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人種やカルチャーの壁を超えるコミュニケーション 笈田ヨシさんインタビュー<中編>

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笈田ヨシさん=伊ケ崎忍・撮影

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立ちふさがる「黄色人種」の壁

本質的な人間関係を築く──。それは確かに理想だが、実際にヨーロッパの演劇という世界で生きてみると、たやすく手に入るものではなかったという。

「それは、演劇の世界ではということです。いくら言葉ができても、演技がうまくできても、肉体的条件の壁がある。僕らが黄色人種であるということです。今は人種による壁が随分低くなり、私が渡欧した頃に比べたら随分オープンになりました。それでも、たとえば『ハムレット』をやろうとしたとき、ハムレットの役を黒人がやることはできても、まだアジア人が演じたことはない。僕は、ピーター・ブルックが作った国際グループでさまざまな国の人たちと仕事をしてきたので、人種を超えていろいろな役をやってこられて幸せでした。しかし、一般的にはそうはいきません。これからの時代はそうした枠も取り払われていくのでしょうけれども、今のところはダメですね」

笈田ヨシさん=伊ケ崎忍・撮影

追い打ちをかける「カルチャー」の違い

さらに、国や文化が違うことから来る隔たりも厳然とある。
たとえば即興劇。笈田さんが夫の役、アメリカの女優が妻役を演じた場合、どうしてもうまくいかない。それは「夫」「妻」という概念が、生まれ育った国の文化によって全く異なるからだ。性別や年齢や肩書という枠に、さらに国の違いが加わると、それぞれの着る衣の差というものが、より鮮やかに浮かび上がってしまう。

「向こうも自分のカルチャーを背負っている。こちらはこちらで日本のカルチャーを背負っている。日本人同士ならまだコミュニケーションがやさしいけれども、相手は違うカルチャーや違う宗教を背負っていて、違う政治形態の下、違う育ち方をしている人たち。非常にコミュニケーションが難しくなるんです。ですから演劇人同士で胸襟を開いて……ということは、あり得ないんですね。日本にいるときに、僕はシェイクスピア作品を演じていたけれども、いざヨーロッパに行ってアングロサクソンの人に会ったら『ああ、これはアングロサクソンの人が作ったものであって、日本人には理解の外である』と知りました。やはり自分ではそれほど意識していなくても、理解というものは、自分の生まれ育った環境で受けた教育の範疇で得た理解であって、それは本当にわかったということにはならない。ひとつの限定された教育、宗教、文化によって分析された理解でしかないんです」

「The真実」を探す

どの国の人も、それぞれの地域で限定された教育や宗教、文化の中で生きている。そして、それはそれぞれに異なる。それらがぶつかり合い、簡単には理解できないと知ったとき、どうなるのか──。笈田さんは、「どんな人もまず排他的になる」と言う。

「ですから、自分を認めて、また相手の思考を認めた上で、なにかそこで交わる接点を見つける努力が必要になってきます。『私の真実、あなたの真実、そしてThe真実』という言葉があるそうですが、僕はこれが好きなんです。我々は互いにそれぞれの『真実』を持っている。それを認めた上で、『The真実』を探そうじゃないかということなのですが、僕は常にその姿勢でいたいと思うんです」

©2019映画「駅までの道をおしえて」production committee

50年暮らしてもわからないフランス人の頭の中

互いの真実は認め合った上で、そのどちらでもない「The真実」をともに追い求めていこうとする。これこそがコミュニケーションの第一歩なのだと笈田さんは語る。

「僕は50年パリに暮らしていますが、それでもいまだにフランス人の頭の中がどうなっているのかわかりません。どうしてこんな思考が出てくるんだとか、どうしてこんなことを言うんだとか、理解できないことばかりです。ですから、世界は地続きであり、我々はコミュニケーションし合えるという前向きな考え方ももちろん大事ですが、つながった地面の上には海があり、僕たちはその海に隔てられているということをきちんと理解していないといけない。海のこちらも理解して、あちらも理解していないといけないと思うんですね」

相手あっての表現

しかし、その異文化の地で笈田さんは根を張り、渡欧間もない70年代から、すでに俳優だけでなく演出も手がけるようになった。俳優として演じるときよりも演出を担当するときのほうが、「The 真実」が果たしてどこにあるのかを探し求めることに、はるかに細やかな気を遣う。

「俳優の仕事は、どうやって作家の書かれたテキストを、演劇の相手にもきっちり伝え、またお客さまにもはっきり伝えるか、ということにかかっています。ですから自分の中に埋没してしまわないように、絶えず相手とのコミュニケーションのことを考えているので、自然とそうなっているのかもしれないですね。特に外国で生活するときには、貧しいボキャブラリーでどれだけ自分の思っていることを伝えられるか、という点は大事になってきますから。最近、自分の心持ちだけで台詞を言うことが、いかにも日常的でリアリスティックに見えていい演技だと思われている節が、ヨーロッパでもあります。しかし、演劇って本当は、リアルに見えながらもリアルではないんですよ。伝えるためには、技術に乗せて伝わるようにしなければならない。表現はやはりコミュニケーションですから、相手あってのものです。老人と若い人であったり、人と犬であったり、あるいは生きている人と死んでいる人という場合もあるでしょう。もちろん、その場合は触れることはできない。しかし、その人を『思う』ことでコミュニケーションは成り立つ。相手あっての表現だということは忘れずにいたいですね」

次回は10月20日、今後の海外での暮らしと仕事についてのお話です。