悲劇の一枚、大統領にも伝わった フィリピン麻薬戦争の犠牲者を撮り続けるカメラマン
撮影したのは当時フィリピンの全国紙の撮影記者だったフィリピン人写真家のラフィ・ラーマさんだ。ドゥテルテ大統領の就任直後から、夜の町を歩き、麻薬撲滅の名のもとに人が殺されるむごさを伝えてきた。国内外で写真展や講演活動を行い、「殺人は麻薬問題の解決にならない」と訴える。(鈴木暁子)
「ナイトシフト」(夜勤)。2017年12月、タイの首都バンコクでこんな題名がついた写真展が開かれた。
舞台は、ドゥテルテ大統領が麻薬撲滅を掲げて強権的な取り締まりを進めるフィリピン。毎晩、警察や身元不明の人物に市民が殺される現場をかけずり回ってきたカメラマンたちの写真が展示された。ごみのように路上に転がる男性の遺体。愛する人を失い葬儀で泣き叫ぶ遺族。刑務所に入った多くの「麻薬犯罪者」たち……。胸が詰まるような写真が並んだ。
ラーマさんも、ドゥテルテ氏の大統領就任直後の16年7月から、全国紙インクワイアラーの写真記者として毎日午後9時から午前4時まで警察署に張り込み、現場に駆けつけてきた。
「最もむごかった」という男性の遺体は、ビニールテープを巻かれた顔に、笑った目や口のいたずら書きがされていた。「私は密売人 まねするな」。多くの遺体のそばに警告めいた紙切れが置かれていた。
ある時は、32人が殺害された現場に駆けつけた。「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう」。遺体を前に取り乱した様子で繰り返す仲間の記者のほおをひっぱたき、「しっかりしろ!」と叫んだ。
そんな中、ラーマさんが撮った1枚が、フィリピン社会を揺さぶった。16年7月23日、マニラ首都圏パサイ市。やじ馬が囲む夜の路上で、男性の遺体を抱く女性。何者かに射殺された自転車タクシー運転手マイケル・シアロンさんをほおずりするようにして抱く、パートナーのジェニリン・オライレスさんだった。
カトリック教徒の多いフィリピンで、新聞の1面に載った写真は、いつしかキリストの亡きがらを抱く聖母像を意味する「ピエタ」と呼ばれるようになった。ラーマさんは「『殺されて当然の犯罪者の死』が、生身の人間に起きた悲劇として人々に認識され始めた」と振り返る。同年8月には米ニューヨーク・タイムズ紙にも掲載され、世界中の人々の心を揺さぶった。
「芝居がかったあの写真」。あるとき、ドゥテルテ大統領が演説で「ピエタ」に言及するのを聞いた。ラーマさんは胸が痛んだ。遺族はこの言葉を聞いて、どんな気持ちになるだろうと考えたからだ。でもしばらくして、ふと気がついた。「一番伝えたかった人に伝わった」
17年5月に新聞社を退社。米コロンビア大など国内外の大学や人権団体が開く講演会で思いを伝えながら、家族を殺された遺族らの撮影を続ける。
フィリピンでは当初は多くの記者が殺害現場に駆けつけたが、殺害が続くにつれ、そんな日常にメディアも慣れてしまったと感じた。遺体に携帯電話を向け、笑いながら写真を撮るやじ馬もいる。「麻薬戦争というが、これは『処罰を受けない殺人』だ。いつかフィリピンが今起きていることを検証する時がやってくる。その時のために、私たちは撮影し、記録を続けなければいけないんだ」とラーマさんはいう。
フィリピン政府によると、16年7月~18年9月30日に、警察の麻薬捜査中に殺された人は4948人に上る。
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