「教会の鐘がうるさい」文句をつけた女性と村人、スイスで前代未聞の論争
スイス・チューリヒからドイツ国境近くまで電車とバスで1時間。牧草地と森に囲まれた人口3500ほどのギップフ・オーバーフリック村は数年前、前代未聞の論争に揺れた。早朝から深夜まで15分おきに鳴る村の教会の鐘の音と、ふるさと伝統の鐘の音に文句を言う女性の、どちらが迷惑か。女性の市民権も絡み2年以上続いた争いは全国で大きな話題になった。中心人物ナンシー・ホルテン(45)とはどんな人か。村に赴いた。(目黒隆行、文中敬称略)
バス停まで車で迎えに来てくれたホルテンは、村の知人と笑顔で会話を交わし、朗らかだ。自宅までの道のり、車窓には起伏に富んだ牧草地が広がっている。冬は厩舎にいる牛たちは、夏には放牧され、ここで草をはむのだという。
村の中心部に、問題の教会を見つけた。意外にも現代的な建物だが、ホルテンを含めてほとんどがキリスト教徒という村民の生活になじんでいるようにみえる。鐘は15分ごとに短く、午前6時、11時、午後5時には何度も続けて鳴るという。ホルテンが暮らす4階建てのアパートからは約300メートルの距離。さほど大きい音には思えないが、ホルテンは「朝6時に起こされるのは嫌。ぐっすり眠りたい」と話し、こう付け加えた。「問題は私が女で、ここが田舎だということ。教会の鐘は伝統の象徴ですが、その伝統を騒音だと言って反対する女は珍しかったのでしょう」
オランダ生まれのホルテンが親とともにスイスに移住したのは8歳の時。スイスで教育を受け、スイス人と結婚。美しい村が気に入り、チューリヒ近郊から10年前に引っ越してきた。離婚してシングルマザーとして3人の娘を育てながら、「ここ以上に住みたい場所はない」とスイス市民権を取ることにしたのは自然な流れだった。「娘たちも元夫もスイス国籍。手続きは順調に進むと思っていました」
だが、2014年12月のこと。かねて抱いていた「教会の鐘に眠りを妨げられたくない」との思いを、知り合いの地元記者に話すと、その意見が新聞に掲載された。これをきっかけに、メディアが次々に話を聞きに来るようになった。
実は、ホルテンは鐘だけでなく、牛の首につけるスイス伝統のカウベルにも疑問を持っていた。「人間の耳にもうるさい音。もっと近くで聞く牛の耳に良いはずがない。迷子にしないためだけなら、GPSをつければいい」。記者に話すと、面白がられてまた記事になり、気づけば、教会の鐘やカウベルという村の伝統に反逆する存在とみなされるようになっていた。
直接民主制をとるスイスでは、外国籍の住民の市民権を認めるかを住民投票で決める自治体が少数ある。ギップフ・オーバーフリック村も、その一つ。投票に参加した住民の過半数の賛成がなければ、市民権を得られない仕組みだ。ふだんは40~50人しか集まらず、淡々と終わることが多いというのだが、15年11月の投票日は違った。村のホールには、約200人の村民が詰めかけた。
「彼女は村の祭りに参加しなかったから反対だ」「彼女はヴィーガンだから反対だ」「牛を厩舎の中で育てることに反対しているので反対だ」……。住民の発言は、鐘やカウベルへの意見を超え、彼女の生活や考え方についてまで広がっていった。
居住年数や、この地方で話す「スイスドイツ語」の力などの要件は難なくクリア。村の有力者も「彼女の資格にはなんの問題もない」と強調したが、144人の反対で否決。翌年11月の再投票でも、反対203、賛成59と結果は変わらなかった。
だが、ホルテンは諦めなかった。村を所轄するアールガウ州政府に不服申し立てをして、17年4月、「認めない理由がない」という結論とともに、晴れて市民権が認められ、翌年には念願のパスポートもスイスで発行された。とはいえ住民の反対を押し切った形になったことで、しこりは残る。「オランダに帰れ」と言われたこともある。昨年10月にも最寄りの鉄道駅で酔っ払いから「ホルテンがいるぞ」と絡まれたという。
村では教会の鐘も、カウベルの音も、以前と変わらず鳴り響いている。
取材の途中、リンゴをむきながらホルテンは、こう口にした。「古くからの伝統を大事にする村の中では、自分が村民にとって迷惑な存在(ein Störfaktor)であるということは、十分に分かっている。彼らに申し訳ないという気持ちもある」。それでも、生き方を変える気はない。表立って支持してくれる村民こそ少ないが、意見に賛成してくれる人にも出会う。落選はしたものの、19年には議会選挙にも出た。「自分らしく生きたいと願う私のような人は、これからも出てくるでしょう」