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亀田和毅のメキシコ修行は「完全アウェー」 一人で道を拓き、世界王者に返り咲くまで

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
世界王者に返り咲いた亀田和毅。顔に残った傷が激闘の様子を物語っていたが、カメラを向けると力強い視線で応えた=11月12日、東京都文京区の後楽園ホール、関田航撮影

激しい打ち合いを制し、世界チャンピオンに返り咲いた亀田和毅(27)が、勝利インタビューで真っ先に口にしたのは対戦相手への敬意だった。

「すごい、いい選手でした」

アビゲイル・メディナとの激闘を制し、2階級制覇を達成した亀田和毅=2018年11月12日、東京都文京区の後楽園ホール、関田航撮影

すっきり刈り上げた黒髪に、完璧に鍛えた肉体。昨年11月、東京の後楽園ホールで行われたWBCスーパーバンタム級暫定王座決定戦。対戦相手のアビゲイル・メディナ(スペイン)を巧みにかわして鋭いパンチを浴びせる姿には、かつて日本中を敵にした「亀田3兄弟」のイメージはなかった。

控室に戻った後も和毅は相手を思いやった。「あいつもおれと一緒で、15歳でおれはメキシコ、あいつは(ドミニカ共和国から)スペインに行って、その気持ちがありましたね。このアウェーの日本に来て、最後まであきらめんと前に出て、すごいやつですよ」

2階級制覇を達成し、所属ジムの金平桂一郎会長と報道陣の取材に応じる亀田和毅=2018年11月12日、東京都文京区の後楽園ホール、関田航撮影

■日本中に吹き荒れた「亀田叩き」

父親による熱血指導で世界チャンピオンをめざす大阪・西成の3兄弟。「亀田3兄弟」が格好の素材としてテレビに持ち上げられるようになったのは、和毅が子どものころ。2006年に長兄の興毅が挑んだ初の世界戦の視聴率は40%を超えたが、微妙な判定で王者になると、放映したTBSなどに抗議が殺到。そこから、父・史郎の型破りな教育や兄の挑発的な態度に非難が噴出し、「アンチ亀田」は社会現象になった。

まだ15歳だった三男坊の和毅にも、世間は容赦なかった。「才能は3兄弟で一番」と言われ、中学卒業後はアマチュア選手として08年の北京五輪をめざすつもりだったが、アマ側は歓迎せず、和毅のヘアスタイルまで問題にした。「これでは五輪は無理や」。父が和毅のために考えた道は海外だった。「和毅ならやれる。性格が完璧やから、一人でどこへ行っても、自分がやるべきことを分かってる」

■メキシコから兄にメール「帰りたい」

幼い時に空手を始め、たちまち全国大会で優勝した。小学3年になると、2人の兄とボクシングを始めた。「3兄弟でいっつも泣いてたんが和毅」と父は言う。気弱だからではない。「自分が思うようにできないことが悔しいんやろ」。2人の兄に見せつけるように、きつい練習をすることもあった。

幼い時の興毅(中央)大毅(左)の2人の兄と亀田和毅=トゥモロウズ提供

中学はほとんど行っていない。早朝からのトレーニングで疲れ、学校をさぼって寝てしまう。「もうちょっと学校行って、友だちつくればよかったと思いますね。いま思えばですけど」。父は学校を休んでもとがめなかった。世界チャンピオンになることは「仕事」だったからだ。

だから、父からメキシコに行くよう言われた時は、「ええよ」と二つ返事で応じた。「その時はめちゃめちゃアホやったから、アメリカやメキシコがどこにあるかも分からんかって。日本語も普通に通じると思ってた」

興毅(右)大毅(左)の2人の兄と=トゥモロウズ提供

メキシコで、まず宿舎にしたのは、日本人向けホステル。キッチンやトイレは共有で、同宿者は旅人やプロレス修業の日本人だった。宿に着いた晩、近くの店で買ったサンドイッチの味はひどかった。周囲は治安が良くなく、後に何度か銃声も聞いた。日本語ができる宿の主人に、共用パソコンの使い方からアルファベットまで教えてもらい、兄にメールを送った。「帰りたい」

アマチュアの大会でリングに上がれば、入場時にはブーイングだけでなくモノまで飛んで来て、試合中は「メヒコ(メキシコ)」の大合唱が続く。「完全アウェー」だったメキシコ生活を劇的に変えたのは、アマ大会で出会った一人の女性、女子の部に出場していた大学生のシルセ・クエバス(31)だった。

応援に来ていた兄たちに「かわいいやんか」とそそのかされて写真を撮ってもらい、電話番号を交換した。「とても若いのに違う文化の国に来て、勇気ある男の子だと興味を持ち、守りたくなった」とシルセ。彼女の自宅のパーティーに招かれ、2人は周囲にはやし立てられて踊り、やがてデートを重ねるようになる。

彼女ともっと話したい。和毅はスペイン語を懸命に勉強した。TBSの担当ディレクターとして和毅を取材していた嶋聡(42)は、「宿で何をしているかなと思ったら、だいたいベッドで辞書を見ていた」と言う。嶋は和毅の才能とストイックな性格にひかれ、後にマネジャーに。シルセは8年の交際を経て、妻になった。

2015年に妻シルセとメキシコで挙げた結婚式で=トゥモロウズ提供

■勝てば認められるシンプルさ

アマで1年余り実績を重ねた後、メキシコでプロデビュー。「エル・メヒカニート(メキシコの少年)」というニックネームはシルセの弟が考えた。メキシコへの愛着をこめ、入場の時につば広のソンブレロをかぶり、ポンチョを羽織った。勝ち星を重ね、試合後のインタビューにスペイン語で堂々と答える様子が放送されると、街でも「エル・メヒカニート」と声をかけられるようになった。

プロデビューの5年後、フィリピンでの世界戦で、世界ボクシング機構(WBO)バンタム級王座を取ると、アメリカで名だたるスターを手がけてきた大物代理人アル・ヘイモンから声がかかる。和毅はスペイン語で直接本人と交渉し、契約を交わした。

「向こうは結果を出せば認めてくれる。シンプルでいい」。10代で巻き込まれた世間のバッシング。和毅は「こわいなあと思った」と振り返りつつも、「いつも家族が一緒やったんでね」と言う。何かよくないことがあっても、それは次の成功に必要なステップだと信じてきた。「親父の教えですね。小さな時からの」

インタビューに答える亀田和毅=2018年5月17日、東京都新宿区、関田航撮影

■目標見えず ひたすら耐えた3年

海外で着実にキャリアを積む間も、日本では「亀田叩き」が続いていた。WBO王者になって間もなく、所属する「亀田ジム」が日本ボクシングコミッション(JBC)からの処分で活動停止に。和毅も日本での活動の道を閉ざされた。

日本でだめなら、米国でもやれる─。そんな覚悟もあった。だが、周囲は日本で活動できる道を探りつづけた。世界的なボクサーになるためには、知名度がある日本で「商品価値」を高める必要があると考えていたからだ。和毅にしても、日本のファンを前に試合をしたいという思いは、ずっと秘めていた。

WBO王座を返上して挑んだアメリカでの世界戦で2連敗した後で、かつて亀田家と仲たがいした東京の名門・協栄ジムに移籍。日本ボクシング界に「復帰」した。

だが、思わぬ壁にあたった。各団体のチャンピオンの陣営が和毅を敬遠して対戦相手が決まらず、世界戦のチャンスが、やって来なかったのだ。

朝起きてストレッチ、走ってストレッチ、練習の前も後もストレッチ。目標のない禁欲的で単調な毎日は3年間続いた。「ボクシングの3年ってすごく長いですよ」。昨年夏にはブログに「なぜ俺の挑戦を受けない?」といらだちをぶつけた。直後に東京であった世界戦を観戦後には、新王者に対戦を直訴しようとリングに上がり、スポーツ紙に「乱入」と騒がれた。「あんなことする子やないのにな。焦ってたんやろな」。その姿に父も驚いた。

インタビューに答える亀田和毅=2018年5月17日、東京都新宿区、関田航撮影

やっとめぐってきたのが、昨年11月の世界戦だった。長いトンネルを抜けて手にしたベルトだが、試合後は派手なパフォーマンスも涙もなかった。「もちろんうれしいですけど、それはただスタートっていう意味で。『よし、やっと扉が開いた』っていう」

2階級制覇を果たし、リング下で父の史郎さんと抱き合う亀田和毅=2018年11月12日、東京都文京区の後楽園ホール、関田航撮影

これから日本で名を上げ、今度は鳴り物入りで米国に再上陸して歴史に残る「ビッグ・マッチ」をやりたい─。この先にあるのは、父も、世界王者を経験した兄たちも知らない、和毅だけの道だ。(文中敬称略)

■Profile

  • 1991 大阪市で生まれる
  • 2000 長男興毅、次男大毅とともに8歳でボクシングを始める
  • 2006 「亀田3兄弟」として注目されていたが、長男興毅の世界戦をめぐって批判が始まる
  • 2007 大阪市立天下茶屋中学を卒業後の6月、一人でメキシコへ。10月、次男大毅の世界戦での反則をめぐり、再び亀田家へのバッシングが強まる
  • 2008 メキシコでプロデビュー
  • 2013 フィリピンでの世界戦で、WBOバンタム級チャンピオンに
  • 2014 当時所属していた亀田ジムが活動停止処分。この年の7月と11月、米国で行われた試合にそれぞれ勝ち、王座を防衛
  • 2015 WBAとの王座統一戦をめぐり、WBOバンタム級王座を返上。WBA王者のジェイミー・マクドネル(英)に2度敗れる。この年の10月、シルセと結婚
  • 2016 協栄ジムに移籍し、日本での活動が可能に
  • 2018 11月に東京で開かれたWBCスーパーバンタム級暫定王座決定戦に勝利。WBOバンタム級に続く2階級制覇で、史上初の3兄弟世界2階級制覇を達成

■Self-rating sheet 自己評価シート

亀田和毅さんは自分のどんな「力」に自信があるのか。記者が用意した8種類の「力」を5段階で評価してもらうと、「これは自信ありますねえ」「これもありますねえ」と、「5」がずらりと並んだ。

「分析力・洞察力」「持続力・忍耐力」などは「ボクシングでめちゃめちゃ重要ですね」と迷わず5。15歳からメキシコで一人身を立てただけに、「行動力」については、「もう8くらいじゃないですかね」。語学力も「才能はある方じゃないですか」。スペイン語は「日本語と同じくらい」話せる。英語も勉強中だが、「発音が難しいですね」。

■Memo

父・史郎…大阪・西成育ち。中学卒業後から解体業で生計を立てた。ボクサーをめざしたが、仕事との両立ができず断念。素人ながら独自の方法でボクシングを指導し、妻と離婚後は料理など家事も担った。相次ぐトラブルで日本ボクシングコミッション(JBC)からライセンスを取り消された。現在は西成でジムを開いて、長女の姫月(ひめき・19)や地元の子どもたちにボクシング指導をしている。

2015年に妻シルセとメキシコで挙げた結婚式で=トゥモロウズ提供

メキシコ生活…妻シルセの家族もボクシングに理解がある。付き合って間もなく「ホームステイ状態」になった。現在は日本とメキシコを行ったり来たりの生活だが、日本よりメキシコにいる方が「落ち着く」という。シルセとは「ケンカをしたことがない」というほど仲が良く、一緒に旅行するのが一番の楽しみ。