮮は6月9日正午、脱北者らによる宣伝ビラの送付に反発し、韓国との連絡網を全て断絶する措置を取った。北朝鮮当局は「特大型の犯罪」を糾弾する市民集会を動員したほか、北朝鮮・開城にある南北連絡事務所も爆破した。

2020年6月16日に爆破された開城の南北共同連絡事務所。朝鮮中央通信が17日に配信した=朝鮮通信

北朝鮮は従来、海外の文化や情報が入り込まないよう厳しく統制してきた。金正恩体制が、民主主義社会よりも優れているという主張の根拠が崩れることを恐れるからだ。

北朝鮮当局は、堕落しているという意味を込めて海外の文化を「黄色文化」と呼び、徹底的に取り締まってきた。ラジオのチャンネルはハンダで固定され、インターネットは許可された人間しか扱えない。

脱北者らが行ったビラの送付は、北朝鮮による統制に挑戦したものだが、もともとは韓国の歴代政権自身が、北朝鮮に様々な情報を流す「心理戦」の一環として使ってきた手法だ。

韓国政府は、1960年代から北朝鮮の最高指導者を非難し、韓国の発展ぶりを伝えるビラを使った心理戦を展開した。中国にビラをまいていた台湾をお手本に、ビラを運ぶ風船の高度を一定にする技術や、タイマーで風船を爆破する装置などを研究。南から北に風が吹く春から夏にかけ、照準射撃を受けにくい夜間を中心に、北朝鮮にビラを送り続けた。切手ビラなら、ヘリウムガスを入れた風船で一度に30万枚を運んだ。

お金や干し肉、下着、スイッチを入れると韓国のKBS放送が流れる小型特殊ラジオなども一緒に送った。こうしたやり方を脱北者らが踏襲した。最近ではペットボトルにコメとビラを詰めて韓国の海岸から北朝鮮に向けて流す作業も行っていた。

2018年5月、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長を批判するビラをくくりつけた風船を飛ばす韓国の市民団体=自由北韓運動連合提供

このほか、韓国の歴代政権は、朝鮮戦争の休戦後、短波の地下放送も行ってきた。出演者は「北朝鮮で民主主義運動に携わっている者」と称した。1961年に創設された韓国中央情報部(KCIA)心理戦局が業務を引き継いだ。北朝鮮の妨害電波を避けるため、半年から1年ごとに発信地点を変えた。

30~40分くらいの番組を1日数回、断続的に放送した。短波を聞く人間は限られるため、主に軍人をターゲットにした。士気を低下させるために「韓国軍が最新兵器を導入した」などという情報を流した。

南北軍事境界線沿いの約10カ所に設置された韓国軍の拡声機による宣伝放送も行われてきた。

2015年8月、南北合意を受けて軍事宣伝放送を止める韓国軍兵士=東亜日報提供

1日に2~6時間ほど、北朝鮮非難や国際社会の動きを伝える放送を断続的に行った。北朝鮮軍兵士の士気をそぐため、韓国の人気グループが歌う最新歌謡曲やドラマ、天気予報なども流した。放送は気象条件が良ければ25キロ離れた地点でも聴取が可能だった。

ただ、こうした韓国政府・軍による心理戦は、時の政権の政策によってしばしば中断した。文在寅政権は18年9月の南北軍事合意によって、軍事境界線近くですべての挑発行為を禁止することを決めた。

米国でも文政権が発足した17年当時、米政府傘下の放送局が、脱北者が社会的に成功した様子や、米国のモータリゼーション、豊かな食生活を紹介する数十分程度の映像プログラムを作っていた。韓国政府が運営する非公式の「地下放送」で流す案を韓国に打診したが、実施には至らなかった模様だ。

南北軍事合意後も脱北者らは北朝鮮向けのビラの送付作業を続けていたが、北朝鮮が激怒。韓国統一省は最近、軍事境界線近くの国民の安全を守るという名目のもとに、ビラ送付の規制を含む新しい法律の制定にも乗り出している。

■北朝鮮にも普及する携帯電話

ただ、北朝鮮がいくら韓国や脱北者を脅しても、防ぎきれないものがある。最近、北朝鮮が頭を悩ませているものが、携帯電話の流通だ。

韓国の趙明均統一相(当時)は2018年10月の国会答弁で、北朝鮮の携帯電話利用台数が580万台に上ると明らかにした。約2500万人とされる北朝鮮人口の2割強にあたる。

朝日新聞が19年春に北朝鮮関係筋から入手したスマホ「アリラン」には、全部で38種類のアプリが収められていた。なかには、労働新聞や朝鮮中央通信などの図書閲覧、北朝鮮やロシア、インドなどの映画・ドラマを鑑賞できるアプリもあった。課金してダウンロードするタイプだった。

もちろん、当局は携帯を厳重に監視している。インターネットには接続できない。携帯の台数が多すぎるため常時の盗聴は不可能だが、通信内容は当局が自動的に記録、3年間保存する。問題が発生すれば、いつでも照会できる。

しかし、そんななかで最近流行しているのが、中国などからひそかに流入した画像や映像を共有することだという。

今年4月、金正恩氏は祖父、金日成主席の生誕記念日に、主席の遺体が安置された錦繡山太陽宮殿を参拝しなかった。中国などでは金正恩氏の健康を巡って「死亡説」「植物状態説」など怪しい情報が飛び交った。そうした情報の一部が携帯電話を通じて北朝鮮に流入し、市民が驚いて更に情報が拡散するという事態が起きた。

韓国に住む脱北者らの証言によれば、北朝鮮の厳しい取り締まりにもかかわらず、携帯電話で見た韓国ドラマの出演者の服装や髪形をまねる北朝鮮市民が後を絶たないという。韓国の歌もはやっている。脱北者が送るビラを防ぐだけではもはや意味をなさない。

金正恩朝鮮労働党委員長の実妹、金与正党第1副部長は今回、ビラをまいた脱北者らを「家のなかの汚物」と呼び、口を極めて非難した。

だが、南北関係筋によれば、携帯電話の流通に慎重だった父、金正日総書記を説き伏せたのは、金与正氏だったという。金正恩氏も権力継直後に海外のアニメや映画音楽を公式行事に登場させるなど、海外文化に寛大な措置を取ったことがある。

金正恩氏も金与正氏もスイスに留学するなど、外国経験が豊富だ。外国文化にあこがれた記憶から海外の技術や文化を採り入れた政策が、権力の座についた自分たちの首を絞める結果につながっているようだ。