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日本の大学、満足できず 向かった先はエストニア 日本と結ぶビジネスに挑戦

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
エストニアの雑貨ブランドをリサーチする熊谷宏人さん(左)

「Next innovation」熊谷宏人さんの「私の海外サバイバル」 IT先進国エストニアのタリンで、2018年3月に「Next innovation」を起業しました。エストニアの商品を日本で売り出したり、エストニアで日本人が参加するワークショップを開いたり、日本からインターンを受け入れたりしています。昨年は養蜂大国エストニアのオーガニックハチミツを日本で販売し、今年はベビーフードを展開する計画です。モノとヒトで、日本とエストニアをつなぐ架け橋になりたいと取り組んでいます。

■私のON

日本から移り住んだのは17年の夏、タリン工科大学ITカレッジのサイバーセキュリティー専攻に入学するためです。その前年に東京理科大学に入ったのですが、1年で退学しました。入学直後から就職活動への道筋が見えた気がして、そのまま大学生活を送ることに疑問を感じたからです。満足できない環境を変えるべきだと考え、海外の大学を検討しました。欧州の大学を調べているなかで、エストニアのIT分野での圧倒的な強みを知り、タリンで学びたいと願書を送りました。エストニア人と留学生が半々で、授業は英語でおこなわれています。

高校1年のときに米国テネシー州の高校に1年間、交換留学しました。最初はあまり英語ができなかったのですが、日本人は周りに一人もいなかったこともあり、できるようになりました。人間、必要に迫られれば必死にやるので、なんとかなるものです。

タリンにある「Next innovation」のオフィス

旧ソ連から1991年に独立したエストニアは、まだインターネットが一般的ではなかった時代から、国主導でIT戦略を進め、IT教育にも力を入れてきました。教育は全般的に熱心で、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)で3分野とも欧州でトップに位置しています。

2007年に政府や金融機関のシステムが大規模なサイバー攻撃を受けましたが、それをきっかけにセキュリティーを強化し、北大西洋条約機構(NATO)のサイバー防衛協力センターがタリンに設立されました。インターネット電話のスカイプを生んだ土壌があったわけです。ロシアやドイツなど様々な国に支配されてきた負の歴史があり、それが今の個性につながっていると思います。

エストニアのデザイン会社とミーティング

エストニアはほとんどの国民が電子IDカードを持っていて、あらゆることがパソコンでできる電子政府システムが進んでいます。そのシステムを外国人にも広げ、IDを外国人にも発行する「e-Residency」も始まりました。私の会社はそのシステムで立ち上げました。社員は4人で、インターンを2~4人受け入れています。仕事が忙しくなり、タリン工科大は休学中です。

ただ、新型コロナウイルスの感染拡大でエストニアも人と会うことが難しくなり、出入国が制限され航空便もどんどん減ってきていたため、3月末に日本に一時帰国しました。エストニアからはふだんはヘルシンキ経由で帰国しますが、ヘルシンキ便が止まってしまったため、トルコ経由で帰ってきました。機内は欧州中から帰国する日本人ばかりでした。

タリンのレストランと打ち合わせ

日本からリモートで仕事をしていますが、人の行き来が滞ってしまったので、ダメージは大きいです。エストニアのデザイン会社と日本からの参加者でワークショップを3月に開く予定でしたが、延期を余儀なくされました。農家に泊まりながら養蜂などに取り組むファームステイも計画していますが、ストップしています。

■私のOFF

仕事だけでなくパソコンをいじることが趣味でもあるので、これといって特別なものはありませんが、インターンたちと一緒に自然が豊かなエストニアの地方を旅行することが多いです。エストニアは空気がきれいなところで、世界保健機関(WHO)の調査でトップになったこともあります。

夏には、タリンから車で2時間ほどのエストニア西部ペルヌというリゾート地に行きました。旧ソ連時代の生活を体験するキャンプに参加し、ロシア料理を食べ、昔のスポーツをしたり、キャンプファイアでロシアの踊りをしたりと、楽しかったです。

エストニア西部ペルヌでキャンプに参加

仕事が終わってから、社員やインターンたちと一緒にタリンのパブなどに飲みに行くこともあります。エストニアは1人あたりのアルコール消費量が多く、おいしいクラフトビールやワインがけっこうあるんですよ。(構成・星野眞三雄、写真は熊谷さん提供)

インターンたちと食事会