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1000人の雇用が戻ってきた さびれた鉄鋼の街、トランプ政策に歓喜

World Now 更新日: 公開日:
約3年前に解雇され、高炉の再開でUSスチールに戻ってきたマイケル・オートフ。この街で生まれ育ち、父親はアルミ工場で働いていたが、「多くの産業がいなくなり、大きく変わった」という=米イリノイ州グラニットシティー、五十嵐大介撮影

■2年ぶりの生産再開

グラニットシティーの中心部、鉄鋼大手USスチールの工場の入り口に、「hiring(従業員募集中)」の大きなポスターが掲げられていた。

昨年、トランプ政権が鉄鋼製品への高関税をかけ始めたことを理由に、USスチールは約2年ぶりにこの工場の鉄鋼生産を再開。地元には、1000人以上の雇用が戻ってきた。いわば、トランプ関税の「勝ち組」だ。

USスチールの工場前のフェンスには、従業員を募集するポスターが掲げられていた=米イリノイ州グラニットシティー、五十嵐大介撮影

工場近くの労働組合の古い建物をたずねると、工場で新たに雇われた従業員向けの、組合加入のためのオリエンテーションが開かれていた。若い男性から、中年の女性、年配の男性の姿もある。仕事に就けたうれしさからか、時折冗談が飛び交い、笑い声が響く。

「我々にとっては、とても大きい出来事だった」。マイケル・オートフ(55)は顔をほころばせた。この地で生まれ育ったオートフは、職業訓練学校を出た後、USスチールの前身の会社に就職。26年間勤めたものの、2015年末に解雇を言い渡された。当時の月給は約3000ドル(約33万円)。職を失って月1500ドルの家賃が払えなくなり、家を移らざるを得なくなった。

17年末にUSスチールで一時的な仕事を得たが、高炉の再開で職にとどまることができた。オートフはトランプを支持していないが、それでも「貿易問題では行動を取る必要がある」と理解を示す。「多くの同僚がトランプを支持している。私は少数派だよ」と笑った。

USスチールの高炉再開で新たに雇われた従業員たち。この日開かれていた労働組合のオリエンテーションでは、笑い声が頻繁に聞こえた=米イリノイ州グラニットシティー、五十嵐大介撮影

業界団体によると、米国の鉄鋼業界で直接雇われている人は約14万人。全雇用の0.1%にも満たない。鉄鋼への関税は、自動車など鉄鋼を使う多くの業界にとってはコスト増となり、悪影響を与えている。それでも、鉄鋼業界の保護を重視するトランプ政権は、高関税をやめる気配はない。

米ギャラップ社によると、3月時点でトランプ政権の支持率は約4割と底堅い。共和党員の支持率は9割を維持する。スキャンダルが絶えなくても、保護主義的な政策の恩恵を受ける人々はトランプを支え続ける。

■名前の由来は花崗岩

グラニットシティーは「関税が生んだ町」といわれる。町の歴史を書いた文献によると、19世紀末、セントルイスでニードリングハウス兄弟が製鉄業を営んでいた。弟のフレデリックは、自分たちのビジネスに有利になるよう、連邦議会の議員となる。

フレデリックは、当時鉄鋼業がさかんだったオハイオ州選出のウィリアム・マッキンリーら保護主義的な共和党議員らと協力して、1890年、鉄鋼品の関税を引き上げる「マッキンリー法」の成立にこぎつけた。

その後、2人の事業は急拡大。あらたな工場用地を確保するため、税金が安いミシシッピ川対岸のイリノイ州側の土地を手に入れ、1896年にグラニットシティーが市としてうまれた。兄弟は、きらきらと光る砕いた花崗岩(かこうがん)(Granite)をまぶした包丁を作っていたことから、「グラニットシティー」と名づけられた。

鉄鋼産業の繁栄を背景に、町の人口は1970年代に約4万人のピークに達した。だが、その後は鉄鋼産業の衰退とともに、街も活気を失っていく。労働組合が居を構える町の中心部を歩くと、レンガ造りの古びた建物が立ち並ぶ。空き店舗のところも目立つ。

そして、町が生まれて約110年後。町は再び関税で息を吹き返しつつある。

昨年高炉が再開したUSスチールの工場。煙突から白い煙が上がっていた=米イリノイ州グラニットシティー、五十嵐大介撮影

「経済学者は自由貿易が答えだというが、我々の産業では明らかに機能しなかった。彼らは紙の上の数字を見ているだけだ」。USスチールの従業員が所属する労働組合の支部長ダン・シモンズ(59)はそう強調する。「どの国よりもルールを守らず、(不当に安い値段で売る)ダンピングなどでズルをしているのが中国だ。彼らこそ米国で多くの製鉄所が消えた元凶。我々に必要なのは、自由貿易ではなくフェアな貿易だ」

USスチールの労働者らが所属する労働組合の支部長ダン・シモンズ。米中の貿易交渉で「トランプ大統領の要求が不十分になるかもしれない。それを恐れている」という。=米イリノイ州グラニットシティー、五十嵐大介撮影

■大豆業界からは悲鳴

だが、米中の貿易摩擦は、米国にも多くの「代償」を払わせている。

グラニットシティーから車で西に30分ほど走ると、まったく違う光景が広がっていた。ミズーリ州セントルイス近郊のオフィスビルにある、アメリカ大豆輸出協会の本部。CEO(最高経営責任者)のジム・サッターが、巨大な世界地図が壁を覆う執務室で迎えてくれた。

昨年7月、米国が中国の輸入品に高関税をかけ始め、中国が対抗措置として、米国産の大豆に25%の関税をかけはじめた。ミズーリ州などの中西部は大豆の主要産地で、周囲の農家では大きな影響が出ていた。

林紗記撮影

サッターによると、昨春、米国は過去最高の面積の大豆を栽培したという。4~6月ごろに栽培し、秋に収穫をする。中国が高関税をかけたのは、春の栽培期の直後だった。

「大豆が育ち始めようというまさにその時、中国が『ブーン』と門を閉じたわけだ」。サッターは、平手でチョップをするように右手を机にたたきつけた。「残念なのは、大豆は常に攻撃の対象になることだ。中国は大豆が米国の農家にとって重要なことを知っており、攻めどころをよくわかっている」。その後、大豆の価格が急落し、中国への輸出はほぼゼロにまで減ったという。

米国でつくられる大豆の約6割は、外国に輸出されている。その最大の買い手である中国が突然買わなくなったため、サットンたちは他の市場を拡大しなくてはならなくなった。日本や欧州などの他の主要市場だけでなく、パキスタン、バングラデシュ、エジプトといった新しい市場開拓も進めている。「先週もエジプトにいた。エジプト農務省や大豆産業のリーダーたちに会ってきた」とサッター。

中国以外の国への輸出は、前年より6割ほど増えたというが、それでも、中国の落ち込みはカバーできていない。積み上がっている在庫は、これまでの過去最高の量の2倍にのぼるという。

アメリカ大豆輸出協会CEO(最高経営責任者)のジム・サッター=五十嵐大介撮影

米国の大豆輸出の戦略を取り仕切るサッターにとって、自由貿易はまさに生命線だった。「多くの農家は、自由貿易を理解している。誰かが関税をかけ始めれば、それは雪だるま式に膨らんでいく」。サッターはこう強調した。「世界の人口の95%は米国の外にいる。我々には、世界の市場が必要なんだ」

米国の中部でつくられる大豆の大半は、船でミシシッピ川を下り、南部ルイジアナ州ニューオーリンズまで運ばれる。そこから大型船でアジアなどに輸出されており、パナマ運河や南アフリカの喜望峰沖を経由して、アジアに向かう。

パナマ運河の水門を通る貨物船=五十嵐大介撮影

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