「西洋すごろく」とも言われるバックギャモン、2個のサイコロを振って手持ちの15個の駒を動かし、相手の動きを妨害しながらゴールを目指す。先に全ての駒をゴールに入れた方が勝ち。
「バックギャモンは、人生に似ています。どんなひどいサイコロの目に遭っても、自分で決断して選択し、自分の力で勝利に導いていくのが醍醐味です。私にとっては、生きるか死ぬかの瀬戸際を支えてくれたゲームでもあります」
東京都在住の矢沢亜希子さん(37)は、今年、今年8月、モナコで開かれた世界選手権で、4年ぶり2回目の世界王座に輝いた。複数回の優勝は世界でも過去に3人しか達成していない。
「日本バックギャモン協会」によれば、日本国内の遊戯人口は約20万人、矢沢さんは国内に4人しかいないプロプレーヤーだ。今年の世界選手権では、参加者が対戦を繰り返し、先に2敗した人が脱落していくルールで、無敗のまま決勝に進出。格下の相手を寄せ付けず、賞金6万ユーロ(約780万円)を手にした。
「『死ぬかもしれない』と無我夢中だった前回と違い、心理的に優位にゲームを進められました」
将棋の森内俊之九段はバックギャモンの強豪としても知られ、矢沢さんが初優勝した2014年大会で4位に入賞している。「彼女の強さは精神力。苦境に立っても大崩れしない。常に冷静に相手を観察して、弱点を探して突いてきます」
矢沢さんがバックギャモンを知ったのは大学1年のとき、初めて訪れてたエジプトへのスキューバダイビング旅行だった。紅海の海岸で、道端で、現地の人々が盤を挟んで熱中していた。
何というゲームなのかも分からず、日本へ帰って調べた。友人にやっている人は当然いない。ネットのオンライン対戦や、パソコン用ソフトと向き合って2~3カ月。「人と対戦してみたくなって」、2003年1月に、ボードゲームができる新宿の喫茶店を訪ねた。
そこは当時、日本のバックギャモンのトップが出入りする場所だった。初対戦の相手は望月正行さんという、国内最強のプロプレーヤー。矢沢さんは接戦の末に望月さんに勝利を収め、「大会に出ないか」と誘われるようになる。
その年に初出場した中級の大会で優勝。2004年には「盤聖」と呼ばれる国内のタイトルマッチで優勝。順調にバックギャモンのキャリアを重ねてきた。
ところが、2008年頃から原因不明の体調不良に悩まされる。生理時の大量出血で、体が重く日常生活もままならないことも。産婦人科の検査でも原因は分からず、バックギャモンも中断した。しかし2012年、再度の検査で、「ステージⅢc」の子宮体がんと判明。医師に「手術しなければ1年もたない」と診断された。
結婚して子どもを産むという、思い描いていた将来像が崩れ、将来を悲観した。「夫にも申し訳ない。手術しても助かる保証はない。このまま子宮を残せば子どもを産めて、家族に囲まれて生涯を終われるかも」と迷ったというが、冷静に「次の展開」を考えた。
「後になってやっぱり生きたくなったら、手術しなかったことを後悔するだろう。できるだけのことをやって納得しよう」。自分が生きた証しを残すため、「世界制覇」に挑んだ。
子宮、卵巣、卵管、リンパ節をすべて切除。抗がん剤投与を受けながら、2013年冬、ニューヨークでの武者修行に挑んだ。ハーレムにあるバックギャモンクラブを訪ねて「道場破り」をしたり、タイムズスクエア近くの公園でバックギャモンに興じる人たちに対戦を挑む「ストリートギャモン」を重ねた。
副作用でサイコロを握る手がしびれ、全身の痛み、会場まで友人に支えられて歩きながら、2014年、2回目の挑戦で世界選手権を制した。
治療の甲斐あって、今は脚のむくみなど後遺症はあるものの、再発の可能性はほぼなくなり、体調と相談しながら平均月1回は、世界各地の大会に参加する。
「バックギャモンは、最後まで何が起きるか分からないゲームです。数%の勝率でも大逆転がありうる。どんな状況でもあきらめない。全てに通じる言葉です。これからも不屈の精神で勝っていきたい」。
今後の目標は、世界選手権で3回目の優勝という、過去に1人しか達成していない偉業に並ぶことだ。