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報道写真大賞のフォトグラファーが語る「フォトジャーナリストになりたい人へ」

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所属するゲッティイメージズの東京オフィスでインタビューに応じるジョン・ムーア氏=山本大輔撮影

「フォトジャーナリズムを構成する二つの言葉、フォトとジャーナリズムの両方に情熱を持っているかどうか。まずはここが肝心です。私はむしろジャーナリズムを重視している。報道写真家ではなく写真記者。いい写真は人々の関心を集めることができる。その結果、記事も多くの人に読んでもらうことができる」

 ムーア氏とのインタビューは6月18日。所属するゲッティイメージズのオフィス(東京)でムーア氏は、報道写真家を目指す人たちへのメッセージとして、そう強調した。

 密入国者を犯罪者として追及するトランプ米政権の「ゼロトレランス」(不寛容)政策の実態を報道しようと、米国とメキシコの国境に入ったのが1年前の昨年6月。米国境監視員に拘束されたホンジュラス人の母親の足元で、泣きじゃくる女の子の姿を描写した1枚が、今年4月に発表された「世界報道写真コンテスト」で大賞に選ばれた。報道写真の頂点に立ったムーア氏だが、そこに至るまでの道のりは困難の連続だったという。

2018年6月12日、米テキサス州マッカレンで=ジョン・ムーア氏(ゲッティイメージズ)撮影

 AP通信で14年、ゲッティイメージズで13年、専属のカメラマンとして、これまでに67カ国の取材現場に赴いた。

 何度も命を落としかけている。

 2006年にはイスラエル北部で、同国軍とイスラム教シーア派組織ヒズボラとの紛争を取材中、RPG(ロケット推進グレネード砲)が着弾し、もう少しで爆発に巻き込まれるところだった。07年にはイラク戦争を現地で取材中、埋まっていた地雷に気づかず、踏みかけた。

 こうした危機一髪の出来事を「Close Call」と呼んでいる。紛争地取材では、よく仲間同士で何度Close Callがあったかが話題になる。安全を確保するための情報交換だ。

 「敵意に満ちた現場を取材する時、撮ったらすぐにその場を離れる。同じ道は絶対に使わない。こうしたことは経験を積んで学んでいくしか、身につかない」

 常にアンテナを張り、危険を事前に感じ取ることを、英語で「Situational Awareness(状況認識)」という。この認識の重要性にムーア氏が気がついたのは92年、内戦下のソマリアだった。駆け出し時代に初めて担当した紛争地取材だった。

 写真を撮りたい一心で飛び出した街中で、覆面姿の男2人から銃を突きつけられてカメラを奪われた。ホテルで同僚からカメラを借りて現場に戻ると、今度は民衆の投石を顔面に受けて流血した。その光景をホテルの屋上からたまたま捉えた英BBCのテレビ映像が米国でも報道され、両親に深刻な心配をかけた。

 「若気の至り。無謀だった。でも、この出来事が私の大きな学びとなった。それ以来、現場でむちゃをしたことはない。もちろん、どんなに注意しても不幸が起きることはある。それでも状況認識ができない記者に、いい写真は撮れない」

現場では、写真だけでなくスマホで動画も撮るという=山本大輔撮影

 若い後輩たちにムーア氏が強調する自身の教訓だ。そうまでして現地取材にこだわるのは、「人々にとって重要だと思う出来事を伝えるため。取材が難しければ難しいほど、伝える意義も強まる」。情熱がなければできない仕事だ。

その情熱をもってしても、カメラのシャッターを押せなかった出来事があった。飢餓が深刻だった93年のアンゴラ。国連職員とともに食糧支援施設に到着すると、栄養失調でやせ細った子供たちが大勢いた。国連の支援が届くことが知らされていたのだろう。子供たちは必死に力をふりしぼり、その場で立ち上がって歓迎の歌をうたい出した。

「いつ命が絶えるか分からないような状態の子供たちだった。そんな状態にあっても歌ってくれた。カメラを構えるのを忘れるほど、強く心を打たれた」

東京に同行した12歳の次女とともに、デジタル技術を使ったアートを楽しめる東京都内の美術館を観光。光とコラボする娘の姿をジョン・ムーア氏がスマホで撮影した1枚にも、プロの技を感じた=本人提供

数々の紛争地取材を経験したムーア氏だからこそ、強調できることがある。

「これまでの27年間で、敵意よりも、好意や優しさ、おもてなしを受けることの方が圧倒的に多かった。紛争、飢餓、貧困。最悪の状態にあっても他人をもてなせるなんて、人間は偉大です。こうした人たちの声に耳を傾け、尊重し、人間関係を築く。そうすることで、よそ行きではない本当の姿を見せてくれるようになり、正直な写真が撮れる」

危険を察知する状況認識力に加え、現地の人たちとの信頼関係を築くことができたからこそ、数々の危険な取材現場を生き残れたのだと振り返っていた。

 「文化や習慣などの違いは世界で確かにある。ただ、人間である限り、その根本では、違いよりも共通点の方が多いと感じる。同じ人間だと思うからこそ、自分を見せることができる。何をするにしても、信頼関係がとても重要です」

スマホで撮影した次女との東京観光写真を楽しそうに見せるジョン・ムーア氏。今回同行したのは12歳の次女だけだが、米国には14歳の長女と4歳の長男がいる=山本大輔撮影

 現場取材を通じ、失敗と反省、学びを繰り返しながら、撮影技術も向上していく。最も重要なのは、「その瞬間」を逃さないことだという。それには、いつ何が起こるのかを予測しながら撮影に当たることが欠かせない。起きてから撮影すると、ほんの一瞬対応が遅れる。それが報道写真としては命取りになる。この感覚はプロでも訓練を続けないと鈍っていくという。

 「高いレベルを保つためには、常に撮り続け、技術を磨かないといけない。休むことは許されない厳しい世界です」

 こうした経験や技術、信念の結晶が、大賞をとった少女の写真だった。

 ゼロトレランス政策の実態を写真1枚で浮き彫りにできるシーンを一日中、待っていた。すでに数千枚を撮っていたが、「その瞬間」が来たのは夜中になってからだった。少し離れたところで、米国境監視員が母親の身体検査を始めた時、そばに女の子がいるのが見えた。衝動的に体が動いた。ひざを立ててしゃがみ、カメラのレンズを少女の目線の高さに固定した。その瞬間、少女が大声で泣き出した。シャッターを切るのと同時だった。その日写した最後の6枚だった。

 「撮影当初、これほど反響が出る1枚になるとは、正直思っていなかった」

 少女の写真は、世界中のメディアが採用し、政策に批判的な世論が米国内外で強まった。その結果、トランプ政権は方針転換せざるを得なくなった。自身が撮影した写真が、これほどの影響力を発揮したことは初めてだという。

 来日中の619日に52歳となったムーア氏はいま、ゲッティイメージズに「特別特派員」という肩書を与えられ、自由にテーマを選んで取材することができる。引き続き追いかけていこうと決めているのが、この移民問題だ。

 「自分の仕事に意義を感じている。そう思える限り、私はずっと報道記者を続けていく。そう思えない人は、いい記者には絶対になれない。ほかの仕事を探すべきだと思う」

 ムーア氏の大賞作は、東京都写真美術館で84日まで開催中の「世界報道写真展2019」で見ることができる。同写真展はその後、大阪、滋賀、京都、大分でも順に開催されることになっている。