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自粛生活の日々、食の記憶で旅先の地を思い出す「味覚地理学」の楽しみ

マイケル・ブースの世界を食べる
北村玲奈撮影

毎晩のように日本の夢をみる。決まって食べ物の夢である。湯気ゆらめくラーメン、デパ地下のケーキのショーウィンドー、つやつやに光り輝くすし。目の前をちらつくのに触れられない。

なんという苦痛だろう。

こうも日本のことを考えてしまうのは、日本から帰ってきたばかりでもなければ、この先予約している航空券もないという状況が少なくともこの10年で初めてだからだと思う。

胸が痛い。

日本に住む友人がSNSに投稿する写真を見るたびに、不思議なことが起こり始めた。例えば、金沢の興味をそそる建物や大分の寺院など数々のランドマーク的な風景が掲載されていても、いつも食べ物について考えてしまうのだ。

「おお、あの美術館から少し下ったあたりにはおいしいそば屋がある」。あるいは、「ああ、この寺院の角をまがった先で素晴らしいすしを食べた」。一人思いを巡らせている。

私は、日本のあらゆる場所に、何らかの食の思い出があるようだ。しばらくはどこへも再訪できないとあって、私の脳がいっそう記憶に執着し、ものすごい力でむさぼり食らう。宍道湖の写真を見れば、湖底から引き揚げられるシジミの味噌汁を思い出す。壮麗な羊蹄山の写真からは、有珠湾沿岸の極上のウニを連想する。久米島の風景なら? 海ぶどう!

■食の記憶が導く風景

土地と食を連動させるアプローチは「味覚地理学」とでも言えるだろうか。20世紀の前衛芸術のコンセプト「心理地理学」になぞらえてみた。環境の認識や記憶の仕方に変化を与える試みだ。私は食べ物を通じ場所を認識し、記憶しているようだ。(紅茶に浸したマドレーヌで幼い頃の記憶が突然呼び起こされたという一節で知られる名作小説『失われた時を求めて』の著者)プルーストにとってのマドレーヌさえ凌ぐような、大食漢の呪いにかかっていると見えるかもしれない。

しかし、この世界的なロックダウン下では、私になぐさめをもたらしてくれた。今は行けない場所にただ恋い焦がれるのではなく、味や食感、香り、色彩の回想によって、鮮明に思い出す方法を持っていた。

日本だけではない。フランスのプロバンスにある行きつけのチーズ店の香り、スペインのバレンシアで食べた黄金に輝くパエリア、ソウルにある広蔵市場名物のキムチ入りピンデトッ、そして、台湾の煙たくもにぎやかな夜市。この数週間はよく、懐かしく思いながら振り返っていた。

■日本人が夢見る先は?

世界的なパンデミックが何十万人もの命を奪う中、京都の豆腐が食べられない、高尾山の山頂から富士山が望めないといった私個人の悲しみなど全く重要なことではない。

ただ、食は感覚的にも知的にも、心理的にも影響をもたらしながら、これまで訪れた土地のことを思い出させてくれる、とてつもない力を持っている。食は、その土地の人や風景、歴史や文化と私たちを直接つなぎ、その地へと導くことで、楽しい思い出を呼び覚ましてくれるのだ。

この20年でフードツーリズムは、特に日本を行き先として劇的に成長した。世界中の多くの人が無意識のうちに味覚地理学を実践しているように思える。

だから私は知りたい。

もし世界が日本での食の夢を見ているのなら、日本の人たちはどこの食を夢見ているのだろう? (訳・菴原みなと)