広がる表現の舞台
笈田さんは65歳からオペラの演出にも挑み始めた。「オペラのオの字も知らなかった」という笈田さんだが、演出した作品は「音楽的だ」と評価され、次々に依頼が舞い込んでいる。
「クラシック音楽を全然知らないのに、どうして音楽的なのだろうと不思議でした。でも思い返してみれば、僕は中学生の頃から能楽をずっとやっていたんですね。それと昔「小芝居」といって、小さな歌舞伎一座があったのですが、それをよく見に行っていたんです。考えてみたら能楽も歌舞伎も、メロディは違うけれども、音楽劇としての構成は同じ。だからわかっているんでしょうね」
2000年頃からは、舞台『春琴』『豊穣の海』『オイディプス』、映画『あつもの』『最後の忠臣蔵』など、日本での舞台出演や映画出演が以前に比べて頻繁になってきた。仕事を選ぶ基準は?
「やっぱりまず、自分ができるかできないか。それと自分がやりたいかやりたくないかです。若いときは、経済的にこれはいいお金になるとか、名声のため、出世のためということもありました。しかし、幸いにも今は年金生活者になったので、経済的なことに縛られることはなくなった。名声にも出世にもかつてのような執着はないので、本当にやりたいものなのか、以前よりも深く自問自答するようになりました。もちろんその分、結果にも責任を持たなければならない。だから余計に仕事を選ぶのが難しくなりましたよね。人間としてなるべく正直に純粋に、それから社会のしがらみに巻き込まれないように……と思っています」
自由でいたい
50年も海外で暮らし、日本での仕事も順調な中、そろそろ日本に腰を落ち着けて……という気持ちにはならないのだろうか。
「やはり仕事をすると、僕の仕事を広い心持ちで見てくださるお客様がほしいわけですよね。たとえばチャップリンなどは、老いにも若きにも、大衆にもインテリジェンスにも愛される天才です。しかし僕のような凡才は、すべての人に愛される立派な作品というものができない。そうするとやはり、僕の狭い範囲で作ったものを理解してくださるお客様の前でやりたいんです。となると、それがヨーロッパのほうが多いからそういうことになってしまっているのだと思います。第一、日本でやりたくたってお座敷がかからない(笑)」
どこまでも謙虚で茶目っ気たっぷりに周囲を笑わせる。これだけのキャリアを積みながら、軽やかに、しなやかにあれるのはどうしてなのか。
「向こうで暮らすのは、自由がほしいから、ということもあると思います。外国で暮らすと自由なんです。でもそれは本当に自由なわけではなくて、自分が社会の中に入っていない外国人であるというだけ。つまり僕は社会のしがらみの中で生き抜く勇気がないから逃げ出しているだけなんです。長年、向こうで住んでいる人というのは、僕は社会生活不適格者だと言っているんですね(笑)」
今後の目標は「どうやって苦しまないで死ねるかということ」と、また笑いながら嘯くが、現在上演中の日本での舞台を終えたらすぐ、オペラの演出のためベルギーに飛ぶ。来年は、演出と振付と出演を兼ねたダンス劇をアヴィニョンフェスティバルで披露する予定だ。そのあともパリで、ニューヨークでと公演予定は、米寿を迎える2021年までぎっしり詰まっている。
「パリに家はあっても、とにかくいつも公演で旅行しているでしょう? 大体、ひと月その土地のアパートに暮らすわけですが、着いたときはすごく寂しいんですよ。だからその日は日本食のレストランに行く。日本食を食べると、惨めな気持ちが治るから。でも、そうやって3日もすると、ここが自分の家だと思えてくるんですね。幸いにもどこへ行ってもそこが自分の家だと思えるので、この先もこの生き方で結構なんじゃないかなと思っています」