■「戦後」を支えたふたつのもの
「戦後」とは、日本特有のことばである。アメリカ人に「戦後」と言えば、「どの戦後か」と聞き返されるだろう。彼らには、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争にいたるまで、様々な「戦後」があるからだ。
いっぽうヨーロッパでも、「戦後」という言葉は使われたが、それはおおむね戦災からの復興を果たした、1950年代の半ばくらいまでの時期を指す。日本でも、1956年の経済白書が「もはや戦後ではない」という言い回しを使って話題になったことがあるが、この用法はヨーロッパの「戦後」に近い。
だが、日本では復興を果たしたあとも「戦後」は使われ続けた。なぜ日本の「戦後」は今も終わらないのだろうか。
それは、「戦後」がひとつの価値を込めたことばだからではないか。
無謀な戦争に敗れた軍国日本は、新しい日本国憲法のもと、国民主権の民主主義国として生まれ変わった。「戦後」とは、新しい国の出発である。その原点が変わっていない以上、その後の73年間は、継続する歴史的時間としてとらえられる。
その「戦後」を具体的に支えたものがふたつあった。
ひとつは戦争や軍事的価値への激しい反発である。戦争は戦場でも国内でも多くの人々を悲惨な状況に追い込んだ。若者、学徒を動員した。彼らが軍隊で見たものは、たとえば人間を殺人の道具とした特攻攻撃である。人を人として扱わない軍隊の経験は、彼らの間に深い反軍感情を生んだ。戦後社会に長く続いた軍事的価値への忌避感は、こうした国民感情を抜きには考えられないだろう。だが、その感情が直接の戦争経験に基づくものである限り、継承はやがて時間の壁にぶつかる。
人々の「戦後」という意識を支えたもうひとつ要因は、焼け跡闇市から高度成長を経て今日まで続く経済発展である。その最盛期には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(ハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授の著書)と称えられた。豊かな日本への誇りは、形を変えた心地よいナショナリズムでもあった。
だがその豊かな「戦後」は、少子高齢化と、中国など他国の急速なキャッチアップで、とうに揺らいでいる。高度成長の時代には、ほとんど話題にすらならなかった中国との尖閣諸島、韓国との竹島など領土問題が、国民のナショナリズムに火をつけているのは、私たちがエコノミック・パワーとしての自信を失ったことと無関係ではあるまい。
1994年末、翌年の戦後50年を前に、朝日新聞社がおこなった世論調査では「戦後」について「よかった」あるいは「どちらかといえばよかった」と肯定的に答えた人が計84%だった。平和で反映した時代が続いているという実感が、当時にはあった。いま同じ調査をしたらどうだろう。「戦後」は、「戦前」や「戦中」と違うよい時代だという意識よりも、行き詰まった時代という認識が強いかもしれない。
■次の時代の価値をつくる
「戦後」を支えた戦争の記憶が消え、豊かさが実感できない時代になれば、ポジティブなイメージとしての「戦後」が消えるのは必然である。問題は、これからの新しい社会の条件に根付いた次の価値をどう見つけるかだろう。
平成とは、昭和の果実を守ろうとした時代、守ろうとして守り切れなかった時代だった。過去の遺産を守ろうとする意識が、新しい現実を見ることを阻害し、失敗につながった側面もあるかもしれない。
とすれば、次は、新しい時代にふさわしい新しい価値を作るしかない。戦後をただ守ることも、それ以前に復古することも、ともに不可能である。険しい道ではあるが、チャレンジの時代としてのぞむ必要があるだろう。