「願いまして~は……」 そろばんも
教室の床に、ひらがなが書かれたカードがばらまかれている。
「今から書きますよ。取ってね」。石井知(とも)教諭が電子パッドに書いた漢字が大きな電子ボードに映し出される。
4年生の子どもたちが、カルタのように取り合う。
「はい、これは何?」
「あき!(秋)」と大きな声が上がった。春夏秋冬や東西南北、父母、兄弟、姉妹、家など、次々と問題が出されていく。
オーストラリア東部ブリスベン、日本語と英語で各教科を半分ずつ教えるウェラーズヒル小学校。子どもたちのほとんどが、英語がネイティブの白人だ。
4年生では、日本の学校で2年生で習う漢字を学ぶ。授業で使ったカードは子どもたちが書いて作った。体を動かしながら漢字を勉強したい、という子どもたちの要望も聞いて、「運動場にカードを持っていてばらまく、ということもありますよ」(石井教諭)
隣の教室では、バイリンガルコースの別のクラスの4年生が英語を習っていた。ハリエット・ガイ教諭が教えていたのは、「むかしむかし」のいろんな書き出しの例だ。
”Before the trees ,rocks and rivers were made”(木や岩や川ができる前に)
“Many sunrises and sunsets ago”(何回もの日の出や夕焼けをさかのぼったころ)
“Over the far horizon ,and long ,long ago” (水平線のずっと向こう、何年も前に)
当然だが、ネイティブの英語の授業だ。ガイ教諭は「私は、2年前はメーンストリーム(英語だけで教える)クラスの4年生を教えていました。今のバイリンガルクラスの子どもたちと教える英語のレベルは変わりませんよ」という。
次の時間は、石井教諭が受け持つ5年生のバイリンガルクラスをのぞいた。子どもたちの手元にはそろばんがある。教室には、畳とちゃぶ台のスペースもあって、そこで自分の場所を確保する子もいる。自由で和気あいあいとした雰囲気のなか、石井教諭が計算を読み上げる。「願いまして~は、91万2451円なり、65万2529円では?」
「はい!」「はい!」 いっせいに手が挙がる。
「では、キャロリンさん」「156万4980円です」
算数の授業の一幕だ。
石井教諭はここで教えて3年目。最初の年は3年生を教えて、その後は4、5年生を教えている。「3年生は(日本語力が)伸びるのがよく見える。1、2年生とずっとわからない言葉を聞いてきて、2年生の途中くらいからわかるようになってくる」。子どもたちに話す日本語は、ゆっくりではなくごく自然な速度だが、4、5年生になると、授業で説明する日本語をほぼ問題なく聞き取れるようになるという。
オリジナル教材で 理科や社会の内容も
算数や理科など各科目を英語と日本語で半分ずつ教える独自のカリキュラムを作るため、同校では、毎学期の後半に必ず、次の学期で何を日本語で、何を英語で教えるかを日本語と英語の教員同士で話し合う。教えるのは豪州の教育課程の内容。それを日本語にする場合の難しさはどうか、というのが、一つのポイントになる。
たとえば、算数なら、cube、cone といった英語では、なじみやすい用語が、日本語なら「立方体」、「円錐」になる。豪州では1年生の算数で立体図形の単元があるが、日本語を学び始めたばかりの子には、こんな用語は難しい。だから、英語で教えよう、となる。上の学年で立体図形の発展した内容が出てくるときには、今度は日本語で教えるようにするように試みる。
やはり、算数で学ぶ「時間の数え方」。英語では、quarter to 4 (4時まで15分)といったとらえ方が出てくる。日本語では、3時45分とは言えても、「4時15分前」とは、あまり言わない。だから、この単元は英語で教えることになる。
社会では、地理は日本語で教えるが、歴史が英語で教える。たとえば、アボリジナルピープル(先住民)の歴史は、日本語訳にするのは難しい単語が多い。そのままカタカナ書きにするなら日本語で教える意味がないからだ。
日本語側のカリキュラム作成の責任者の田中秀子教諭は「中高に進むときに、ほかの学校で、英語で各科目を教わった人と同じ知識を身につけないといけない」と話す。「(バイリンガル教育の)市場がないので、教材も自分たちでつくらないといけない。試行錯誤です」
そんな教材作りの一例として、石井教諭が挙げたのが、理科や地理などで出てくる言葉も盛り込んだ日本語のオリジナルの読み物だ。昨年は、4年生の授業では、日本の国語の教科書でもおなじみの物語「スイミー」を使って、感想文を書かせた。小さな魚が集まって魚の形になって泳ぐことで、大きな魚を追い出した、というあの話だ。でも、今年は、主人公の男の子が「紙飛行機を飛ばしても高い木に届かない」「重力の軽い月に行ってジャンプする」、といった体験をする内容のオリジナルの物語を作った。この教材を使えば、理科の「力」の勉強にも役立つ、という狙いだ。
それでも、学校で教える時間には限りがある。石井教諭によると、ある3年生が来客に「家族は何人?」と聞かれて「5枚」と答えたことがあった。「きちんと日本語の助数詞を使ってほしいと思うが、まず、豪州のカリキュラムで教えなければならない内容があるので。でも、子どもたちのポテンシャルは高いですし、やりがいがあります」
日本語で「何を言う~」
バイリンガル教育の1期生の5年生は現在、日本語の授業では、日本の2、3年生の教科書のレベルの内容を学び、日本の3年生が学ぶ漢字を勉強する。上達のほどを実感したいと、5年生の一人に日本語でインタビューさせてもらった。マーサ・クインさん(10)だ。
――日本語で勉強して何が楽しい?
「漢字が大好きなのと、とねえ、地理もとても楽しいです」
――「好きな漢字は」
「雪とか、雨とか。なぜなら、形が窓みたい」
――「家では日本語を話しますか」
「ちょっと(話す)けど、でも、お母さんとお兄さんとお父さんが、わかりませんと。何を言う~と(笑)」
――「日本語で何か話したいことはありますか」
「あの私はね、日本の子どもとか、日本の人とお友達になりたい。なぜなら、とてもいいと思うから」
――「日本に行ったことは」
「京都と東京と、大阪と宮島に行きました。大阪がいちばん楽しかった、なぜならユニバーサルスタジオがあったから」
言葉が自然と口から飛び出す感じだ。2年生から日本語の授業は友達同士でも「日本語オンリー」で続けてきただけのことはある。
授業半分 英語力は大丈夫?
一方で、多くの人々が素朴に感じる疑問があるのではないか。
学校で、英語で教える時間は、普通の学校と比べて単純に半分になる。母語の英語の力はきちんと身につくのか? 仮に、日本で同じように日英のバイリンガル教育をしたとしても、「それで日本語は大丈夫なの」と思うだろう。
それを客観的に判断する材料として、豪州の3、5、7、9の各学年(日本の小3、小5、中1、中3に相当)のすべての子どもたちを対象に実施される英語と算数の学力検査(NAPLANという)がある。
その結果で、ウェラーズヒル小のバイリンガル教育の1期生は、3年生のときも、5年生の今年も、英語力、算数とも全国や州の平均を大きく上回る結果を出した。算数の好結果は、そろばんを採り入れている効果とみられる。
同小の子どもたちの日本語の上達度を評価する研究をしているアマンダ・オートリ博士(クイーンズランド大学・グリフィス大学講師)は「世界には多くのバイリンガル教育の成功事例があります。単一言語の社会に暮らしていると、母語の習得にマイナス、と感じる人もいるでしょうが、それは事実ではありません」
ここで培った日英のバイリンガルの力を小学校で終わりにするのはもったいない。そう考えたジョン・ウェブスター校長と橋本琢教頭の働きかけで、同小の卒業生を対象に、近くのホランドパーク・ステート(州立)ハイスクール(中高校)が、10年生(高1)まで、日本語のバイリンガル教育をすることが決まった。ここでは、日本語、美術、コンピューター、音楽を、日本語で学ぶことができる予定という。
日本でも、こんな学校ができたら、面白いのではないか、と思わせる日英バイリンガル校。ただ、豪州広し、といえども、こんな学校で学ぶ機会はなかなかないのも事実だ。次回からは、ノンネイティブの子どもたちが、モノリンガル(英語)で教える小学校で学ぶ様子を紹介していきます。
(次回は11月28日に掲載します)