グルメ記者が人に薦める店は、心からのお薦めではない……かもしれない
グルメ記者の独占欲が生み出したのがグレーリストだった。
あるときレストラン批評家の友人からメールが届いた。東京に行くから、どこかお薦めを教えてくれという。
この手の話はおなじみのジレンマをもたらす。日本の首都にある本当に心底大好きで絶対的にお気に入りの店を挙げて、信頼に足る友人としての、そして、美食の探求者仲間としての地位を確立する? それともグレーリストを提供する? (もちろん友人にはグレーリストを渡した!)
グレーリストとは、赤坂の素晴らしい焼き鳥店で東京を拠点とするグルメ記者の友人と食事をしていた時に出てきた用語である。グルメ記者が誰しも使う言葉なのかはわからないが、それぞれの呼び方があるに違いない。
私たちは、その友人が最近見つけたこの店と、伝統的な焼き鳥を繊細にアップデートした味について熱くなっていたが、突然、友人が焦った表情で言った。「あなた、この店については絶対に書いちゃだめ。銀座にある焼き鳥店に行くように言うの」
友人が言及した焼き鳥店は、東京の店を外国人に紹介するあらゆるガイドブックの常連である、十分においしい銀座の焼き鳥店のことだ。彼女が安心して、喜んでお薦めできる店だが、もし予約がとれなくなったとしても、彼女には他にもっといい選択肢があることを意味している。グレーリスト店とは、そういうことなのだ。
誤解しないでほしい。グレーリスト店というのは完璧にちょうどよく、今までも複数回使い、これからも喜んで食べにいくであろう店である。確かに装飾や雰囲気、そして、たびたび景色のほうが料理よりも勝っていることが多いが、それでも食事するにはいい店だ。
お薦めすることによって、我々のプロとしての評判が傷つくことも、劇的に上がることもない。それは、常連でない客が押し寄せても、そんなに気にならないということにもなる。雑誌記事に同じ店が何度も登場するのを不思議に思う人がいるとすれば、そこには、こうした恥ずかしい真相がある。
みなさんもそれぞれの地元に、外から来る人に薦めるグレーリスト店がすでにいくつかあるんじゃないですか。
ロンドンのグレーリスト店には、ディナー・バイ・ヘストン・ブルメンタールも含まれるだろう。行っても後悔しない、まったくもって申し分ない店である。しかし自信を持って言えるのは、正しい考えを持ったロンドン市民ならまず食べに行かないだろうということだ。
パリの伝統的グレーリスト店といえばラミ・ジャン。華やかな旅行雑誌を読み、世界各地の食の「事情通」と信じている人々に仕えるこのビストロは、彼らの心地よいお決まりの店として長らく定着している。ただ、フランスの首都の食の光景をよく知る人なら、その手の店でお金を浪費するよりも道端の屋台で売られるクレープを楽しむだろう。
東京で「絶対に行くべき」と紹介されるグレーリスト店には、とんかつやラーメンの店の名前がある。特に書き手が手を抜いた時には、有名なすし店の名前も時々挙げられる。
「海外のグルメ記者がなぜああいう同じ店ばかり薦め続けるのかわからない」と、食を愛する日本人の友人が私に言ったことがある。まあ、私もやってしまう。日本で格別と言える店は、どこもキャパシティーが限られていて、ひとたび誰かが記事やブログなどで推薦したならば、ネット上で永遠にお薦めされ続ける。そして、自分たち独自のリストを探している他のライターたちによって使いまわされるのだ。だから、覚えていてほしい。
グルメ記者とはこのように、誰よりも先に何よりもおいしいものを頬張ることにこだわる欲深くて自分勝手な存在だということを。言い換えれば、どこで食事をするかという重要なことに関して、地球上で最も信用できない人々ということになるのだ。(訳・菴原みなと)